第10話 魔女の家に招待されました

「お、お邪魔します……」


 試験終わりの放課後、冗談だと思っていたお家デートなるものは本当だったらしく、今まさしく、氷上の自宅にお呼ばれしていた。


 そんなにのんびりしてていいのかとは思ったが、氷上曰く、


「昼間から犯行が行われているならとっくに見つけているわ。犯行が行われるなら、夕暮れから夜。人通りが少なくなってからよ」


 とのこと。

 言われれば確かにその通りで、反論のしようがなかった。

 そして、それに向けての準備をする必要があるとのこと。


 というわけでやって来た彼女の自宅は、2階建ての一軒家だった。

 玄関に上がっただけで膝が震えてくる。風邪か。風邪かもしれない。というわけで、帰っていい? 別に準備なら俺いなくても良くない?


「なんでそんなに緊張しているの?」

「……うるせぇ。仕方ないだろ」


 女子の家とか幼馴染の香織の家以外、上がったことすらないんだぞ。

 しかも、相手があの氷姫ともなれば緊張はして当然。緊張しなければ失礼なぐらいだ。


 昨日から続いている頭痛と相まって、ちょっと気持ち悪いぐらい。出来れば今すぐトイレに駆け込んで出てきたくない。


「まさか、デートって言葉、本気にしてる?」

「ま、まっさかぁ!」

「なんでそんなに声が上擦っているのかしら……」


 本気になんて全然してない。ただ、試験中も気になっていたのと、頭痛のせいで、得意な数学で散々な結果になりそうな気がするが、全然本気になんてしてない。


 自分でも引くぐらい震えた手で、靴を脱いだ。

 そんな様子を見ていた氷上が、小さく笑って一歩近づいてくる。

 ちょっ、近い近い! 吐息すら聞こえてきそうな距離で、彼女は俺の瞳を覗き込んで怪しく微笑んだ。


「それとも、いまから本気にしてみる? 私はどちらでも構わないけれど」


 誘うような口調で耳元で囁かれた。

 花のような甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 心臓の鼓動が早い。


「う、あ……」


 思考が纏まらず、呻くように声を漏らすと、彼女はクスリと笑った。


「いかがかしら。魔女の籠絡テクは」


 パッと俺から離れて、氷上は楽しそうな表情を浮かべた。


「魔女の言葉を簡単に鵜呑みにしちゃダメよ。実験材料にされるだけだから」

「ほ、本当に素敵な魔法使いだな……」


 あんなの男なら誰でも引っかかるだろ。顔が真っ赤になっている気がした。


「ふふ、そこまで反応が良いとやった甲斐があるわね」

「心臓に悪いんだよ……」


 嘘だと分かっていても、氷上の美貌と合わさると強力すぎる一撃だ。加えて、普段から学校で猫を被っているだけあって演技力も抜群。

 氷上と距離を取って、高鳴る心臓を落ち着かせる。


「そもそも、魔女にそんなテクニックいるのかよ」

「もちろん。人間との友好的な関係を築いて、操るのは大事なことよ」


 友好的な関係を築くことが目的ではなく、操ることが目的なんですね。どこが友好的なんだよそれ。


「だから、これからも、仲良くしましょうね?」

「……ここまでの話聞いて頷くやついねぇよ」


 上目遣い気味に可愛く言われたところで、頷くわけない。だから、鎮まれ俺の首! 縦に振ろうとすんな! ステイ!

 妖艶に微笑んだ彼女は、玄関から1番近いドアを開けた。


「こっちよ」


 通されたのはリビング。

 ソファにテレビ、ダイニングテーブルに、システムキッチンと、置いてある家具などは至って普通のものだ。シック調にまとめられた家具からは上品で落ち着いた氷上の性格のような印象を与えてくる。


「両親は仕事か?」

「ま、そんなものね」


 少し含みのある言い方だった。気になるが、それよりも早く氷上が口を開いた。


「ここで待っていて。少し準備をしてくるから」

「準備?」


 なんの準備だ。実験?

