第18話 primary11-2

「はい・・・今日もお世話になります」


「こちらこそ、よろしくお願いします・・・・・・西園寺さん、頼みますね」


紗子に向かって丁寧に頭を下げた市成が、研究所ラボから出ていく。


その後ろ姿を入り口まで見送った後、検査室に入った雫が色々と含んだ表情で呟いた。


「・・・そっかー・・・・・・有栖川さんより、麻生さんのほうが、どっちかっていうととっつきにくいぶっきらぼうタイプなんですけどねー」


さっきの話題はまだ終わっていなかったらしい。


「麻生さんは、知り合いのお・・・・・・彼氏さんなんで」


思わずお兄さん、と言いかけて慌てて言い直した。


真尋がここで二人のことをどんな風に伝えているのか分からないのに、勝手なことを口にするのは良くない。


市成に会えてすっかり浮かれている自分を窘める。


「あ、倉沢さんって橘田さんのお友達でしたね!」


途端、合点がいったと言うように、雫が大きく頷いた。


そういえば、茜は紗子よりも早くから研究所ラボで抑制剤の治験を受けているのだから、当然雫とも知り合いのはずだ。


「はい・・・だから、優しくて面倒見の良い・・・・・・甘々な麻生さんしか見た事ないんです、私」


麻生真尋の目には、茜のことしか映っていない。


それは誰が一緒に居ても変わらない。


一度でいいから、あんな風に大事にされたいな、と思う。


運命の番というのは、きっと彼女たちのようなアルファとオメガをいうのだ。


ふいにさっき向けられた市成の笑顔が甦って、胸が苦しくなった。


彼が懐に入れて大切にするオメガは、どんな人なんだろう。


「うわー・・・じゃあ、倉沢さんは、砂糖まみれの麻生さん見てるんですね!すごいですか?」


「凄いですよー・・・・・・私と三人で食事しているときもずーっと茜の世話ばっかり焼いてますもん。この間なんて、食事に行った帰り道駐車場で二人で隠れてイチャイチャしてて・・・・・・」


「ひえー・・・気まずすぎますね」


「その後の車の中、死ぬほど気まずかったですけどね・・・・・・でも、ほかに帰る方法なんて無いし」


あの発言が無かったとしても、有栖川に送って貰うつもりはなかった。


二人きりなんてそれこそもっと気まずすぎるからだ。


明らかにキスの直後だと分かるくらい顔を真っ赤にした茜が、胸を押さえて深呼吸をしながら紗子の名前を呼んできて、真尋から逃げるように後部座席に乗り込んだ彼女は、紗子の家に着いた後も助手席に移動しようとはしなかった。


何度も手招きされて、しぶしぶ助手席に腰を下ろした茜の困惑顔と、真尋の幸せそうな顔の対比がどうにも可笑しくて、幸せそうで、たまらなくなった。


「有栖川さんも、優しいですけどね」


検査準備に取り掛かりながら、雫が穏やかに告げる。


紗子が言いだせなかった靴擦れに気づいて、自分では無くて雫に手当てを言いつける配慮は、有り難いの一言に尽きた。


丁寧に消毒をして、絆創膏を貼って貰った足はずいぶん楽になった。


あのまま我慢し続けていたらもっと傷が広がっていたはずだ。


おかげですっかり踵は綺麗になったし、履き慣れたヒールはもう紗子を傷つけない。


「優しいん・・・・・・でしょうね・・・・・・たぶん」


紗子の言い方が可笑しかったのか、雫がひょいと眉を持ち上げる。


「・・・優しくされたことありません?」


そう言えば、彼から直接的に親切にされたのは、茜と一緒に突発的な発情トランスヒートの紗子を助けてくれたあの時一回きりだ。


次に会った彼は、紗子の秘めていた恋心を見抜いた上に遠慮なしに口にして来た。


けれど、市成が研究所ラボに来る時間をちゃんと教えてくれたりもして。


背中を押されているのか、そうじゃないのか分からない。


「・・・・・・私の性格が悪いんでしょうね」


麻生真尋に感じるような安心感を彼には抱けないし、かといって、市成に感じるようなときめきはもっと皆無。


いつだって彼と居る時の紗子は落ち着かない。


「そんなことないですよ!!でも、まあ、相性ってありますからねー・・・・・・でも、有栖川さんここ長いですけど、自分から被験者登録の声掛けしたのって、倉沢さんが初めてでしたよ?」


「私が突発的発情トランスヒート起こすところに鉢合わせしたから、そのせいですね、きっと」


有栖川はどこまでも冷静に紗子に触れて、薬を手渡してくれた。


まるであの日の市成のように。


紗子の言葉に、雫が難しい顔で首を傾げる。


「んー・・・ですかねー・・・まあ、うちは積極的にオメガ採用してるので、社内で突発的発情トランスヒート起こしちゃう子も珍しくないんで、対応に慣れてはいるとは思うんですけど、わざわざうちでもオメガ療養所コクーンでもないとこで声掛けするなんて、ちょっとびっくりしました」


「・・・・・・そう、ですか」


彼の視線の居心地悪さの理由が、やっとわかった。


有栖川は、紗子の持つオメガ性質を探るように見つめてくるから、落ち着かなくなるのだ。

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