第12話 誰も彼もが秘密を抱えている
倒れていた身体を起こす。
魔法を使ったせいか、どっと疲れが出た。身体が少し重い。
「それにしても、あの程度の魔法一回で倒れてしまうなんて、体力が無いか、よっぽど相性が最悪なのね」
俺が凍らせたドアレバーを眺めながら、氷上はそんなことを呟く。
「体力はあるつもりだよ」
「じゃあ、絶望的な相性なのね」
「なにせ不適合者だからな」
「そんなドヤ顔で言うことかしら……」
絶望的な相性という氷上の見立ては恐らく正しい。
魔法を使った瞬間のあの白くなった視界。
あれはヤバいものだった。身体が拒否反応を起こした結果。
女神が言っていた。
異世界転生したら身体が爆発したり、呼吸できなくなると。あの感覚がきっとそうなのだろう。
氷上は自衛のための最終手段なんて言っていたが、あれじゃあ自衛にすらならない。魔法を使うのはただの自殺行為だ。
魔法陣と結晶を1つずつくれるらしいが、使うことが出来ない。
人間爆弾とかになんてなりたくないし。
異世界転生どころか、魔法すら許されないとは、なんて酷い体質なんだ。男のロマンを2つも奪いやがって!
少しふらつきながら立ち上がる。
「大丈夫? 随分と顔色が悪そうだけど」
少しだけ心配したように氷上がこちらを見た。彼女に気づかれるほど顔色悪くなっているらしい。
「大丈夫だ。頭痛がするだけだから」
その頭痛がちょっと酷いせいで、体調も悪いだけ。
ほんと、いつになったらこの頭痛は治るのだろうか。
「頭痛……」
氷上は小さく呟くと、俺の頭に手を近づけて、髪を掻き分けた。
「傷は治っているようだけど……。見えづらいから少し屈んで」
言われるがままに、少しだけ屈むと、診察でもするように氷上はマジマジと見てくる。
「あの時、ちゃんと治癒魔法はかけたはずなのに」
「おかげさまで傷は無いんだろ」
「ええ。外側の傷はね。けれど、内側は」
頭に触れている氷上の手が冷たくなっていった。淡い青色の光が彼女の手に集まる。
「なにやってるんだ?」
「内側を診るのよ。冷気を潜り込ませて異常を確認するわ」
「なんでもありだな本当に……」
氷魔法が有能すぎる。
他の魔法も応用次第で似たようなことも出来るのだろうか。
「普通はこんな使い方しないわ。今回は特べ……」
彼女の声が止まる。
氷上の顔を見ると、心底驚いたように、目を見開いていた。
「なにその表情、めっちゃ不安になるんだけど」
「え、嘘、なんで、そんなことが」
俺の言葉を無視して呟く氷上。
なに、俺の脳内どうなってんの。早く教えてくれ。不安で仕方がない。
「櫻木くん、ごめんなさい。少し痛いかもしれないけど、我慢して」
「え?」
氷上の言葉の意味を理解する前に、視界に火花が散った。
「ぐあああああッ!!?」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いッ!
