第21話 primary13-2
あれほど大変だった蔵書点検すらもう一回やってのけられるような気分になるのだから凄い。
自分の現金さにちょっと呆れてしまう。
これまでの倉沢紗子はこんなに単純だっただろうか。
「最近、有栖川さんよく図書館に来られますよね?読みたい専門書があるんですか?」
専門書の中には貴重なものも多く、館内でのみ利用可能、貸出厳禁のものもある。
そういった本を求めてくる利用者は、読書スペースを陣取って開館から閉館まで机に齧りついているのだ。
紗子はフロアにずっと出ているわけではないので、有栖川が紗子に声を掛けた後どんな風に過ごしているのか知らなかった。
研究者が本の虫というのはよくある話だ。
「・・・・・・・・・まあ、そんなとこ。微熱は出てない?」
思案顔になった有栖川が珍しく言葉を濁してから、視線を下ろして来た。
また研究者の顔になった彼それから逃げるように、次の返却本を手に取る。
彼が来るたびして来る質問は毎回ほとんど同じだ。
もう癖になっているのかもしれない。
「あ、はい。大丈夫です。あの、西園寺さんにもお伝えしましたけど、体調に変化があればちゃんとお伝えしますから」
検診日のたびに検査を行って、前回からの変化について細やかなヒアリングが行われる。
ヒアリングは、同じくオメガである西園寺雫と紗子の1対1で行われるので、気負うこともない。
気になる点や心配事も包み隠さず話している。
紗子が答えた内容を、どの程度まで共有してあるのか不明だが、雫のことなので、きちんと紗子の気持ちを汲んで配慮してくれているはずだし、なにより有栖川が欲しいのはデータなのだ。
彼が興味を持っているのは紗子の持つオメガ性質であって、紗子本人ではない。
「ここ最近ずっとフワフワしてるから、体調の変化に鈍くなってるんじゃないかと思って」
それなのに、紗子自身の心境の変化にこんな風にツッコミを入れてくるから、対応に困るのだ。
「フ、フワフワ・・・し、てないと・・・・・・・・・思いますけど・・・・・・ちゃんと仕事もしてますし・・・」
今まで以上に色んなことに積極的になっているし、きちんと毎日の業務だってこなしている。
治験参加もして、オメガの自分とも向き合おうと努力している。
そりゃあ、確かに浮足立っている部分があるのは否めないけれど、それは有栖川には関係がないはずだ。
だって彼はただの研究者で、紗子の友人でも同僚でもないのだから。
「毎朝鏡見てるでしょ?気づいてないの?」
信じられないという表情を向けられて、だからどうしてあなたにそんなことを言われなきゃいけないのかとだんだん苛立ちが込み上げてくる。
いくら担当の研究者といえど、紗子のプライベートにまで干渉する権限は持っていないはずだ。
「見てますけど・・・・・・それ、有栖川さんに関係あります?」
変化があればちゃんと報告すると言ってあるし、現時点で紗子の体調は良好そのもの。
初めて男の人を睨みつけた。
女性らしい容姿と雰囲気から、怒ったことがなさそうと言われる紗子だが、実際その通りだった。
誰かに苛立ちを覚えるほど他人と深く関わって来た事が無いし、向けられる嫉妬や憎悪に対しては、ほぼ諦めの境地しか抱いてこなかった。
有栖川が紗子の視線を受け止めて、眩しそうに目を細めた。
この表情は初めて見たかもしれない、そんな感想を抱いた直後。
「・・・・・・気持ちにばっかり意識が向いてると、ちょっとした変化を見落としがちだから、気を付けて。とくに思い込みが激しい倉沢さんみたいなタイプは、油断したら途端反動で体調崩すよ」
飛んできた指摘にあなたねぇ!と言い返しそうになる。
これには心底カチンときた。
真尋の同僚だと言われなければ、治験の話題が出た時点で席を立っていたはずだ。
そして、いまの台詞で確信した。
彼と自分は、やっぱり物凄く、とてつもなく相性が悪いのだと。
「・・・・・・思い込みが激しいって・・・・・・なんで分かるんですか?そんなこと言われたことありませんけど・・・・・・この間知り合ったばかりの研究者に、私の内面の事まであれこれ詮索されたくないです」
紗子の言葉に、有栖川が鋭く言い返す。
「市成さんには、知って欲しいくせに」
長身の彼から見下ろされると、見下されているような気持ちになる。
誰かに喧嘩を売った事も、売ろうと思ったこともない。
むしろこれまでの人生では、身の覚えのないやっかみを受けて辟易する事の方が多かったのに。
初めて目の前の有栖川に喧嘩を吹っ掛けたくなった。
事あるごとに市成の名前を出して、こちらの心臓を揺さぶってくるのは何かのテストなのだろうか。
「!?な、なんでそこで市成さんの名前出すんですか!?・・・・・・・・・ほんとに有栖川さんて、性格悪いですね!」
これ以上の問答はご免だと、最後の一冊を書架に押し込んで足早にフロアを立ち去る。
書庫に入ってドアを閉めたら、さらに腹立たしさがこみあげてきた。
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