第21話 その日常はガラスのように
放課後の教室。
試験期間が終わり、部活も解禁され、さらに夏休み直前といった中で、教室で残って自習している真面目な生徒なんて誰もいなかった。
俺と彼女以外誰もいない教室。
そんな教室の中で、俺を呼び出した佐藤水月は、顔を赤くしておずおずと切り出した。
「あ、あのね、櫻木くん……、実はその、伝えたいことが……」
先日、助けた女子。その女子に、放課後の教室に呼び出されて、二人きり。
そして、彼女は少しだけ言いづらそうに顔を赤くしている。
男子学生なら夢にまで見るようなシチュエーションが完璧に整備されていた。
インド映画ならここから急に踊り出しかねないが、ここは日本。ならば、この後の展開は決まっている。
緊張で口の中が乾いてきた。
「あのね、実は、私……、櫻木くんに助けられたあの日から……」
少しだけ迷うように言葉を止めると、彼女は小さく息を吐いて、俺を真っ直ぐと見つめる。
そして、覚悟を決めた瞳で口を開いた。
* * *
憂鬱な1週間がまた始まってしまった。
ツンデレな幼馴染と一緒に朝から電車に揺られて学校に向かう。
「水月は今日、追試でしょ?」
「うん。そうなんだよねー。テスト中に風邪引くなんて最悪」
電車の中で聞こえてきた声に視線をそっと向けると、佐藤水月はいつもの日常を描きなおしていた。
居なかった金曜日は風邪ということになったらしい。
金曜日の時には、スライムのせいで服は汚れ、髪もボサボサだった彼女だが、今日はしっかりと身嗜みが整えられ、薄く化粧もしてあった。
陽タイプの女子。クラスの地位が高い感じがオーラからめちゃくちゃ出てる。キラキラって効果音ついてそう。
あの日見た彼女からはそんな印象を受けなかったから、やっぱり見た目って大事なんだと思う。
不躾な視線を向けすぎたのか、佐藤はこちらをチラッと見て、困ったように視線を彷徨わせた。
ごめんね。ジロジロ見てたらキモイよね。
心の中で謝りつつ視線を彼女から逸らそうとしたら、佐藤が小さく手を振ってくれた。
なにあれ。どう反応したらいいの。
振り返した方がいいのか。このままだと無視したみたいになっちゃうし。
しかし、そんなことを躊躇ってしまう。
佐藤がこっそり手を振ったことを、あの友人たちは気づいた様子がない。
このこっそりとやり取りをする感じ、なぜか無性に恥ずかしい。
手を振るだけ。そう、それだけ。
自分に言い聞かせて俺も手を振り返そうとしたところで、服の裾を引っ張られた。
なんだよ、服が伸びるだろ。
出鼻を挫かれて少しだけ不満げに隣の幼馴染をみる。
「なにさっきから一人で唸ってるの」
「一人じゃないだろ。香織いるし」
「それじゃあ、今から本気で他人のふりするわ」
おい、やめろ。そしたら完全な不審者じゃないか。
気のせいか間隔も少しだけ空けられる。
「あんたといると何故か目立つんだから、変な行動しないでよ」
「それは多分俺のせいじゃないだろ」
恐らくそれは隣にいる幼馴染のせい。俺一人だと空気だから。モブと変わらない扱いだから。
しかし、そんな俺ではあるが、隣に香織がいると、香織の幼馴染という補正が加わって、妬みやら、やっかみやら、嫌な視線を投げられまくることになるのだ。
今だって電車内にいる男子からそういう視線を軽く感じている。この目の前の幼馴染がその視線に気づいているのかは知らないが。
そんなことを考えている間に、佐藤に手を振り返すタイミングを完全に逃してしまった。
佐藤へと再び視線を向けた後には、彼女はこちらに背中を向けて友人との談笑タイムだった。
ならばと、俺も隣の幼馴染と談笑タイムに入ってもいいだろう。それでいつも通りだ。
「一人で満足げに頷くの本当にやめて……」
やっぱりいつも通りではないかもしれない。
隣の幼馴染が本気で嫌そうな顔をしていた。ちょっと傷つくのでその顔辞めてくれません?
