第15話 異世界不適合者

「もう、嫌……!」


 家に帰りたい……。パパとママに会いたい。

 今までのは全部夢で、目が覚めたら、悪い夢を見たって、友達と笑い話にしたい。


 泣き出しそうになりながら、スカートが汚れることも気にせずに、木陰に体育座りでうずくまる。

 辺りはすっかり暗くなって、近くに人影はいなくなっていた。


「どうしてこんなことになっちゃったんだろう……」


 その呟きに答えてくれるパパやママ、友達は今はいない。

 さっきまで必死に逃げていたけど、こうやって立ち止まってしまえば、寂しさと恐怖が襲ってくる。


 目を瞑れば、身体の中を何かがゆっくり這い回っている感覚があった。

 自分の体に何が起きているのかなんて、正直理解できていない。

 ただ、自分の中に、変なモノが入り込んだことだけはわかっている。


 始まりは、3日前にペットのミカがいなくなったことだった。

 その時はまたいなくなったのかと呆れていた。けど、その日のうちに帰ってくるなんて思っていた。いつもそうだったから。それが普通だったから。


 ただ、それは叶わなくて、次の日の朝になってもミカは帰ってこなかった。それが少しだけ不安でそんな話を友達としてみた。


『えー! それって、最近話題の失踪事件ってこと?』


 その友達を言葉を聞いた時、胸がズキンと痛んだ。そんな訳ない。そんな非日常な出来事に巻き込まれる訳ない。だって、私は普通に生きているんだから。

 そう思って誤魔化した。


 それでも、放課後になったら、失踪事件のことが頭にチラついていた。だから、珍しくいつもと違う道を通った。ミカを探そうと思って。

 人通りが少ないような道を選んで探してみたら、道路の角を曲がる猫を見つけた。


『なんかぁ、1匹の犬に、数匹の犬とか猫がついて行くのが目撃されたらしいよ。まるで誘っているみたいだったって』


 友達の言葉を思い出して、無性に不安になってその猫を追いかけた。その猫はミカじゃなかったけど、ミカに導いてくれる気がして。

 そして、追いかけた先にそれはいた。


 1匹の犬。真っ黒な毛並みを持ったドーベルマンみたいな犬。

 首輪も付いていなくて、気が立っているように低い唸り声を上げていた。

 黒い犬の前で、先程の猫が立ち止まると、誘うようにこちらを見つめ小さく鳴いた。


 気づいたら人が全くいない場所だった。追いかけるのに夢中になりすぎていた。

 黒い犬がゆっくり近づいてくる。その目は真っ赤に充血していて普通じゃなかった。

 直感が不味いと告げていた。けど、逃げるには遅すぎた。


 背を向けて走り出そうとした私に、重い衝撃がぶつかった。

 そして、気がついたら、場所が変わっていて、何もいなかった。あの黒い犬も、猫も居なくなっていた。

 鞄も無くなっていて、困惑した私が視線を下に移したら、真っ赤に染まった自分の手があった。


 そこからの記憶は途切れ途切れだ。ただ、ずっと頭が痛かった。吐き出しそうだった。


 少しだけ覚えているのは、私の中の何かが動物を捕まえて食べていたこと。何か触手のようなものを伸ばして、骨ごとその命を絡め取る私。


 そんな私に天罰を与えるように、白く綺麗な悪魔が降り立った。

 原理も理屈もわからないけど、動物たちを一瞬で殺していった女性。


「……あれ、氷上さんだよね」


 私の通う高校の有名人。

 長い黒髪に、整った顔立ち。女子の私ですら見惚れてしまう人形のように美しい彼女。

 けど、さっきのは本当に同一人物なのだろうか。私の知る氷上さんじゃなかった。