今まで経験したことのないような痛みが脳を襲う。
脳内をミキサーでぐちゃぐちゃにかき混ぜられているような激痛。
叫ばないと耐えられない。部屋の中で俺の絶叫が響き渡る。
「あと少し……あと少しだから……!」
氷上の言葉の意味を考える余裕すらない。
続く痛みに意識を保つことすら限界だった。
痛みは更に酷くなって、視界が一気にブラックアウトする。
「やった! 成功した!」
遠くで氷上のそんな喜びの声が聞こえた気がした。
目を覚ましたら、ベッドの上だった。
ふかふかのマットレスの上で横になっていた。
身体には毛布がかけられていた。なんか嗅いだことのある良い匂いがする。
どこだ、ここ。
知らない天井なんて現実に起こるとは思わなかった。
情報を整理しようと身体を起き上がらせる。
「起きたのね」
「うわっ!?」
唐突に声をかけられてめちゃくちゃびっくりした。
氷上が椅子に座っていた。全然気づかなかった。
「思ったより早くに目が覚めて良かったわ。最悪、私一人で行かないといけないかと思っていたから」
少しだけほっとしたような表情を見せてくる。
そこでやっと脳が覚醒し、なにがあったのか思い出した。
「おい、なにが少し痛いだ! 激痛だったわ!」
人生初体験の痛みだった。あれほど痛いことは今後体験しないんじゃないだろうか。
「怒るのもわかるけど、その前に、体調はどう?」
怒っている俺に対して、氷上は至って冷静に尋ねてくる。
体調? 体調なんて……、別に身体は痛くないし、気絶する前の頭痛も消えていた。
「あれ……?」
「頭痛は治った?」
「ああ、けどなんで」
「頭痛の原因が無くなったからよ。ほんと、よく生きてたわ」
言って、氷上は封がされた小瓶を放り投げてきた。
慌てて、それをキャッチする。急に投げてくんなよ。落としたらどうすんだ。
中には緑色の液体みたいなのが入っていた。
「なんだこれ」
「スライムよ」
「え、スライム?」
マジマジと見てみると、中の液体は勝手に動き、瓶から出ようともがいていた。
スライムってもっと可愛いものだと思っていたが、こう見ると、なんか不気味だ。
「貴方の頭の中に寄生していた頭痛の原因。恐らく、昨日の夜の時に埋め込まれたんでしょうね」
「こんなのが俺の頭の中に……キモチワルッ!」
スライムって人の脳内に寄生するのかよ! 俺が知っているスライムより、だいぶヤバい生物だ。
「放っておいたら脳内を喰らい尽くされていたでしょうね。その前でも操られていた可能性はあったのに、運が良かったわね」
なんかさらっと、めちゃくちゃ恐ろしいことを言われた気がする。
スライムってもっと弱いモンスターのイメージなんだが。
「俺の脳内にいたんだよな。どうやって取り出したんだ?」
「脳にいるスライムを凍らせながら小さく砕いていったのよ。そしたら、命の危険を感じて、貴方の耳から出てきたわ」
「脳内で砕いたって、もしかして今の俺の脳内って、凍ったスライムだらけ?」
溶け出したらまた動き出したりしないよな。
「砕いたって言っても、目に見えないほどのサイズよ。放っておいても影響はないわ」
そこまで聞いて、やっとほっと出来た。
あの頭痛は数日もすれば治るものだとばかり思っていたが、どうやら氷上がいなかったら一生付き合うことになっていたようだ。
「ありがとな。あと、悪かった。さっき、怒って」
彼女に向けて頭を下げる。
「別に構わないわ。昨日の時点で気づかなかった私の落ち度でもあるもの」
氷上は俺の謝罪に対しては興味無さそうな反応を返しつつ、視線を俺の持つ小瓶に向けた。
「それよりも、これで犯人が判明したわね」
「もしかしなくても、こいつだよなぁ……」
瓶の中で蠢くこのスライム。
「スライムが犬や猫の脳内に住み着いて捕食してるんだわ」
氷上の話だと寄生虫のようなものなんて話だったが、それがスライムだとは思わなかった。
「これってスライムを操っている奴とかいたりするパターンか?」
「そこまではわからないわ。スライムが生きる為に勝手にやっている可能性もあるし。けど、親はいるでしょうね」
噂にあった1匹の犬に大量のペットがついていくというもの。あれは、スライムの親について行っていたということか。
「親は恐らく長い間生きて、知能を付けた個体よ。そうでなければ、こんなに痕跡が残らないわけがない」
「スライムって知能付けるとどうなるんだ?」
「喋ったり、魔法を使ったり……、あとは人間に擬態もするわね」
これが人間に擬態ねぇ……。
瓶の中のスライムがそんなこと出来るとは思えなかった。
「このスライムはどうする。何かに使うのか?」
「飼うわ」
「は、飼う?」
俺の脳内にいたスライムを?
