ロマンティック・コントラスト ~オメガばれしたらクール系アルファからの執愛が止まりません~
宇月朋花
第0話 primary0
「倉沢さーん、お疲れ様ぁー」
時短勤務のスタッフが多い中で、唯一既婚者ながらフルタイム勤務を続けている彼女は、ここで働き始めた時からずっと紗子を気にかけてくれている。
フロア業務が手隙になる、とお菓子片手に紗子の様子を伺ってくれるのだ。
「あ、チョコ。ありがとうございます。水谷さ・・・・・・あ、黄月さん」
ついうっかりなじみのある旧姓で呼びかけてしまって、慌てて新姓で呼び直す。
黄月の夫は西園寺メディカルセンターに勤める気さくな男性で、紗子も何度か挨拶を交わしたことがあった。
結婚後も旧姓のまま仕事を続けていた彼女が、今年度から新姓を名乗るようにしたのは、同姓の水谷という職員が増えたせいだ。
行政から派遣されてきた施設課の男性職員がたまたま偶然水谷さんで、フロアで呼ばれるたびに混乱してしまうので、ゆみの方を新姓呼びすることになった。
が、大半の職員は水谷呼びに慣れているので、未だに旧姓と新姓が飛び交っている。
「あはは。どっちでもいいわよー。私もいまだに黄月姓慣れてないし・・・わ」
カートの上に積まれた予約本の山を見た彼女が目を丸くした。
出勤と同時に紗子がデータを抽出して、一日がかりで用意したものだ。
直接図書館まで引き取りに来る利用者もいれば、市内の分室に送られるもの、改造バスの移動図書館で利用者の自宅付近まで運ばれるものもある。
それぞれの移動先ごとに仕分けをして、配送手配をするところまでが紗子の役目だ。
主に図書館の裏方仕事を任されている紗子の業務は多岐にわたる。
この図書館では初めてのトランスタイプのオメガとして採用されてから、カウンター業務を免除される代わりに、2階の書庫に引きこもって蔵書登録や補修作業、予約本の準備などを担当して数年になる。
「もうこんなに予約本揃えてくれたのー?さっすが図書館の妖精・・・」
すごいすごーいと拍手する黄月の口から聞こえて来た謎の名前に、紗子はきょとんと首を傾げた。
「・・・なんですかそれ」
「んーなんかね、図書館に来る高校生たちの間で噂になってるらしいよー。時々図書館に姿を見せる儚げ美人がー」
ぴっと指を差されて、まったく有り難くないあだ名が自分のものなのだと改めて理解した。
「カウンターでは見かけないけど、時折書架の前で姿を見るから、幻の妖精だって言われてるんだって。仕事速いから、本見つけたらすぐ書庫戻っちゃうし、余計幻想的なのかもねー」
「・・・・・・妖精とか・・・ありえないです」
予約本を探したり、返却本を戻すために、人の少ない時間帯を見計らって書庫から出ることはあるけれど、まさか妖精扱いされていただなんて。
「え―いいじゃない。見かけたら幸運が訪れるとか言ってる子もいるみたいよー?あ、写真とかは撮られてないから安心してね」
最近は何でもSNSで発信してしまう若者が多いけれど、幸い顔を撮られたりはしていないようだ。
前の会社に勤めていた頃は、何度か異性から声を掛けられた事もあるけれど、こちらに引っ越してからは仕事以外で外に出ることはほとんど無いので、そういう心配は皆無。
おかげで、若いオメガたちがアルファ探しの婚活に勤しむなか、置いてけぼりを食らったアラサー女子は、独身街道を邁進中である。
そもそも
「ご利益なんてありませんよ・・・・・・あ、黄月さん、もう上がりの時間ですよね?」
今日は1時間の残業申請をしていたので、引き継ぐことがあればと尋ねれば。
「そうなんだけど、今日はね、旦那さんがこっちまで迎えに来てくれるから」
照れ臭そうに微笑んだ黄月が、二人でご飯行くのよと教えてくれる。
「お食事デートいいですねー。黄月さんのご主人、しょっちゅう図書館に来られてますもんね。ほんと仲いいですよね」
「新婚のうちだけかもしれないけどねー」
「そんなことないですよ。だって付き合ってた頃よりここに来る回数増えてるじゃないですか」
当時まだ恋人だった黄月とのデートの時間まで、書庫で作業を手伝って貰ったことが何度もあったが、結婚してからのほうがそういう機会が増えている。
