第14話 primary9
きっかけは、たまたま図書館で居合わせた男子高校生たちの日常会話だった。
「うわ、ほんとだ、ちゃんと撮れてる!」
「やっば・・・図書館の妖精・・・」
「ほんとに居たんだ・・・・・・この距離で美人てわかるってどうよ」
「なんかもう雰囲気が妖精だよなぁ」
スマホを手にした一人の両脇を囲むように画面に食い入る三人は背後から覗き込む有栖川に全く気づいていなかった。
少し先の歴史文献の書架の前からすっと白い影が出て来る。
見ると、彼らが見入っている写真に写っている女性と同一人物だった。
高い位置に設置された窓から差し込む太陽光を受けて、ライトグレーのシンプルなワンピースが真っ白に見えた。
下ろし髪がふわりと揺れて、人目を避けるように足早に去っていく彼女の色白すぎる細面が露わになる。
久しぶりに美人を見たと思った。
それは彼らも同じだったのだろう。
本物だ、本物だ、と小声で騒ぐ彼らの肩をトントンと叩いて、手にしていたスマホを取り上げた。
「盗撮は犯罪だよ?キミらさあ、肖像権って知ってる?これ、SNSとかにアップしたら、犯罪だからね?」
「あっ妖精がー・・・」
「折角撮れたのに・・・」
「妖精ってなに?そんなのが学生の間で流行ってんの?」
言いながら数枚に渡って写された女性の画像を削除する。
「・・・・・・図書館にたまに現れる超美人のあだ名なんです」
「姿見れたらご利益あるって言われてて」
「なんだそれ」
この図書館に通うようになって随分経つが、そんな噂は聞いた事が無かった。
聞けば地元の学生の間では結構有名な話らしく、一部の学生の間では図書館に通う事を”妖精待ち”と呼んでいるらしい。
こんな根も葉もない噂話に巻き込まれた当事者が気の毒で仕方ない。
視線を巡らせてみたが、いつの間にか彼女の姿は見えなくなっていた。
「僕ら来年受験生なんで・・・」
「余計なことに気を取られずに受験勉強しなさいよ・・・」
このまま無罪放免してやるつもりはないので、近くを通りかかった女性職員を手招きして、事の次第を報告して、しっかり灸を据えておくように依頼した。
写真を撮られていた女性の容姿を大雑把に説明すると、彼女が急に訳知り顔になって、ふうっと息を吐く。
「その子、うちの司書なんですよ・・・・・・内勤メインの子なんですけど、とにかく美人だから目立っちゃったんでしょうねぇ・・・それにしても盗撮なんて・・・・・・・・・こんな事知られたら、出社できなくなっちゃうわよほんとに・・・・・・・・・助かりました。ありがとうございます」
この後館長のところでじっくりお説教を受けて学校に連絡を入れて貰うと約束してくれた彼女にお礼と、注意喚起を依頼してその場を離れる。
さっき一瞬だけ見た彼女の姿を思い出してみる。
たしかに、妖精と言われて頷けないこともない容姿をしていた。
線の細さや、気配の少なさ、伏し目がちな黒目。
あんな数瞬の邂逅にも関わらず、脳は鮮明に彼女のことを記憶していた。
その後フロアをぐるっと回ってみたけれど、結局妖精の姿を見つけることは出来ず仕舞いで、がっかりしている自分に苦笑いが零れた。
これでは、さっきの男子高校生たちのことを馬鹿にできない。
有栖川の家に引き取られてから、男子は逞しくという教育理念の元、あちこちに引っ張り出されたおかげで、上流階級の綺麗どころから場末のスナックのホステスまで見事に一周してきた。
愛らしい女性も、王道の美人も、気位の高いお姫様も、控えめな大和撫子も、全部見飽きるくらい見てきたのに。
その中の誰とも、さっきの彼女は合致しなかった。
大学の研究室で知り合った元カノは、同じ研究者で、お互い初めての恋人だったので、当然そういう好奇心には抗えるわけもなく、一通りのことを経験して、し飽きて、お互い大人になって別れた。
二十代の半ばまでそんな風に過ごした有栖川に訪れた転機は、妹の結婚と、メディカルセンターへの招致。
思えば、施設から有栖川のところへ引き取られた時も、研究室に誘われた時も、求められて、それに応じる形だった。
最初に要らないと言って捨てられた反動か、きみが必要だと言われるとすべてを投げ打ってでもその手を掴みたくなるのだ。
有栖川の養父は、息子たちの適性を見ることに長けており、上3人の兄にもそれぞれに見合った舞台を用意して送り出していた。
最後まで残っていたのは、末っ子の
大学の研究室に入ってからは、ほとんど有栖川の家業を手伝うことはなかったので、この辺りも養父は息子の適性をよく見抜いていたのだろう。
実際有栖川の裏仕事を全般に引き継いだのは長兄だけで、残りの兄二人は、それぞれ有栖川の事業を継いだり、有栖川の仕える幸徳井が名を連ねる九条会の関連会社に入っていた。
有栖川庇護のもと、一般人として生きることを許されたのは、路と梢だけだったのだが、最終的に梢は自分の意志で幸徳井に嫁ぐことを決めてしまったので、結果として有栖川を離れて独り立ちした路だけが、純粋な一般人ということになる。
とはいえ、こうして今、幸徳井の同業他社である西園寺のところに身を寄せているのだから結局は同じ世界ということになるのかもしれないけれど。
この先の人生もやっぱり求められるままに生きて死ぬのだろうなと漠然と思っていたのに、初めて自分から興味を惹かれた相手が妖精、というのはどうも笑える。
それから何度か本を借りる目的ではなく図書館に足を運ぶようになって、あの日、
とはいえ、ただの利用者と引きこもり気味な図書館司書では接点なんて何もない。
彼女の
人目を避けるように仕事を続けている彼女を見れば、出来る限り他者と関わらないようにしていることはすぐに分かった。
やりたくはないけれど、真正面からぶつかってみようかと図書館に足を運んだあの日、初めて頬を赤くして階段を駆け下りてくる紗子を見た。
息を弾ませて一心不乱に彼女が追いかけている背中を確かめて、そして彼女が生きている現実が、自分とは綺麗にずれていることに気づいた。
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