第14話 氷姫は罪人を裁き続ける

 氷の華が咲く。

 彼女に襲いかかった犬が、一瞬で内側から張り裂けた。巨大な氷塊が、犬の肉や骨を破って、出現する。アスファルトに赤と緑の混じった液体が飛び散った。


「これで大体半分ってところかしら」


 氷上は余裕な笑みを浮かべて、肩にかかった髪をさらっと払う。

 彼女の周りには物言わぬ死体が大量に出来上がっていた。

 先程の犬と同じく、体内から氷を生成されて、張り裂けたもの。冷気によって身体の芯まで凍らされたもの。


 数はスライム側が圧倒的に有利だったはずなのに、いざ戦闘が始まって見れば、氷上による虐殺とさえいえるような光景が待っていた。


 彼女に触れられたものはいない。

 近づいただけで、彼女の纏う冷気がスライムたちを凍らせていた。

 かといって、逃げ出そうとすれば、それすらも彼女は許さない。


 背を向けて逃げ出そうとした体勢のまま、凍りついてしまった動物の彫刻が、既に何体も出来上がっていた。


「容赦ねぇ……」


 小さく呟いた俺の言葉に、氷上は少しだけむっとした様子で返す。


「ちゃんと加減はしているわ。反抗するチャンスをあげてるもの」


 それは果たして優しさなのだろうか。こいつに道徳の教科書を読み聞かせてやりたい。

 この相手を舐め腐った傲慢さといい、返り血ひとつ浴びていない優雅さといい、正に氷姫といった感じだ。氷を操る女王。氷の魔女なんかよりもずっと似合ってる。


「なあ、氷上。まだ助かるやつは」

「いないわ」


 助けてやって欲しい。そんな俺の願いは全てを言い終える前に、彼女によって切り捨てられた。


「操られている時点で脳までスライムが侵食しているもの。もう助からない」

「俺の時にはなんとかなったろ」


 話している隙を突こうとしたのか、1匹の猫が口を開き、そこから伸びたスライムの腕が、氷上を襲う。

 しかし、彼女はそれを視界に入れることすらせず、腕を軽く振るっただけで、猫ごと凍らせてしまった。

 また一つ氷の彫刻の出来上がりだ。

 氷上が手に持っていた魔法陣の描かれた紙は白紙となり、彼女はそれを肩にかけた鞄の中にしまう。


「言ったでしょ。運が良かったって。普通は脳に侵入された時点で死んだも同然なのよ」

 

