初恋の人が異世界転生しました

秋春雨

第1話 初恋の人が異世界転生しました

 思い出すのも嫌な記憶だが、俺には昔好きな人がいたんだ。


 家が隣同士で、幼稚園から今の高校に至るまでずっと一緒だった幼馴染の女の子……ではなく、その姉だ。


 彼女は、長い髪を後ろでポニーテールにして、いつも明るい笑顔を浮かべていたのが記憶にある。

 妹と仲良くしている俺のことを、弟のように接してくれていた。

 俺も姉のように彼女のことを慕っていた。


 中学校に入ると、本やゲーム、アニメに嵌り、典型的なオタクになってしまった俺だったが、彼女はいつも俺のオタク話を楽しそうに聞いてくれていて、関係は続いていた。


 だからだろうか。いつの間にか姉ではなく、1人の女性として彼女のことが好きになっていた。

 けれど、今の関係を壊すのが怖くて告白なんて出来ていなかった。


 しかし、それも長くは続かなかった。俺が中学2年生の頃、彼女は大学へと進学し、地元から離れるという選択をした。


 もう会えなくなるという事実に俺は暫く落ち込んだものだ。

 そして、彼女が引っ越す直前、近くの公園に彼女を呼び出した。


 その時のことはあまりよく覚えてない。

 緊張で考えていた言葉は飛び、必死に繕って、彼女に俺の想いを伝えたのだけは確かだ。


 そして、その結果は困ったような彼女の顔だった。

 答えを聞く前に、わかってしまった。ダメだったんだと。


 心臓の動悸が激しくて、冷や汗が止まらずに堪らずにその場から逃げ出した。

 自分から告白しておいて逃げ出すなんて、あまりにも情けないと思う。


 ただ、その時はそんなこと考える余裕はなく、現実を受け入れたくなくて逃げ出してしまった。


 もしこの時、少しでも冷静でいられたのなら、彼女が俺を呼び止める声が届いたのだろう。


 公園から飛び出した瞬間、けたたましいクラクションの音が響いた。


 全く気づけなかった。大型トラックが目の前に迫ってきていて、避けることすら叶わなかった。







 そして、気づいたら俺は真っ白い空間にいた。


 目の前には1人の女性がいて、その人は自らを女神であると名乗った。


 そのルナという女神はとても嬉しそうな声で言ったんだ。


「お待ちしてました。神里沙織かみさとさおりさん!」

「……人違いです」

「えっ!?」


 ……そこで、人違いが発覚して、お詫びにチートの能力を貰って、異世界で無双ハーレムを形成するっていう」


 そこまで喋って、俺、櫻木拓也さくらぎたくやの新作プロットを読んでいた目の前の幼馴染がプルプルと震えていることに気づいた。


「きっも!」

「ああ! お前何すんだ!」


 こいつ、一切容赦なくプロット用紙破きやがった!

 立ち上がって叫んだ彼女によって、紙が真っ二つにされる。


「データとして保存してあるとはいえ、そうやって破かれたら辛いんだぞ!」

「こんなキモい話を聞かされた私の方が辛いわよ!」


 ブロンズ気味のツインテールを振り回して、暴れる幼馴染はどうやら大変ご立腹なようだった。


「試験前によくこんなくだらないモノ書けるわね!」

「くだらないってなんだ、くだらないって! 俺の力作だぞ! プロットだけだけど」


 俺を睨みつけてくる彼女は、ベッドの上に腰掛け直して、椅子に座る俺を足蹴にしてきた。

 おい、やめろ!的確に股間を狙ってこようとすんな!


