第4話 氷の魔女が異世界転生しました

 いつもの帰り道。

 何ひとつ変哲のない景色。そこを歩く生徒でさえも変わり映えがない。

 見慣れた光景の中で、少しだけ、それでも特大の違和感があるとすれば、俺の隣に歩くのが幼馴染の香織ではなく、氷姫、氷上舞姫だということだ。


 氷上は腰まで届きそうなほどに長いストレートの黒髪を揺らしながら、少しだけ遅いペースで歩いていた。

 夏前だというのに、半袖のスクールシャツに紺色のニットセーターを着ている。

 そして、そんな服越しでもわかる豊かな膨らみの主張。

 デカければいいというものでもないが、これはこれで悪くないとも思うわけで……。


 邪な視線を向けそうになっていたら、氷上がこちらに向いて申し訳なさそうな顔をしてくる。


「ごめんなさい。神里さんとの約束があったでしょうに」

「いや、約束ですらないから大丈夫だ」


 香織と一緒に帰るという約束をしているわけじゃない。ただ、なんとなく。いつもそうだからと繰り返してるに過ぎない。

 だから、俺が違う人と帰っても問題はない。


 問題は無いのだが……、いつも一緒に帰っている以上、氷上に下校を誘われた際に、香織には今日は一緒に帰らないという趣旨のチャットは送っておいた。

 香織とも一緒に帰るという選択も考えたが、氷上の噂を確かめる上で、香織はいない方がいい。

 香織とのチャットには既読の文字が付いてはいるが、返信は来ていない。


 あいつ、俺が返信しなかったら怒るくせに……。

 俺にだけ厳しすぎる幼馴染の顔を思い出して、苦い顔をしていると氷上が小さく笑っていた。


「櫻木くんと神里さんって本当に仲が良いわよね」

「……どこをどう見てそう思ったのか聞いてもいい?」


 眼鏡かけてないけど、もしかして視力悪かったりする?


「いま、神里さんへの愚痴が漏れてたわよ」

「……愚痴が漏れるちゃう仲ってことで」


 俺の口、もっと自制して! そんなにペラペラ喋ってたら縫いつけるぞ!

 恥ずかしさを誤魔化すような言葉に氷上は微笑む。


「それに、今日の朝も仲良さそうだったし」


 朝というと、電車でのあれだろう。氷上も見てたのかよ……。


「……覗き見なんてするんだな」

「電車内であんなにくっついてたら目立つわよ」


 当たり前すぎる指摘だが、側から見たらそんなに目立っていたのか。

 今度からはやめるようにしよう。既に色々と手遅れな気がするけど。


「出来れば忘れてくれ……」

「私は別に構わないけど、もう既にちょっとだけ噂になってたわよ」

「噂好き共め……!」


 今朝のことなのに既に噂になってるなんて早すぎるだろ。

 今日テストしか無かったんだぞ。いつそんな噂広まる時間あったんだよ。


「噂好きというのには賛成ね」


 氷上は頷いて、少し困ったような表情を浮かべる。

 よくその噂の標的にされているものだから、実感がこもりまくっていた。


「……つい最近も新しい噂出来てたもんな」


 何気ない話題を出す感じで、今日、氷上と一緒に帰っていた目的、あの噂の真偽を確かめるための言葉を口にする。


 こんなに早く噂の話題が出てきたのは幸いだった。

 彼女の表情を伺いながらの俺の言葉に、氷上はクスリと笑う。


「あら、そうなの?」


 そんな噂なんて知らないという風にしか見えなかった。

 少しだけ鎌をかけてみようと思ったが、空振りか……。

 そこまで期待していたわけではないが、朝からの観察といい、こうも手応えがないと拍子抜けしてしまう。


 まぁ、デマの方が可能性は高かったんだし、仕方

「だから、今日、あんなに私のこと見てたのね」

 な……い…………。


 驚きすぎて心臓が飛び出すかと思った。

 脚を止めて氷上を見ると、彼女は先程と変わらない表情で俺を見ていた。


 待て待て待て待て……! 氷上、気づいてたのか……!?


 落ち着け。

 視線に気づかれていたこと自体は別に問題じゃないはずだ。

 だって、朝から視線を送っていたし、俺は覗き見とかのプロでもない。だから、バレるのは別にいい。


 ただ、氷上は、それに気づきながら、そんな素振りを一切見せずに俺を下校に誘った。


「新しい噂ねぇ……。どれのことかしら……」


 氷上は思考を巡らせるように顎に指を添える。


「もしかして、異世界、転生……とか?」


 言葉が出ない。誤魔化せない。

 氷上の瞳が俺を射抜く。内側まで何もかも見透かしそうな瞳。


 さっきまでそんな噂は知らなさそうだったのに、今当たり前のようにその噂を口にした。


 じゃあ、さっきのは全部演技……、いや、さっきどころじゃない。


 クラスで見る氷上と、今の彼女は口調も顔も、声色も、何もかも同じなのに、どこか大きくズレている。


 こいつも浅葱と同じだ……!