何より、夫からの愛情に満たされた新妻の幸せそうな様子を見れば、夫婦円満であることが窺えた。
「まあ、そうなんだけどね・・・・・・倉沢さんにも早く運命の番が現れればいいのにねぇ」
それは、親友の茜からも何度も言われている言葉だ。
”紗子のことを誰より理解してくれて、誰より守ってくれる、優しいアルファが居ればいいのに”
「妖精は人間とは恋できないですよ」
意趣返しのつもりで笑って躱せば、黄月がパチパチと目を瞬かせてから、ふわりと笑った。
「なーに言ってんのよ。妖精は人間と恋したら、人間になれちゃうのよ。御伽噺の王道でしょう?」
準備が終わっていない予約伝票を掴んで、私はハッピーエンドが好きよと黄月が言い切る。
きっと彼女の夫は、水谷ゆみのこういうところに惹かれたんだろう。
「・・・・・・だったらいいんですけど」
「航太くんの職場で、いますんごい人気の独身アルファがいるらしいよ?市成さんって言って、超美形なんだって。倉沢さんと並んだら間違いなく絵になると思うんだけどなー・・・・・・どっかで会えるといいのいね」
黄月が、本探して来まーすと言って書庫を出ていく。
貰ったチョコレートは、ミルクの風味が強く優しい味がした。
みんなが当たり前のように、運命の相手を選んでその手を取って未来へと歩き出していく。
取り残されることには慣れっこのはずなのに、急に寂しくなってしまうのは、つい先日も一緒に食事をした茜が、楽しそうに義兄とのやり取りを話してくれたから。
無意識に麻生真尋へ全幅の信頼を寄せている茜を目の当たりにすると、縋るもののない自分がどれだけ一人ぼっちかを痛感させられるのだ。
それから10分ほどで戻ってきた黄月が、お迎え来たからごめんねー、と言って、用意し終えた予約本を置いて、無理しないでね、と付け加えて先に帰って行った。
そのまま蔵書登録の作業に戻って、時計を確かめると19時40分を回っていた。
図書館は20時までなので、この時間から図書館にやって来る利用者はほとんどいない。
今のうちに1階図書室の予約本を取りに行こうと、予約伝票を掴む。
その途端、さっきの黄月の言葉が甦って来た。
”図書館の妖精”
見た目がどれだけ妖精に近くても、紗子は本物の妖精ではない。
妖精は、
今日も薬はきちんと飲んでいるから大丈夫。
二日ほど前から落ち始めた食欲は、たぶん疲れのせいだから、今夜早めに休めば問題ないだろう。
だから、
胸を押さえていつものようにそう自分に言い聞かせる。
けれど、深呼吸をしながら書庫から出て、すぐ近くの書架で予約本を探し始めた途端、異変は起こった。
急に息苦しさを覚えて、いけないと思って目の前の書架に片手を突いて深く息を吸う。
狭くなっていく視界と、つま先から忍び寄ってくる嫌な震えは、間違いなく
薬のある書庫に戻らなきゃ。
ふらつき始めた身体で元居た書庫に戻ろうとした矢先、別の書架の間から誰かが出て来た。
「大丈夫ですか?」
静かに尋ねられて、目も開けられないまま小さく頷く。
浅い呼吸はそのままで、書庫を指させば、その人物は無言で紗子の身体を支えてくれた。
どうにか彼の手を借りて、書庫まで辿り着く。
冷や汗が背中を流れていって気持ちが悪い。
「薬、あります?」
「・・・・・・カバンに・・・」
いつも荷物置き場にしている長机を震える指で示せば、彼がそれを取って戻って来てくれた。
ピルケースを差し出されて、お礼も言えないままどうにか薬を飲み下す。
それでもこんな場所で
薬が効いてくるまでの20分を、どうにか絶えなくてはならない。
目を閉じて、パソコンの液晶画面の明かりから逃げるように顔を伏せる。
今にも顔を出しそうなもう一人の自分を必死に抑え込みながら自分の身体を抱きしめた。
「明かり、落としておきますね」
少し離れた場所からそんな声がして、すぐに部屋の明かりが消える。
「呼吸を深くして、神経を休めたほうが楽になりますよ」
淡々とした口調で告げられた言葉に、返事も何も出来ないままとにかく呼吸にだけ意識を向ける。
火照ってくる身体に目を向けてはいけない。
すぐに足音が遠くなって、部屋から誰もいなくなる。
オメガの
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