 氷姫なんて呼ばれている彼女だけど、あれじゃあ氷の悪魔だ。躊躇いなく動物たちの命を奪っていた。冷徹に、冷静に。

 そして、その殺意は私にも向いていて……。


 思い出しただけで震えてしまうような光景。

 こんな訳も分からずに殺されたくない。訳がわかったところで殺されることに納得なんてきっと出来ないんだろうけど。


 でも、もしこのまま逃げ通せたとして、私は私のままでいられのだろうか。

 何かに取り憑かれた私はいつまで生きていけるのだろう。

 結局、私の命は行き止まりなんだ。


 嫌だ。死にたくない。

 怖い。

 この暗闇が怖い。

 殺されるのが怖い。

 独りぼっちなのが怖い。

 自分が自分でなくなるのが怖い。

 誰かに会うのが怖い。

 大切な人を襲ってしまうかもしれないのが怖い。


 溢れ出してしまった恐怖は止まることを知らず、瞳から涙が落ちた。


「誰か……助けてよ……」


 逃げられない。誰にも会えない。

 耐えられない怖さに、漏らした声。

 誰にも拾われずに消えるだけのはずだった言葉。


「ああ、絶対に救ってやる」


 そんな言葉を拾ってくれたのは、優しい声だった。

 ゆっくりと顔を上げると、額に汗をびっしりとかいた、うちの制服を着た男子生徒が、ほっとしたような笑顔を向けて、手を差し出してきた。




 * * *




 涙を流しながらこちらを見つめてくる佐藤水月。

 こんな時間に木陰で1人なんて家出少女みたいだな。服は汚れているが、幸い怪我はないようだ。


「な、なんで……」


 差し出された手を見ながら、状況が理解できないようにポツリと呟かれる。


「それは、場所がなんで分かったのかってことか? そりゃあ、ツライ時は静かな場所に限るだろ」


 氷上よりも早くに見つけられたのは運が良かった。この忌まわしい公園を選んで正解だった。賭けに勝てたようだ。


 彼女が逃げ込みそうな宛先は何ヶ所かあった。

 真っ先に浮かんだのが、佐藤の家。

 しかし、彼女は自分の身体の異変に気づいているようだった。動物たちを襲っていることも。果たしてそんな時に、大切な人がいる場所に行くだろうか。


 となると、今回は人気が少ない場所だ。

 これは悩んだ。夜だから人気のない場所は山ほどある。

 佐藤が選びそうな場所はどこかと考えて、この公園を選んだ。

 静かで住宅街から近い。安心できる場所が近くて、けど公園の中は暗くて怖い。

 そんなアンバランスさ。

 日常が崩れてしまった少女が選びそうな場所。


「立てるか? 移動しよう」


 ここに居たら氷上に追いつかれる。いや、それは、どこに居てもそれは同じか。きっと彼女は逃してくれない。なんだよそれ、ホラゲーかよ。


 唖然とした様子の彼女は差し出された俺の手を見つめ続ける。

 あの、手を取ってくれないと恥ずかしいんですけど……。


「櫻木くん、だよね? 神里さんの幼馴染の」

「……間違ってないけど、その覚え方はやめてくれ」

「え、なんで?」


 だってほら、芸人とかであるじゃん。有名な方の相方みたいな覚えられ方。そんな感じがするんだよ。

 コテンと首を傾げられる。その純粋な瞳にくだらないプライドを喋ることは出来ず、わざとらしく咳き込む。


「ゴホン。それよりも、早く行くぞ」

「行くって、どこに……?」

「どこって、それは」


 俺の家は……、今は香織がいる可能性があるからダメだな。

 じゃあ、街まで行くか。そこまでの道のりで、氷上に襲われたら逃げ切れる気がしない。

 あれ、ここから動けなくね?