 スライムたちは、今度は氷上の周りを囲んでいった。

 どうやら自分たちが不利な状況だと悟って、作戦を立てたらしい。

 囲んで一斉に襲うのか。それとも、隙をついて1匹でも多く逃げ出すのか。

 囲まれても氷上は焦る様子一つ見せず、それどころかつまらなそうに口を開く。


「随分と面白くない手ね。ゴブリンの方がもう少しまともな作戦を立てるわよ?」


 鞄から小さな結晶を取り出すと、空に放り投げた。

 直後、氷上を取り囲んだ動物たちの身体を、空から降ってきた氷柱が貫く。

 一瞬の出来事だった。

 バタバタともがき苦しんだ後で、1匹も残らず動かなくなる。


「死に際に叫ぶことすら出来ないなんてそんなのただの肉塊じゃない。それとも、貴方はそれでも助けろと言うつもり?」


 一瞬で何体も葬った彼女は、俺に疑問の視線を投げかけてきた。


「……それでも、救いたいと思うのが人間だろ」

「残念ながら、私は魔女よ。人間じゃないわ」


 俺の回答に少し呆れたようにため息を吐く。

 鞄から魔法陣の描かれた紙を新たに取り出して、更にまた一体、猫を凍らせた。


 彼女の言ったいることはどこまでも合理的で正しい。

 それでも、俺は出来るなら救いたいと思ってしまう。大切なモノを失ったり、失った人を見たりするのは嫌だから。


 残ったのは3匹の動物と、佐藤に寄生した親玉スライムのみ。

 今しがた作り上げた死体の山を一瞥して、氷上はゆっくりと近づいていく。

 佐藤は動物たちを盾にするように後退りした。


 スライムたちに感情があるのか知らないが、氷上に襲い掛かろうともせず、その身体を震わせている。まるで彼女を恐怖して、体がすくんでいるようだ。

 氷上は、鞄から魔法陣の描かれた紙を再び取り出した。


「さて、残ったあなた達はどうするつもりなのかしら?」


 コテンと可愛らしく首を傾げながら、その瞳は冷たくスライムたちを見据えている。


「ば、化け物……」


 佐藤の口から言葉が漏れる。

 それは寄生しているスライムが漏らしたのか、佐藤本人が言ったのかはわからない。

 その言葉に、氷上は不快そうに眉を顰めた。


「スライムに化け物呼ばわりされるとは思ってもいなかったわ」


 氷上が右腕を佐藤たちに向けて握ると、残った3匹の動物が弾けた。

 動物たちがいた場所には大きな氷塊が3つ転がる。


 スライムの気持ちなんて分かりたくもないが、化け物と言いたくなるのも理解できてしまった。

 あんなのチーターみたいなものだ。戦っている世界が違いすぎる。勝ち目一つ見つからない。

 スライムなんかより、氷上の方がよっぽど怖い。

 敵じゃなくて本当に良かったと、心の底から思う。


 真っ白くなった紙を、魔法陣の描かれた紙と交換して、氷上は少しずつ佐藤に近づく。


「ち、近づく、なッ!」


 佐藤は手に持つ金属バットを氷上に投げつけた。

 スライムによって肉体が強化されているのか、女子とは思えない力で投げられたそれは、猛スピードで氷上に向かっていく。

 人間が当たればひとたまりもないし、受け止めたとしても大怪我間違いない。しかし、それを氷上は作り上げた氷の壁で易々と防いでしまった。


「最後の悪あがきとしてはつまらなかったわね」

「あっ……、うあああああッ!」


 佐藤の両手が頭上に掲げられ、赤く光出す。

 あの光り方は、氷上の使う魔法陣とよく似ていた。


「魔法……!」


 知能を持ったスライムは魔法を使う。そんな氷上の言葉通り、このスライムは魔法を使えるようだ。

 佐藤は赤く光輝く腕を振り下ろした。


「アグニスフレイムッ!」


 氷上が立っていた位置を中心として、巨大な青い炎が燃え上がる。

 渦を描くようにして、飲み込んだ獲物を燃やし尽くそうとしていた。

 この距離でもその熱さが伝わってくる。

 そんな炎に氷上は飲み込まれた。


「氷上ッ!」


 彼女は氷の壁を作るために、魔法陣の紙を使ったばかりだ。恐らくその隙を狙った一撃。しかも、氷と相性の悪い炎魔法だ。

 不味いかもしれない。

 しかし、そんな心配は杞憂だったようで、次の瞬間には、炎は全て凍りついていた。


「へぇ、最上位の炎魔法を使うのは驚いたわ」


 凍りついた炎の中から少しだけ感心した氷上の声が聞こえる。


 最上位ってスライムが使っていい魔法じゃないだろ。あと、最上位の炎って凍るんですね……。


 凍りついた炎にヒビが入っていき、砕け散る。

 中からは普段と全く変わらない氷上が涼しげな顔で立っていた。


「魔法陣を使ったタイミングを狙ったのはいいけれど、私、魔法陣が無くても魔法を使えるの」

「あっ、あ、ああ……」


 後退りした佐藤は躓いて尻餅をつく。

 その顔は恐怖に歪んでいた。


「動物たちを食べて得た魔力かしら。スライムは魔力を溜め込むことだけは得意だから」

「い、いや……! 死にたくない……」


 目尻には涙を浮かべて助けを求める佐藤。

 それは先程までのスライムに寄生されていたものではなく、佐藤本人によるものに見えた。

 そんな佐藤を見て、氷上は目を細める。


「スライムは魔力切れで休眠にでも入ったのね」


 それじゃあ、今は佐藤の自我が戻っているということか。


「氷上! 佐藤はまだ理性が残ってたんだ。まだ助かるかもしれない!」


 動物たちと違って、佐藤だけは操られきっていなかった。なら、助かる可能性があるはずだ。

 氷上と佐藤に駆け寄ると、彼女は首を横に振った。


「助からないわ。そう言ったはずよ」


 返ってきたのは至って冷静で、慈悲のない言葉。


「スライムは脳内に棲みついているの。しかも、貴方の時よりも深くにね。今更、取り除くなんて不可能よ」


 氷上は全てを終わらせようと、鞄から魔法陣の描かれた紙を取り出す。


「待てよ! そんなことしたら、佐藤ごと死んじまうんだろ!」


 彼女の動きを止めるようにその腕を取った。

 しつこいと言わんばかりに軽く睨みつけられる。


「……まさか、スライムの味方でもするつもり?」


 氷上の冷たい視線が俺を射抜く。これ以上、邪魔をするなと訴えかけていた。


「そうじゃない。ただ、佐藤が死んだら、お前も不味いだろ」

「それなら問題ないわ。佐藤さんの死体は、一生見つからないもの」


 佐藤の手に持つ魔法陣が光ったかと思うと、凍りついていた動物たちが砕け散った。

 砂のような細かさになった氷は、風に運ばれて消えていく。


 地面についた血さえも凍りついて、目に見えない小ささに砕かれていった。

 なにも残ってない。動物たちが死んだ痕跡が全て消えた。

 これじゃあ、ここで何か起きたなんて誰も知り得ない。


 唖然としている俺に氷上は淡々と言葉を紡ぐ。


「死体はこうやって処理すれば、誰にも気づかれることはないわ。彼女たちは永遠に失踪したまま。仮に気づかれたとしても、その人の記憶だけを改竄すれば済む話よ」

「けど、それじゃあ、佐藤を救えないだろ……!」


 佐藤を助けるために動いていたというのに。

 俺の言葉に氷上は怪訝そうな顔をした。


「そもそも、私は言ったかしら? 佐藤さんを助けたいなんて」


 は……? 