 彼女が一歩踏み出して、俺との距離が縮まる。

 女性にしては少し高め、けど、俺よりは低いので上目遣い気味に顔を覗き込まれた。


「ふふ、こんなに早くに当たりを引けるなんてついてるわ」


 怖い。

 なんだ、こいつ。一体、誰だよ……!


 こんなの俺の知っている氷上じゃない。

 顔が似ている別人と言われた方が納得するレベルだ。


「そんなに警戒しないで。仲良くしましょう」


 俺の警戒を解こうと、氷上はにっこりと微笑んだ。


「異世界転生者同士ね」


 異世界転生、者……。

 その言葉の意味するところを俺はよく知っている。


「……違う」


 やっとのことで出てきた言葉は短い。


「違う?」


 不思議そうに首を傾げる氷上。

 彼女の言葉の意味を理解しきっているわけじゃない。


 ただ、彼女が俺に求めたものを俺は持っていない。


 痛くて辛くて、苦しい。脳を埋め尽くすのは、鳴り響くクラクションと、大好きな人の血の温かさ。


「俺は……」


 俺は違う。

 お前とも、初恋の人とも。

 だって、俺は──


「異世界不適合者なんだよ……」







 薄くジャズのBGMが聞こえてくる店内で、不機嫌そうに氷上が紅茶を飲む。

 場所を変えて、近場のカフェ。

 客はそこそこいるが、試験期間中ということもあって、学生の姿は見えない。


 あの場で話を続けるにはあまりにも目立ちすぎるとのことで、氷上に無理矢理に手を引かれて場所を変えられた。


 強引な行動ではあるが、おかげで、移動する間にだいぶ落ち着けた。

 目の前のコーヒーに砂糖とか入れずにそのまま口をつける。

 あっつ……。ミルク入れれば良かった。


「話を整理するわね。貴方は異世界転生者じゃなくて、異世界不適合者。昔に異世界転生に巻き込まれかけただけ。それ以外は何も知らない。合ってる?」


 飲み物が運ばれてくる前までに俺が語った内容を氷上は復唱する。


「ああ。合ってる」


 俺は異世界不適合者だったと女神から伝えられた。

 だからこそ、人違いが発覚して、修正をかけられたわけだ。

 その修正をかけられた結果どうなったのかまでは彼女には伝えていない。ここまで喋っておいて、そこだけは伝えることを憚られた。


 それにしても、随分と時間が経って、トラウマを克服したと思っていたが、まだ根強く心に張り付いていたみたいでなによりだ。そろそろ腐っていてくれよ。


「はぁ、あんなくだらない噂に反応するのは、同じ転生者だと思ったのに……」


 落胆したように氷上はため息を吐く。

 そんなに恨めしそうに俺のこと睨むな。勝手に勘違いしたのそっちだろ。くだらない噂に反応しちゃって悪かったな。


 それにしても、カフェに来る前からだが、教室にいる時と性格全然違うなこいつ……。


「そっちが氷姫の本性かよ……」


 浅葱ほど強烈ではないが、随分とギャップがある。

 俺の言葉に、氷上は少しだけ不満そうに机を指で叩いた。


「その氷姫っていうの辞めてくれるかしら。呼ぶなら氷の魔女にして。折角広めたのに誰も使わないんだもの」

「えぇ……」


 こいつ自分であのあだ名を広めていたのかよ……。


「なんで、氷の魔女はいいんだよ」

「なんでって……、そういえば、私の話はまだしてなかったわね」


 氷上は鞄から一枚の紙を取り出す。

 そこには星型が何個も重なったものが描かれていて、それはまるで魔法陣の……っていうか、これは。


「私はエリス・オリュデ・リリアーヌ、向こうでは氷の魔女と呼ばれてたわ」


 彼女が紙の上の魔法陣に手を触れた瞬間、淡く光だした。

 周りに気づかれないようにだろう。光はとても小さいが、それでもそれは間違いなく魔法と呼べるものだった。


「ふふ、どうかしら」


 息を呑む俺に、彼女は満足そうな笑みを浮かべる。

 凄い。凄いけど……。


「……なぁ、名前なんだっけ?」


 魔法で驚いて名前飛んじゃったじゃねぇか。エリスしか覚えてないぞ。


「……他に反応するところあるでしょ。名前なんてなんでもいいわよ」

「なら、氷上で」


 思っていた答えと違ったからか、彼女は少しだけ拗ねたような表情になってしまった。