「……もしかして、ここが1番安全かよ」


 がっくりと肩を落として、その場に座り込む。


「汚れちゃうよ」

「いいよ。どうせクリーニングが確定してる」


 こんな状況なのに、人の服の汚れを気にするなんて大物かこいつ。


「……頭痛は大丈夫か?」


 目の前に座る彼女の容体を確認するべく、そんな質問をしてみた。


「うん。今は大丈夫。ちょっと頭が重いだけ」


 それはそうだろうな。スライムが脳に寄生しているわけだし。


「ねぇ、櫻木くんは、私の身体になにが起きてるか知ってるの?」

「……さあな」

「嘘が下手だね」


 ジトっとした視線を向けられる。

 けど、ここでスライムに寄生されてますなんて意味わかんないこと言って、頭おかしい奴だと思われたくない。最悪、パニックになる可能性もある。


「救ってくれるってどうやって?」

「検討中」


 言っても信じて貰えないだろうし。言わない方がいい。


「信じてもいいの?」

「裏切られても怒るなよ」


 佐藤の命は救う。そう決めたが、その責任は取れない。

 なんて適当なんだと自分でも思う。けど、仕方ないだろ。香織みたく上手く嘘なんて吐けないんだから。

 小さくため息を吐いた彼女は、俯きがちに漏らす。


「どうしてなんだろう……」

「何がだよ」

「私って普通に生きてきたんだよ。普通の学校に通って、普通の友達を作って、普通に友達と遊んで、普通に勉強をして……、そうやって普通に過ごしてきたのに、なんで今更」


 なんでか。そんなの俺が聞きたいぐらいだ。

 普通に生きていたはずなのに、俺は初恋の人は、理不尽すぎる理由で失ってしまったのだから。そして今も、こんな絶望的な状況に陥っている。


「私が悪いことをしたの? それとも普通に生きるのって悪いことなの?」

「それは……」

「そんなわけないでしょう」


 突然、冷たい声が割り込んだ。


「佐藤ッ!」

「きゃあッ!」


 声の方向に振り返ることすらせず、咄嗟に目の前の佐藤を押し倒す。

 右腕に冷たい衝撃が走った。


「冷た……ッ!」


見れば、酷い凍傷のような痕が出来ている。


「櫻木くん、腕……!」

「気にすんな。夏だから丁度いい」


 短く息を吐いて立ち上がり、こんなことをした張本人、氷上舞姫へと向き直る。


「もし不条理に遭うのが、悪いことをしたからとでも言うのなら、死ぬのはあの子じゃなくて私だったもの」

「盗み聞きかよ。趣味が悪いな」


 いつの間にか、15mもない距離に氷の魔女がいた。

 ほんと、いつの間にだよ。急に出てくんなよ。心臓に悪いだろ。


「……また邪魔をするのね。次はないわよ?」


 俺を見て、底冷えするような声で、氷上は俺を睨め付けた。


「ひょ、氷上さん……」


 立ち上がった佐藤も強張った顔で氷上を見つめる。

 その視線を一瞥し、氷上は淡々と告げた。


「佐藤さん、苦しまずに終わらせてあげるから」


 そういうことはせめて詐欺のような笑顔を向けていってやれよ。

 氷上が鞄から取り出したものは魔力の結晶。

 オーバーキルもいいところだな。


「殺さないって選択肢は無いのかよ」


 俺の言葉を無視してゆっくりと近づいてくる。


「佐藤は救う」


 立ち塞がるようにした俺に氷上は煩わしそうに顔を歪めた。


「次はないと言ったはずだけど?」

「そうなったら、コンテニューさせて貰うだけだ」

「……本当に不愉快ね」


 氷上は手に持った結晶を砕いた。

 冷気が集まり出して、空気の水分を凝固させ形を作り出す。

 それは巨大なツララだった。人の膝から脚ぐらいまでの長さがある。先端の鋭利な部分を向けて、俺の周りを取り囲んでいた。

 軽く先端に触れただけで指先から血が出る。

 殺意マシマシだ。動いたら刺されるってやつかよ。


「やっぱり容赦ないじゃねぇか」

「静かにしてなくてもいいから、邪魔はしないで」


 氷上は俺から視線をはずして佐藤へと近づく。


「氷上さん、待って」

「ごめんなさい」

「お願いだから」

「一瞬だから」

「い、いや。死にたくっぅ!」