 実験材料は俺とか言わないだろうな。


「部屋の中が片付いてないのよ。少し整理する時間を頂戴」

「別にそんなの気にしないぞ」


 片付いてないと言っても氷上のことだ。きっと一般的な汚いよりも十分綺麗だろう。


「本当に?」

「ああ。別に俺の部屋も綺麗なわけじゃないし」

「場合によっては、魔法が暴発して部屋中凍りつく可能性もあるけど、本当に気にしない?」

「それはめちゃくちゃ気にするのでゆっくり片付けてきてください!」


 命の危機があるパターンは想定してなかった。部屋中が凍りつくようなものを部屋の中に放置しておくなよ。


「それじゃあ、ごめんなさい。そんなにかからないと思うから」


 そして、俺一人がリビングに残された。


 さて、待っていろと言われたが、人の家だとなんとも落ち着かない。

 立っているのもあれなので、おずおずとソファに座る。うわ、ふかふか。絶対高いやつだろこれ。


 ソファには可愛らしい黒猫のクッションが置いてあった。

 氷上の趣味だろうか。黒猫ってなんてテンプレな魔女グッズ……。


 もしかしたら、このソファに座って、この黒猫のクッションを抱きながらテレビでも観てるのかもしれない。

 なんだそれ。クソ可愛い。想像だけで可愛い。ギャップがやばい。その光景を見たらニヤニヤしちゃってキモがられるやつだ。その上できっと記憶消される。こわっ。


 今の想像は決して世に出すことなく、頭の中に留めておこう。口にすれば碌なことにならないと、俺の直感が告げている。


 しかし、見てみれば、この黒猫のクッション以外、ほとんど飾り気のない部屋だ。本当に必要最低限の物しか置いてない。

 写真一つ飾られてない。少し寂しさすらある。

 生活感が無いわけじゃない。ただ、なんとなく、ここで普段過ごしてないんだろうなと感じられた。


 家の中の観察と評論なんてものはすぐに終わってしまい、すぐに手持ち無沙汰になってしまう。

 暇なので、鞄からスマホを取り出して、待っている間に失踪事件の新情報なんてないだろうかと調べてみることにした。

 しかし、それらしい情報は一切見当たらない。


 今思えば、昨日あんなに都合よく投稿を見つけられたのは随分と運が良かったのだろう。

 恐らくあの写っていた猫と、俺が昨日追った猫は同一のもの。

 だとすれば、俺が犯人だと思ったあの人影は、もしかしたら被害者の佐藤さんだったのかもしれない。

 操られているのであれば、追ってきた俺を襲ってきても特段おかしくはない。


 取り逃してしまったのが悔やまれた。

 少しばかり昨日のことを考えていたら、ズキンと釘が打ち込まれたような痛みが頭に響いて視界が歪んだ。


「……っぅ!」


 本当に頭痛が酷い。外傷は治っているはずなのだが、内側まで響いてしまっているらしい。

 この痛みの借りはぜひ返してやりたいところだ。


 そんなところで、ドアが開いた。


「お待たせ。準備出来たわ」

「ああ。わかっ……、た……」

「どうかしたの?」

「いや、着替えたんだなと思って」


 驚いて一瞬固まってしまった。

 戻ってきた氷上の格好はいつもの制服ではなかった。

 白い薄手のブラウスに、青色で長めのスカート。上品で清楚なイメージを抱かせる格好。

 どこぞのお嬢様のようにすら見えてしまう。


 いつもとは違う彼女の格好に一瞬ドキッとしてしまったのは、きっと考えすぎで、疲れていたからだろう。


 しかし、薄着だとその胸元がだいぶ強調されますね。

 制服時のセーターを着ている時にも、大きいと思っていたが、薄着だと更に際立つ。


「制服のままだと少し暑くて。暑いのはあんまり得意じゃないのに……」


 それは少し意外だった。

 夏前なのにセーター着ている女子は少ないから、てっきり暑いのに強いものなのだと思っていた。

 そんな俺の思考を読んだように、氷上は言葉を続ける。


「セーターは脱ぐと男子が邪な視線を向けてくるから嫌なのよね。……今の貴方みたいに」

「……なんのことかわからないけど、気をつけます」

「ええ。よろしく」


 冷たい視線を向けてくる氷上から必死に視線を逸らす。

 親にエロ本見つかった時みたいな気まずさがあるんだけど。マジで帰りたい。空気地獄すぎる。


「さて、遅くなる前に準備を済ませましょうか。私の部屋に来て」

「あ、ああ」


 氷上について行くようにして階段を上る。

 家にお邪魔した時も緊張したが、部屋に入るとなると一段と緊張するな。


 2階に上がるとドアが二つ。

 恐らく片方が親の部屋で、もう片方が氷上の部屋なのだろう。そう思っていたら、氷上はそのどちらの扉にも手を付けることなく、そのまま廊下を進む。

 奥には壁しかない。


「この部屋よ」

「……どの部屋?」


 2択クイズ的な? 外れたら酷い目に遭うやつ?