「なにが力作よ。典型的な異世界転生モノじゃない。オリジナリティの欠片も感じられないわ!」

「ばっか! 導入なんてどの作品もおんなじようなもんだろ。個性が出るのはここからなんだよ!」

「……本当かしら」


 訝しむ彼女は床に落とした用紙の片割れを拾って、読み上げる。


「えーと、『主人公の能力は無個性。これは個性が無いというわけではなく、相手の個性を無効化するという』……やっぱりこれはゴミね」

「うあああああっ! やめろ! 縦だけじゃなく横にまで破くな!」


 ビリビリと細切れになるまで破き続ける彼女。

 あまりにも容赦ない幼馴染だ。


 幼馴染補正をかけても可愛い顔つきしているのだから、もう少し性格をなんとかしてくれ。

 前はもっと可愛げのある性格だっただろ。いつから……、なんて考えるまでもないか。


「そもそも、このヒロインの名前なによ。神里沙織って、私の名前と1文字違いじゃない」


 そりゃそうだ。だって、名前思いつかなくて、お前から名前とったもん。

 ああ。そうか。確かに許可なく名前を使われたら嫌な気持ちにもなるだろう。


香織かおり、大丈夫だ。そいつヒロインじゃないから。その後出番ないから」

「ッ……! そういうこと言ってんじゃないつーの!」


 思いっきり脛を蹴られた。


「いってぇっ……! なにが不満なんだよ……!」

「全部よ全部! 展開も名前も、なぜか幼馴染じゃなくて姉になってるところも!」

「いや、それは幼馴染のままだと香織の機嫌を損ねるかなと」

「もうとっくに損ねてるわよ!」


 バラバラにしたプロット用紙を踏みつけて、吠える彼女は警戒心丸出しの小型犬を彷彿とさせる。


 怒っていても無駄に可愛いな。マジで無駄に。その無駄を性格の方に分けてあげて。


「拓也がまた変なこと始めたって叔母さまが言うから来てみたら……! なんで私がこんな……!」


 ブツブツと文句を言う彼女。

 なんで香織が急に来て、俺の部屋を漁り出してきたのかと思ったけど、母さんが原因かよ……。


「こんなことやってて本当に試験は大丈夫なんでしょうね」


 カレンダーを見やれば、7月の曜日の一部が赤い丸で囲まれていて、可愛らしい文字で明後日から『前期期末試験開始!』と書かれていた。人のカレンダーに勝手に予定書くなよ。


「俺が試験で赤点になるような点数取ったことあったか?」

「……ほんとそういうところが腹立たしいわね」


 忌々しげに睨みつけられた。

 普段から勉強自体はちゃんとしているから、試験前に慌てるようなことはない。

 なんなら香織より点数良いし、順位も上から数えた方が早い。本人に言ったらまた機嫌悪くなるのが目に見えてるけど。


「お前こそ試験は大丈夫なのかよ」

「……うっさい! 私、もう帰る!」


 この反応を見るに、今回も何科目かはやばそうだ。恐らく彼女が苦手な社会と、範囲が難しい数学あたりだろうか。


「おい、待てって」

「なによ」

「ちょっと待ってろ」


 立ち上がって、部屋から出て行こうとする彼女を呼び止める。

 えっと、社会がこれで、数学がこっちか。


「ほらよ。いつもの対策ノート」

「うわっ、ちょっと、投げないでよ!」


 見つけ出したノートを香織に投げて寄越す。

 恒例となりつつある、拓也先生秘伝の香織専用テスト対策ノートである。

 いつもならテスト4日前には渡しておくんだが、今回はプロット書いていたせいで忘れていた。


 香織は受け取ったノートをまじまじと見てから、パラパラとページを捲る。


「……ありがと」


 ポツリとそれだけ呟いて、彼女は部屋から出て行って扉が閉められた。

 ……ったく、人の作品を典型的な異世界転生モノ呼ばわりした癖に、お前は典型的なツンデレじゃねぇか。


「ねぇ……」

「うおっ!? な、なんだ、まだいたのかよ……!」


 帰ったと思ったら扉越しに話しかけられてびっくりした。

 その声色は先程までとは違い、凄く落ち着いたもので、初見なら同一人物とは思えないくらいだ。


「なにか忘れ物か?」


 白々しく尋ねる。忘れ物なら扉越しに話しかけたりしない。そんなの分かりきってる。


「……さっきの作品、ヒロインがお姉ちゃんだったのって」

「言ったろ。幼馴染のままだったら香織の機嫌を損ねるかもしれないからって」

「そう……。なら、いいんだ」


 何が良いんだよ……。

 扉の外から足音が響いてくる。本当に帰ったらしい。

 1人になった部屋で大きくため息を吐いて、そこら辺に破かれて散らばった紙を拾い集める。


 バラバラになった紙から設定の一部が目についた。

 改めて見ると、やっぱりこれ駄作だな。世に公表する前で良かった。

 特に人違いで異世界に飛ばされるあたり気に入らない。


 だって、実際は違ったんだから。


 人違いで異世界になんて飛ばされない。人違いだとわかった瞬間、修正をかけられた。

 事故にあったのは俺ではなく、彼女に。

 俺はこちらに取り残され、初恋相手だけは異世界へと消えていった。


 だからだろうか。異世界転生に幸せを求めるのは。

 せめて、彼女が向こうで幸せに生きていて欲しいと願って。


 あれからもう3年。

 俺は未だにあの日の異世界転生に囚われたままだ。


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