 意外と表情豊かなんだな。そっち方が教室の時の完璧超人である氷姫よりも好ましい。


「そのニヤついた表情やめてくれる? 不愉快だわ」


 やっぱり好ましくないかもしれない。

 今ならわかる。あの冷たい笑みで断られるって噂、あれ事実だ。


「本当に外れクジを引いたものね」

「悪かったな外れクジで。そもそも、俺が全くの無関係だったらどうするつもりだったんだよ」


 俺が異世界転生とか全く知らないやつだったら、ただの痛い子だぞ。


「貴方には何かあるとは思っていたもの。もし、違ったら記憶消せばいいだけだし」

「……なんかとんでもないこと言ってない?」


 記憶消すってそれはつまり魔法で?


「記憶消去なんて大した技術でもないわ。制約はあるし、面倒だから普段はやらないけどね」

「……ほっとした。いつの間にか自分の記憶が消されているとか笑えないからな」


 知らないうちに記憶消えてるとか恐怖でしかない。

 安堵のため息をした俺に、クスッと笑った氷上は目を細めた。


「あら、普段は使わないと言っただけよ?」

「……もしかして、俺の記憶も操作したことあるのか?」

「どっちだと思う?」


 めちゃくちゃ悪い顔してる……!

 要らないことを聞いた気がするので、この話は永遠に脳の奥深くに閉じ込めておこう。


「そ、それよりも、氷上はどうしてこっちの世界に来たんだ?」

「そんなの決まってるじゃない。死んだからよ」


 話を逸らすために選んだ話題に、氷上は当たり前のようにさらりと告げる。


「正確には殺された、ね。こちらの世界からの転生者に」

「え、ちょっ、は?」


 殺された……しかも、この世界からの転生者に……?

 告白された衝撃の事実に、驚きでアホみたいな声しか出てこない。

 転生とは言っても、魔法とかでしたものだと勝手に思っていた。何か目的があってこちらの世界に来たのだと思い込んでいた。


「別にそれでこっちの人間を恨んでいたりはしないから安心しなさい。私は向こうの世界で人間の敵である魔女だったんだもの。殺されて当然」


 それは良かった、なんて言えるわけないだろ。

 なんで、こいつはそんなに簡単に割り切れるんだよ。理解できない。

 てか、待て。殺されて、こっちに来た?

 それじゃあ、まるでこっちの異世界転生のルールと同じだ。


「まさか、向こうで死んだらこっちに異世界転生してくるのか……」

「当たり前じゃない。まさか、異世界からは、こちらに来ないとでも思っているの?」


 こちらから行ける以上、向こうからも来れるなんていう、当たり前の理屈。

 当然といえば当然なのだが、そんなこと考えたこともなかった。

 だって、今までそんな奴と会ったことなんて……いや、氷上もそうだ。知るまでは異世界転生してきた魔女だなんて夢にも思わなかった。

 喉が渇いてきて、ぬるくなってきたコーヒーを一気に飲み干す。


「じゃあ、異世界から来たやつは、氷上みたいに正体隠しているってことかよ……」

「まぁ、大体はそうでしょうね。最近はそうでもない馬鹿がいるみたいだけど」


 冷たく言い放った氷上は、「そういえばまだ伝えてなかったわね」と、俺の目を見つめる。


「私がなんで今になって、あんなくだらない噂を流したのかわかる?」

「それは、仲間を見つけるためって」

「ええ。そうね。それも理由の一つ。けど、別に今じゃなくてもいい」


 確かにそうだ。

 今更、そんな噂を流す必要はあったのだろうか。

 もし仲間を見つけたいというなら、もっと前から流しておけばいい。


「じゃあ、どうして……」

「ペット失踪事件。この街に住んでいて、知らないわけないわよね」

「……っ、そういうことかよ……!」


 そこまで言われて理解できないほど馬鹿じゃない。

 今日の電車の中で聞いた話。

 まるで都市伝説のような噂。それに反応した氷上。

 つまり、あれは都市伝説でもなんでもなくて……、


「あんなふざけた事件を起こしている異世界転生者を見つけ出すためよ」


 静かな怒りが籠った口調。

 彼女の近くにある紅茶はいつの間にか、液体から固体へと姿を変えていた。

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