第16話 primary10-2

白衣を翻してひょいと振り返った有栖川が、ちょんと頬を指さして来た。


嫌い以前に、この人のことが苦手だな、と思う。


あの食事会の時もそうだったけれど、有栖川の前にいると見透かされているような気持ちになってどうにも落ち着かなくなるのだ。


「・・・・・・・・・なんで・・・・・・市成さんのこと・・・分かったんですか・・・?」


まさか茜がそんなことを伝えているはずもないし、情報の出どころがさっぱり分からない。


信じたくないけれど、彼から見た紗子の顔には、市成が好きとでも書いてあるのだろうか。


だとしたら最悪だ。


「・・・・・・・・・・・・あの日、図書館から駆け出して、市成さんを呼び止めるところを目撃したから」


「!?・・・・・・・・・み、見てたんですか・・・」


「倉沢さんは気づいてなかっただろうけど、あの時結構人いたよ?まあ、あれだけ嬉しそうに話してるの見たら、誰でもわかるんじゃないかな」


きみは市成さんしか見えてなかったみたいだけど、と嫌味たらしく付け加えられる。


もう本当にそれは最大の余計な一言だ。


「だ、だとしても、それをわざわざ私に言う必要あります!?」


大人なんだから知らん顔くらいしなさいよと詰りたくなる。


「言ったら、此処に来る気になるかなと思ってね」


「・・・・・・・・・きょ、今日ここに来たのは、茜が私の為を思って勧めてくれた気持ちに応えたいからで!別に・・・・・・市成さんのことは・・・」


関係ない、と言い切れないから、どうしたって語尾が尻すぼみになる。


何も彼の前で生真面目を披露することなんてないのに、性分だからどうしようもない。


それに、あの日の紗子を見られていたのだから、もう何を言ったって無駄だ。


今日の格好を見た時点できっと確信を持たれた事だろう。


いつもの白、グレー、紺、で纏めてこなかったことが心底悔やまれる。


紗子の言葉に、改めて視線を足元に下ろした有栖川が、人差し指で床を示した。


「その靴も新しそうだけど、靴擦れ大丈夫?」


「!?」


実は下ろし立てて、図書館を出て数メートルで踵が痛くなったのだ。


おかげで予定時間を5分ほどオーバーして、メディカルセンターに到着してしまった。


「だ、大丈夫ですっ・・・・・・」


これ以上弱みを見せてなるものかと唇を引き結ぶ。


有栖川がそんな紗子を見下ろして、けれどすぐに表情を改めた。


黒縁メガネのブリッジを軽く押し上げて、手にしていたタブレットを紗子に見せながら手前の会議室のドアを開ける。


「・・・・・・・・・今日はこの後、治験の流れを俺と、もう一人の女性研究者から説明させて貰いますね。その後、研究所ラボの検査室を見て貰って、不明点確認の後で、意向をお伺いします」


有栖川と1対1ではないということ以外、ほとんどなにも頭に入ってこなかった。


とりあえず、女性研究者が居たことにホッとする。


あからさまに肩の力を抜いた紗子を席に促して、有栖川はすぐきますねと言って席を外した。


楕円形のテーブルにテレビ会議の機器らしきものが乗せられた小さめの会議室に、紗子の吐き出した溜息が響く。


腰を下ろした途端、じくじくと踵が痛んできて、少しだけ靴を脱いでおこうか迷っていると、ノックと共に女性の声が聞こえた。


「失礼しまーす・・・あ、お待たせしてすみません。倉沢さんですか?」


白衣姿の小柄な女性が中に入って来る。


「はい、そうです。今日はお世話になります」


慌てて立ち上がった紗子を手で制して、雫が真正面で軽く頭を下げた。


「どうかそのままで!初めまして。抑制剤開発チームの研究員、西園寺雫と申します。麻生さんと有栖川さんの後輩にあたります・・・・・・えっと・・・まずはー・・・・・・足、消毒しましょっか」


手にしたタブレットと救急箱をテーブルに置いて、雫が紗子の前に歩み寄って来る。


「え?足・・・?」


どうして靴擦れのことが分かったんだろうと真顔になれば。


「有栖川さんが心配されてましたよ?あ、大丈夫です。手当が終わるまで入室禁止にしてますので」


さっき入って来たドアを指さして、安心してくださいね、と言って雫が早速救急箱を開いた。


やっぱりバレていたのだ。


あんな風に嫌味を言ったかと思えばこんな気遣いを見せたり、有栖川が何を考えているのかさっぱりわからない。


「・・・・・・来たばかりなのに・・・すみません」


恥ずかしさと情けなさでいっぱいになりながら、厚意に甘えて8センチヒールのストラップパンプスを脱ぐ。


レースソックスの踵部分が血で赤くなっていた。


「いえ、お気になさらず。新しい靴はしょうがないですよねー・・・あ、これ、雑誌で見たやつ!わーやっぱり実物可愛い・・・・・・」


消毒液と脱脂綿を取り出した雫が、紗子の靴を凝視して可愛いを連呼する。


「サイズ合うなら、履いてみられます?私も先週買ったばかりで・・・お店で在庫ラス1だったんです・・・」


「えええいいんですか!?」


さっきまでの憂鬱な気分を一気に吹き飛ばす明るい声に、紗子はようやく笑うことが出来た。

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