「いま脳内でテストの自己採点して、結果に満足してたんだよ。わかるだろ」
「全然わかんないけど」
だろうね。俺もわからない。なに言ってんの俺。急に脳内で自己採点始めるってどういうことだよ。
慌てて口にした言い訳はあまりにも拙いものだったらしく、幼馴染との距離が更に開いた。
この調子で広がり続けたら、同じ車両に乗っていられる日も少なそうだ。その前になんとかして関係を修復しなくては。
「それで、香織はテストどうだったんだ」
「……なに、嫌味?」
おっと、更に距離が開いた気がする。
うーん、この捻くれっぷり、一体どこの誰に似たんだろうか。
「単なる話題だろ。そんなにカッカすんな。点数悪くても怒らないから」
「なんであんたに怒られなきゃいけないのよ! やっぱり喧嘩売ってるでしょ」
睨みつけるだけでは足りなかったのか、踵でつま先を踏まれた。
そこそこに痛い。
おい、爪割れたらどうするんだ!どうせすぐに治るけど。
「ふふ、相変わらず、2人は仲が良いんですね」
くだらないやり取りに割り込まれた声。
俺からしたら聞き慣れた声。香織は声をかけられたことに一瞬だけ驚いたようにして、相手を見て、更に驚いていた。
「おはようございます。拓也くん、香織さん」
朝の日差しのように柔らかく微笑むのは、スーツに身を包んだ女性。
顔にかけた眼鏡と、長めの茶髪。
数学の教師にして、俺のクラスの担任、真白若菜先生だ。
「お、おはようございます」
慌てて香織が挨拶を返す。それに釣られて俺も頭だけ下げた。
真白先生が電車で通勤していたのは知らなかった。しかも、同じ電車で。
けど、なんかいつもと印象が……。
ちょっとした違和感に首を傾げると、真白先生は頬を掻いた。
「ちょっと、今日の朝は急いで準備したので、あんまり見ないでくれると助かります」
言われてみれば、髪の毛が少し跳ねている。慌てて家から出たのだろう。
「なにかあったんですか?」
「昨日、テストの採点をしていたら寝坊しちゃって」
休みの日なのにテストの採点してるのかよ……。やだー、ブラックー!
照れ笑いを浮かべていた真白先生は、「そうだ!」と、思い出したように手を打った。
「拓也くん、金曜日の数学のテスト、真面目に受けてくれました?」
「え? ま、まぁ」
数学のテスト……、はっきり言ってあんまり覚えてないんだよな。
テストがあったのは金曜日だ。
言い訳になるが、あの日は佐藤の失踪事件に気を取られすぎていたせいでテストに全然集中出来なかった。
「拓也くんにしては点数すごい悪かったから、体調でも悪かったのかと思ったんですけど……」
「ええ……」
なに、そのリーク情報。ちょっとショック。知りたくなかった。
「てか、それ、テスト返す前に話していいことなんですか?」
「大丈夫です! ここは学校じゃないので!」
謎に威張るように胸を張られた。
なるほどー。学校じゃないから教師のルールもないってことかー。んな無茶な。
「珍しいわね。あんたが、点数すごい悪いなんて言われるって」
「……まあ、色々あったからな」
スライムによる失踪事件のことなんて言えるわけもなく、濁し気味に答えると、香織はちょっとだけ嬉しそうに頷いた。
「ん、そっか」
……これは、なにかしらの勘違いが発生してそうな気がする。
例えば、俺が点数悪かったのは香織と喧嘩してたせいで集中できてなかったみたいな。
「ところで、拓也くんと香織さんは幼馴染なんですよね」
「はい。まぁ、一応?」
「ちょ、なんで我慢系なの。普通に幼馴染だよね?」
その実は嫌なんですけど……みたいな反応やめてくれません?
「それがどうかしましたか?」
俺の抗議を無視して、香織が尋ねると、真白先生は少しだけ言いづらそうにして口を開いた。
「やっぱり、幼馴染だとそういう関係になりやすいんですか……?」
「は?」
「はああああっ!?」
ぼそっと呟いた先生に対して、香織が大声で反応したせいで周りの視線が一斉にこちらに向く。
それにペコペコと真白先生と香織が頭を下げてから、音量を下げて話に戻る。
「な、なんですか、そういう関係って!」
「噂でよく、お付き合いしてると聞くので、そうなのかと」
「ち、違い……ます……」
顔を赤くして否定しようとした香織だったが、途中からめちゃくちゃ失速してた。
なんでちょっと残念そうな感じ出してるんだよ。
「なんでそんなこと聞いてくるんですか」
「私もそろそろいい歳なので、誰かとお付き合いしたいんです。それで、仲良くなるのになにか秘訣でもないかと」
「秘訣って……」
この先生、教え子になんてこと聞こうとしてるんだ。
そもそも、別にそんなに歳とってないないだろ。全然若い。大学生といっても通じる見た目してる。
「それで、実際のところどうなんですか! やっぱり、秘訣でも!?」
距離が近い、勢いが強い、圧が強い。
なんとかしてよと香織からの視線が飛ばされた。こっちに厄介ごとを投げないで貰ってもいいですか。
「……先生なら恋人募集すればすぐに捕まえられるんじゃないですか」
呆れ半分、面倒くささ半分で答えた。
この先生人気だしな。恋人募集なんてすればクラスのお調子者の男子が名乗りを上げるのが目に映る。
「うーん、でも、私、軽い人嫌いなんですよね」
ほう。つまり恋人募集でほいほい引っかかるような奴はお断りと。
……そんなこと言ってるから、恋人出来ないんじゃないだろうかと思ったり。
「真白先生はどんな人がタイプなんですか?」
純粋な好奇心か香織がそんなことを考えると、真白先生は頬に手を添えて少し恥ずかしそうに答える。
「そうですね……、私を想ってくれて、優しくて、頼りになって、私を大事にしてくれる人、ですかね」
随分と抽象的だ。
しかし、香織的には先生の気持ちがわかるのかうんうんと頷いていた。
乙女の世界というやつなのだろうか。男の俺には全くわからん。
「でも、少し意外です。真白先生、美人なのに」
「そんなこと……ありますけど」
少しだけ自信ありげに真白先生は頷く。
この人ってこんな性格だっけ? クラスの担任をやってる時と印象が違いすぎる。
クラスでは天然気味だけど、優しい先生という感じなのに、目の前にいるのは残念美女だ。
なんというか、そう、化けの皮が剥がれたというべき変化が目の前にあった。
「付き合ったことないんですか?」
「それがないんですよねー。昔に告白されたことがあるんですけど、答えることが出来なくて」
フランクな感じで話してくる真白先生に、緊張が解けたのか香織も積極的に話し始めて、恋バナに花を咲かせ始めた。
そうなると俺は手持ち無沙汰で、そんな話題にも入りたくないわけで。
仕方なく、スマホをいじる。
別に寂しくなんてないもんね!