 困惑した俺に気づいた氷上が、「あ、」と声を漏らす。


「ごめんなさい。結界を解いてなかったわ」

「え?」


 氷上が壁にしか見えない場所に触れて、小さく何か呟くと、今まで壁しか無かったはずなのに、そこには扉が出来ていた。

 なるほど。隠し部屋……。やばい。中二心がくすぐられすぎる。めちゃくちゃテンション上がりそう。

 氷上の手によって扉が開かれた。


「置いてある物には勝手に触れないようにして」

「ああ、わかった」


 魔女の部屋とかいうワクワクが止まらないワード。

 一体どんな感じなのだろうかと足を踏み入れる。


 広さ的には、先程のリビングと同じぐらい。だいぶ広い。

 壁には小物が置かれた棚と、本棚。加えて、チェストに、勉強机のようなテーブルと椅子。

 置いてある家具自体はそこまで多くない。しかし、向こうのリビングとは違って、こちらは大量のモノが床に置かれているせいで、少し狭いように感じる。

 置いてあるモノのほとんどは大量のノート。俺の腰ぐらいの高さまで積み上げられていた。


 1番上のものを手に取って開いてみたら、俺の全く知らない言語でびっしりと文字が書かれていた。


「勝手に触らないでと言ったばかりだと思うのだけれど」

「……悪い、つい。それで、これってなんだ?」


 好奇心が抑えきれずついつい手に取ってしまった。小さくため息を吐いた氷上が俺の持っていたノートを回収する。


「魔術書の写本」

「写本?」

「ええ。向こうの本はこちらに持ってこれなかったから、覚えている限り書き写したのよ」

「……こんなたくさんにか?」


 何冊のノートが使われているんだ。壁の本棚もノートだけだし、何百冊いや、何千冊のノート全てが写本だと言うのか。


「どんな記憶力しているんだよ……」

「数百年間読んでたモノだもの。そうそう忘れないわ」

「数百年ねぇ……、数百年ッ!?」


 そういえば異世界にいる時のこいつの話は全然聞いてないが、数百年も生きていたのか。


「そんなに驚くこと?」

「驚くだろ。魔女ってそんなに長生きなのかよ」

「そういうわけでもないわ。私は氷の魔法で自分の肉体の時間を凍らせていたから」

「よくわからんけど、氷上が凄いことはなんとなく伝わった……」


 そんな当たり前に不老不死みたいな真似している時点で凄い魔法使いだったのだろう。


「あそこに置いてある小物は?」


 棚を指差して尋ねる。

 棚に置いてある小物は、俺には用途すら検討もつかないものばかり。所謂マジックアイテムというものだろうか。瓶に入った結晶のようなものも気になる。


「ねぇ、今日の本題忘れてない?」

「本題……?」


 頭痛でもするのか、氷上は頭を押さえた。


「失踪事件の犯人を追う準備をするって話だったでしょ」

「……忘れてるわけないだろ」


 ちょっとテンションが上がって記憶飛んでただけだ。

 仕方ないわねと、氷上は棚から瓶を取って、中身を一つ取り出した。一応、説明はしてくれるんですね。

 入っていた結晶は、四角い透明な飴のような形をしていた。


「これは私の魔力の塊」

「魔力の塊?」

「そう。これ一つでプールひとつぐらいなら一瞬で凍らせられるわ」


 ほう。プールを一瞬で。

 凄いんだろうけど、なんかピンと来ない。


「他には何か出来ることないのか」

「大気の水分を凍らせて氷を作ることも出来るし、あと、人間相手に使えば……」

「使えば?」

「身体の内側から氷がポンって感じかしら」


 可愛い擬音の割にやってることがえげつない……。

 めちゃくちゃ危険物じゃねぇか。なんでそんなものを百均に売ってそうな瓶に入れてあるんだよ。


「そんなに怯えなくても大丈夫よ。これ自体は魔力の塊でしかないから。これを媒体にして魔法を使わない限り、なにも影響はないわ」


 よくある魔法ポーションみたいな、魔力回復アイテムということなのだろうか。

 とはいえ、怖いものは怖いわけで。そもそも、こいつこの前、紅茶凍らせてるからな。これ持ってる時に、同じ感じで内側からポンッとかされたらと思うと全く安心できない。


「よし。わかった。とりあえずそれは棚に戻そう。そして、準備を始めよう」

「……実演したかったのに」


 俺の必死な言葉に氷上は少しだけ不服そうにしながら棚に戻した。意外とノリノリだったんですね。実は説明するの楽しんでただろ。

 棚のモノについてこれ以上聞くのは危険な気がするので、本題に入ることにした。


「そういえば、準備ってなにするんだ?」


 未だに具体的な内容は聞いていなかったことを思い出す。


「準備と言っても大した内容じゃないわ」


 ほう。ちなみに、そのセリフは本当に大した内容じゃないパターンと、実はめちゃくちゃ面倒な内容っていうパターンがあるけど、大丈夫ですか。


「やることは貴方に魔法を覚えて貰うだけだもの」


 よし。これは後者パターンですね!

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