「ありふれたモンスターとはいえ、スライムの液体は色々と使い勝手が良いのよ。肉と魔力さえ与えれば生きているでしょうし。名前でも付ける?」
「そんな愛着湧かないし、湧きたくないから遠慮する」
「そう。残念ね」
出来れば凍らせてしまいたいぐらいなのだが、氷上が取り出したものだし、彼女が飼うというならあまりとやかく言えない。
「絶対に逃すなよ。あと、最後までちゃんと責任を持って世話をしろよ」
「ペットじゃないんだけれど……」
呆れたようにため息を吐くと、氷上は椅子から立ち上がった。
「それよりも、そろそろ行かないと。スライム探しにね」
窓の外に目を向ければ、太陽は落ち始め、赤い空が見え始めていた。
「貴方が寝ている間に色々と作戦を考えたのだけど、時間が惜しいわ。詳しい話は探しながらにしましょう」
「ああ。わかった」
スライムの入った小瓶を氷上に返して、俺もベッドから降りる。
「……ここ氷上の部屋か?」
少し思うところがあって尋ねた。
部屋の中は学生の部屋という感じで、机と椅子とベッドと本棚。
装飾がほとんどないところとか、リビングに似ていた。
「そうだけど。それが、どうかしたの?」
「……いや、なんでもない」
氷上が普段使っているベッドの上で寝ていたのか。
その事実を理解してしまって、なんとも言えない気持ちになる。
誤魔化しの気持ちで、ベッドから目を逸らすと机の上に置いてある写真立てに目がついた。
写っているのは氷上と、もう1人の少女。
氷上と同じ黒髪だが、彼女とは違ってショートカットのボブ。
年齢は小学校高学年くらいだろうか。
氷上とよく似ていて凄く可愛らしい少女だった。
写真の中の氷上を見る限り、彼女が中学生ぐらいの頃に撮られたもの。
その少女は満面の笑みで氷上に抱きつき、それに対して氷上は少しだけ困ったような笑みを浮かべていた。
俺の視線がその写真立てに向いていることに気がついたのだろう。
彼女は写真が見えないように写真立てを倒した。
「あまり人の写真をジロジロと見ないで欲しいのだけど」
「今の子は……」
「妹よ。もう死んだけど」
簡素に氷上は告げる。
妹……。
彼女は感情を感じさせない声でその事実を口にした。まるで、どうでもいいことのように。
けど、ほぼ装飾のない部屋の中で、わざわざ飾ってあるくらいだ。
どうでもいい存在なんかじゃなかった筈だ。
「……そうか」
聞いておきながら、上手い返答なんて思い浮かばない。
どう答えたって正解にならないことぐらいわかっていた。
「可愛いな子だな」
「……ロリコン」
「やめろ。その言葉は傷つく。お前にそっくりだと思ったんだよ」
俺の言葉に、湿度高めの視線を投げかけてきていた、氷上は小さく微笑む。
「そうね。けど、私に似てなくてとても優しい子だったわ」
それ以上は口を開かず、氷上は部屋の扉を開けた。
氷上に続いて、俺も部屋を出る。
先程見せた微笑み。クラスでも俺の前でも見たことのない、優しい笑み。あれだけは、演技や作り物ではないと確信できた。
そういえば、異世界に居た頃の彼女のことを知らないなんて思っていたが、今の彼女のことも俺は全然知らないんだった。
魔法使いなんて秘密を知っただけで、彼女のほとんどは謎のままだ。
好きなものも、趣味すらも知らない。
それは当たり前で、俺と彼女がまともに会話したのは2日前なのだから。
きっと彼女も俺のことは最低限しか知らないだろう。異世界不適合者であるということと、香織と幼馴染ということぐらいしか。
それじゃあ、いつか彼女は、俺は、互いに秘密を打ち明けられるようになるのだろうか。
香織にも伝えてすらいないことも。
そんな淡い未来を考えると、なぜか胸の奥が張り裂けそうなほどに痛かった。
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