それにしても、真白先生、恋愛相談をするなら、選択相手が悪すぎる。
俺も香織も面倒すぎる恋しかしてないので、参考にならん。特殊例すぎる。
こういうのは、ネットで恋愛成熟方法なんて調べた方がマシなんじゃないだろうか。
スマホを弄るついでにそんなことを軽く調べてみる。
写真付きでリア充満喫してるって感じの投稿がたくさん流れてきた……。
おいおいなんてもん見せんだ。こんなの見たら発狂してスマホぶん投げるやつが現れちゃうだろ。
鎮まれ俺の右腕!スマホを投げるな!
検索方法が悪いのか、検索しているアプリが悪いのか、出てくるのはタメになるどころかダメになりそうな知識ばかり。
学べる知識よりも壊すスマホの方が多くなりそうだ。
こんな中から、この可哀想な美人教師に教えてあげられるアドバイスが見つかる気がしない。
それでもと、画面をスクロールしていく。
『悪魔が恋愛成就を叶えてくれる秘密の方法』
そんなオカルト感満載なURL付きの投稿が目についた。
アイコンもデフォルト。投稿もそれだけ。ユーザー名はよくわからん単語。なんて怪しさ抜群。
飛んだ詐欺はきっと悪魔のような詐欺サイトなことだろう。
こんなのに引っかかるやついないだろ。もっと工夫しろよ。
「悪魔……、ですか」
「うおっ!?」
いつの間にか、真白先生が俺のスマホを覗き込んでいた。
「ど、どうかしました……?」
「いえ、悪魔といえば、最近、そんな噂が流行っていると聞いたので」
「へぇー、悪魔。不気味ですね」
大して興味ないのか、香織の反応は素っ気ない。
「それで、事件も起きてるとか……、まぁ、噂ですけどね」
にっこりと笑った真白先生。
悪魔の噂……、葵さんが言っていたものか。
少し気にかかる。氷上なら何か知っているだろうか。
軽く車内を見渡すが人が多いのもあって見つけられない。もしかしたら違う車両になっているのかもしれないし、こんなところで探すだけ無駄だろう。
そんなことをしているうちに電車は学校の最寄り駅に到着した。
「それでは、私は急がないと教頭に怒られるので。2人も気をつけて登校してくださいね」
そう言って、改札を出ると足早に立ち去る真白先生。
「凄かったな」
「……そうね」
単純な感想だけを交わして、俺らも学校に向けて歩き出した。
いつもの通学路。
何も変哲がない、そうあるべき道。
香織と他愛もないことを喋りながら歩く。
俺が望む光景。壊したくないもの。
「……ねえ、拓也、あの前の人」
しかし、異世界の扉は一度開かれてしまった。壊れたガラスは2度と同じ形には戻らないと言う。
香織の視線の先にはふらふらとあまりにも危なく歩く男子学生の姿があった。
「あの人、だいじょうぶか……な」
香織が言い終わるよりも早く、その男子学生は崩れるように道に倒れ込む。
「え、ちょ、救急車……!」
周りが騒ぎ出して、倒れた男子学生に集まる者、それを避けて登校する者、遠巻きに眺める者。
香織が倒れた男子学生に近づいたので、俺も慌てて近寄る。
仰向けにされた男子学生の顔は生気がなく、青白く呼吸も薄かった。
まるで魂を抜かれたみたいだ。
この顔、どこかで……。
なにか引っかかる。初めて会った筈だ。けど、どこかで見た気がする。
思い出せない。ただ、一つだけわかることがあった。
どうやら、また異世界は俺の日常を奪っていくつもりらしい。
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