第24話 primary15-1
貧血には慣れていたつもりだったけれど、久しぶりに身体が氷のように冷たくなっていく感覚を味わうと、やっぱり恐怖心に襲われた。
軽い貧血か重い貧血か分からずに、呼吸を止めないようにしながらテーブルに手を伸ばして自分の身体を支える。
そのうち天地が分からなくなって、自重を支えていられなくなって、どこかに身体がぶつかった衝撃を感じて、すぐに意識が途切れた。
温かい。
次に目を覚ましたときに感じたのはそれだった。
自分がどこかに寝かされていることと、上掛けが掛けられていることを知る。
ここはさっきの会議室ではない。
ゆっくりと首を巡らせれば、少し離れたところに居た白衣姿の有栖川が椅子から立ち上がった。
「倉沢さん、気が付いた?」
声を掛けてくれた人がまったく見ず知らずの誰かではなかったことにホッとして、多分それが表情に出ていたのだろう。
近づいてきた有栖川の表情が酢を飲んだようになった。
「すみません・・・」
「起きて最初に謝るの?」
苦笑いした有栖川が、紗子の顔色を確かめるように覗き込んで来る。
迷惑をかけたことは確実だから、気まずくなる前に先に謝罪しておこうと思ったのだ。
「・・・・・・あの・・・ご迷惑を」
「検査受けて貰ったのに、気付けなかった俺も悪いよ。もしかして今朝から貧血気味だった?」
「いえ・・・・・・そんなことは・・・」
検査の前に今日の体調を確認されたが、本当にその時はなんともなかったのだ。
朝もいつも通り起きられたし、朝食だって食べて来た。
首を横に振った紗子に、有栖川がひょいと眉を持ち上げる。
「じゃあやっぱり気づいてなかったんだ」
「・・・・・・・・・私がフワフワしてたからですか・・・?」
先に謝罪しておいて本当に良かった。
もうすでに謝るタイミングを失くしてしまっている自分に気づいて複雑な気持ちになる。
けれど、有栖川は紗子のそれには応じずに、おもむろに額に手を伸ばして来た。
「っ!?」
前置きなしに触れられて、簡易ベッドの上で固まる。
せめて熱確かめるね、とか言ってくれればいいのに。
タイムラグナシに触れた手のひらの温もりに心臓が跳ねた。
「熱は無いみたいだけど・・・・・・起きれそう?」
「はい・・・・・・あの・・・・・・ここって」
出来る範囲で周囲を窺えば、そこは小さな仮眠室のようだった。
隣から小さな物音と話し声が聞こえてくるので、
とりあえず、初めて足を踏み入れたのは間違いない。
自分の足で歩いてはいないけれど。
「
淡々といつもの説明口調で状況を報告されて、恩着せがましい態度でないのは有難いが、逆にどんな顔をすればよいのか分からなくなる。
おかげで助かりました、と笑顔を浮かべるのも違う気がするし。
「・・・・・・お世話になりました」
何とも微妙な表情で告げると、有栖川が改めて紗子の様子を確かめてくる。
「どこぶつけたのか分からなかったから、肩と背中は簡単に確認させて貰ったけど、痛いところ、ある?」
「・・・・・・いまは・・・分からないです」
全部の感覚鈍っていて、身体を動かすのも億劫なくらいだ。
「それもそっか。倉沢さん、最近食べる量変わってない?恋煩いで食欲不振とかだと、かなり心配なんだけど」
言われるまでもない、市成への恋煩いのことだ。
これは有栖川の研究者としての問いかけなのだろう。
放っといてください、と突っぱねるわけにもいかない。
「・・・・・・昔から、小食なんです」
食が細いのは子供の頃からで、それが輪をかけてひどくなったのは思春期を迎えた頃から。
身勝手な批評や一人歩きする噂話が耳に入るたび食事を摂ることが苦痛になった。
何より一番嫌だったのは昼休みだ。
昨日まで一緒に楽しくお弁当を囲んでいた女の子たちが、急に紗子を遠巻きにするようになって、所在なさげに立ち尽くす紗子を手招きしてくれる別のグループがあるうちは良かったけれど、それも長続きはせずに、結局図書室に逃げ込む羽目になった。
あの頃から、図書室は紗子にとって唯一の避難場所だったのだ。
飲食禁止と知りながら、こそこそ奥の自習机の上でお弁当を広げて、食べ終えるとすぐに書架の前に移動して読んだことの無い本を広げてチャイムが鳴るまで過ごした。
そのうち同じように図書室を利用する大人しい女の子の友人が何人か出来て、文芸部に入部してから少しだけ食欲が戻ったけれど、それでもお弁当箱の大きさは小さいままだった。
社会人になってからは、食堂のランチプレートを平らげられた試しは一度もなくて、そのうち自席で菓子パンをかじるようになった。
管理栄養士の茜と出会って、食事指導をされるまでは本当に食べることにさっぱり興味が無かった紗子である。
いまは、倒れないために必要な栄養素を取り込む、ことだけを心がけて、どうにか自炊を続けている。
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