 突然、佐藤の顔が歪んで、頭を抑えた。


「い、いた、痛い……! んあっ、あああああああッ!」


 頭を掻きむしるようにして、佐藤は絶叫を上げる。


「……どうやら目覚めてしまったみたいね」

「スライムか」

「ええ。これで貴方の救いたかった佐藤さんは遅かれ早かれ、いなくなるわ。それなら、少しでも早く楽にしてあげた方がいいでしょ」


 氷上が鞄から結晶を取り出した。

 彼女の言ってることに間違いは恐らくない。魔力の足りないスライムは佐藤の脳を食い切る。

 そしたら佐藤は死ぬ。氷上が殺さなくても。ならば、今の苦しみを救うためにスライムごと凍らせて終わらせた方がいい。

 その理屈はわかる。理解できる。


「……けど、救うって言ったんだよ」


 手を伸ばして、今まさに魔法を使おうとした氷上の腕を掴んだ。


「なっ、貴方、本当に馬鹿なの!?」


 驚愕した氷上の顔が映る。


「誰のせいだよ」


 視界が赤く歪む。氷上の服に俺の血がついた。

 本当に切れ味抜群だったな。

 あのツララの檻から無理矢理出てきたせいで、身体中、傷だらけだ。

 真っ白いワイシャツは真っ赤に染まり始めてる。


「今すぐ治癒を……!」


 氷上の言葉を無視して佐藤に近づく。


「痛い痛い痛い痛い! うあああああああッ!」


 叫ぶ彼女。

 目が充血して、口からはスライムの触手が伸び始めていた。化け物に変身でも始めそうだ。


「櫻木くん、危ないから離れなさい! 本当に死ぬわよ!」

「あああああああッ! に、逃げてぇぇぇ!」

「やっぱり、お前凄いよ。全然普通じゃない」


 こんな状況でも俺の心配とか、普通どころか異常だ。だから、スライムに選ばれてしまったのかもしれないが。

 ただ、それは妬ましい。選ばれなかった俺には羨ましい。

 だから、佐藤、


 お前のその特別、俺が貰うな。


 一歩、一気に彼女と距離を詰めた。叫ぶ彼女の口から出るスライムが俺にも襲い掛かろうとして、


「んんっ!? んー! んー!」


 無理矢理に叫び声を封じられた佐藤は驚きで、目を瞬かせる。


「な、何をして……!」


 背中から本気で困惑した氷上の声が聞こえてきた。

 当たり前の反応だ。だって、俺は今、佐藤とキスをしているのだから。


「んんっ、んんんっ!」


 佐藤の手が俺の跳ね除けようとするが、彼女の肩を抑えて逃がさない。

 彼女の口内に舌を捻じ入れて、先程見えた触手を探し当てて無理矢理に絡ませた。

 舌で触手を引っ張るようにしたら、ずるっとスライムが俺の口内に侵入してくる。


「ん、んんっ、お、おえっ……!」

「んぐっ、んんんっ! んぐ……、んんっ!」


 大量のところてんを口に入れたみたいな感覚だ。

 気持ち悪い。吐き出しそう。そんなのが数秒続いたあと、その感覚は無くなった。

 どうやら、彼女の中に寄生していたスライムは俺へと住居を移したようで、佐藤は力尽きたように崩れた。

 あとは後遺症が残ったりしないことを祈るばかりだ。それは氷上が治癒魔法でなんとかしてくれると信じよう。


 それしても、めっちゃ頭痛い。昼間とは大違いだ。ずっと金属バットのフルスイングで殴られているみたい。こんな状況でよく理性保ててたな佐藤は。


「理解できないわ。それで彼女を救って貴方は死ぬというの……?」


 困惑したままでありながらも、氷上は結晶を構える。終わらせるつもりなのだろう。

 ただ、彼女に俺殺しなんて、こんなくだらない罪を負わせる気にもならない。

 動かそうとした手が震える。スライムが身体を乗っ取ろうとしていた。必死にズボンのポケットからあるものを取り出す。

 急がなくては。まだ乗っ取られる前に。


「氷上……、片付け、頼むわ」

「え……」


 氷上がその言葉の意味を理解するよりも早く、俺は彼女がくれた魔力の結晶を口に放り込んで噛み砕いた。

 魔法を行使する準備も何もしてない。それによって起きることはただ一つ。魔法の暴走だ。


 視界が点滅すると同時に、俺の意識は弾け飛んだ。

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