 なんだよ、それ。なにを言ってるんだこいつ。

 佐藤が死んだら不味いって、言ってたのはお前だろ。


「私の手のかからないところで死なれると証拠隠蔽が出来ない上に、余計な犠牲者が生まれる可能性があったから困るけれど、今なら話は別よ」


 つまり、今なら佐藤を殺してもなにも問題はないってことかよ。

 予定通りと言わんばかりの発言に、彼女を睨みつける。


「最初からそのつもりだったのかよ!」 


 佐藤ごと犯人を殺すつもりで動いていたとでも言うつもりか。


「勘違いしないで。助かるのなら、その方が良かった。けど、最善なんて取れないものでしょ?」


 どこまで正しく冷静に氷上は答えを選ぶ。

 ここで佐藤を助けようとしても無駄に終わる可能性が高い上に、余計なリスクを生むと。


「だからって、簡単に選べるわけないだろ……!」


 さっきの動物たちだって本当は助けたかった。手遅れじゃなかったらなんとかしたかった。


 佐藤はまだ間に合うかもしれないんだ。佐藤の自我は残っているんだ。なのに、最善を取れないから諦めろなんて言われて納得できるわけがない。


「……それで言いたいことは終わり? なら、腕を離してもらえるかしら」


 俺に掴まれた腕を見ながら、氷上は素っ気なく告げる。


「離したら、佐藤のこと殺すだろ」

「あれは佐藤さんじゃないわ。ただのスライムよ」

「佐藤の理性は残ってる」

「時間の問題よ。次にスライムが目覚めたら佐藤さんの脳を喰らう」


 俺も氷上も強情で折れることはない。だから、話は平行線だ。

 互いに睨み合う。


 勘違いしてた。こいつは確かに敵ではなかった。けど、味方でもなかった。

 俺と氷上では根本的な目的が違った。それに気づかなかったせいで、こんなところで最悪な展開を迎えていた。


「佐藤、逃げろッ!」


 後ろの佐藤に向かって怒鳴る。

 呆然と立ちすくんでいた彼女だが、困惑したようにしながら離れるように走り出した。

 スライムが休眠状態とはいえ、寄生されているおかげか、その速度は人間離れしていた。


 軽く舌打ちした氷上は、逃げる佐藤の背中を見つめた後、俺に視線を戻した。


「今すぐ離しなさい。そしたら、許してあげるわ」

「許しなんていらない。佐藤は助ける」

「……そう。なら、協力関係もここまでね」


 その言葉と同時に氷上が瞳を閉じると、鳩尾に冷たい一撃が走った。


「がっ……!」


 息が出来ずに、彼女の腕を離してうずくまってしまう。

 見れば、服が凍りついていた。


「言ったでしょ。魔法陣なしでも魔法は使えるって。もちろん、動作なしでもね」

 

 冷気による殴りとか、本当になんでもありだな……!

 失望したような視線を一瞬向けてから、氷上は彼女を追うように歩き出した。


「待てよ……! はぁ、はぁ、話は終わってない……!」

「話すことなんてないわ。……不適合者なんかとね」


 彼女に向かって腕を伸ばそうとするが、それは届かずに空を切る。


「全て終わったら、ちゃんと記憶を消してあげるから」


 その言葉だけを残して、一度も振り返ることなく、氷上は立ち去った。

 鳩尾に重い魔法を入れられたせいか、痛いし、冷たいし、苦しい。最悪な気分だ。


「けど、あの時のほどじゃないだろ……!」


 初恋の人を自分の手で失った時に比べたら、こんな痛みは大したことない。

 気合いをかき集めて、なんとか立ち上がった。

 吐き出しそうな気持ちを抑えて、2人が消えた先を見る。


 きっと佐藤は逃げきれない。逃げきれたとしてもスライムが寄生している限り未来はない。

 そして、氷上も佐藤を逃さないし、俺には彼女を止められない。

 なら、俺がするべきことは何か。その答えは既に決まっている。


「氷姫。不適合者にしか出来ないこと見せてやるよ」


 自虐的で皮肉げな言葉を呟いて、俺も駆け出した。

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