第11話 primary7-2

また甲斐甲斐しく茜の皿に料理を取り分けた真尋が、ご丁寧に一口サイズにカットしたトマトとモッツァレラチーズを茜の口に放り込む。


時々3人で食事をしている紗子にとってこれはもうお馴染みの光景なのだが、初めて見るらしい有栖川は面食らったような顔になっていた。


目を見開いて同僚を見つめた有栖川が、また視線を紗子へと戻す。


一瞬目が合ったと同時に、彼が口元をほころばせた。


真尋と茜が微笑ましかったのではない、紗子の顔を見て笑ったのだ。


いいなぁ、と思ったことが顔に出ていたのだろう。


気恥ずかしくなって慌てて視線を皿に戻して、冷めかけたピザを齧った。


食事が終盤に差し掛かったころ、茜の世話と無難な職場の話題提供に集中していた真尋が、改まった様子で紗子に向きなおった。


「あのさ、倉沢さん。最近は突発的発情トランスヒート落ち着いてるの?」


「あ、はい・・・・・・比較的少なくは、なってると思います。体調によってやっぱり変動はあるんですけど・・・いまの強めの抑制剤は身体に合ってるんだと思います」


「そっか・・・・・・」


頷いた真尋が、ちらりと茜に視線を向ける。


頷いた茜が、身体ごと紗子に向きなおった途端、前の席の有栖川が口を開いた。


「倉沢さん、抑制剤の治験、受けませんか?」


突然切り出された本題に、一瞬ぽかんとなった。


「・・・・・・・・・え?」


今日の食事会はあの日のお礼を言うための場ではなかったのだ。


すべてのお膳立てはこのため。


目を見開いた紗子に、茜が慌てて身を乗り出す。


「あのね、紗子。私も前から治験に参加してるのは知ってるでしょ?それでね、もし良かったらっていう話なんだけど・・・・・・いきなり話振ってごめんね?」


急に言われても困るよねぇ、と茜がフォローに回ってくれたけれど、笑い返す気にはなれなかった。


考えたことがないわけではない。


トランスタイプのオメガは、発情ヒートのケースが多すぎて抑制剤の開発が難航していることは知っているし、その為、定期的に異なる種類の抑制剤を試しては発情ヒートの具合を確かめる試運転状態がずっと続いている。


「・・・・・・茜が治験参加してるのは、頼れる麻生さんが研究所ラボに居てくれるからだよね?」


一番身近な人が研究所ラボにいて、年中無休で茜の身体を診てくれるから、安心して被験者として治験に参加出来るだろう。


でも、紗子は違う。


ただでさえ突発的発情トランスヒートを抱えているのに、いくら抑制剤開発のためとはいえ、見ず知らずの研究者に自分の身体を提供したくはない。


嫌な言い方になったな、と思ったけれど後の祭りだった。


気まずそうに視線を揺らした茜が、詰るような視線を真尋と有栖川に向ける。


きっと彼女はこの状況を望んでいなかったはずだ。


茜がもっと違う形での提案を希望していたことは一気に悪くなったその場の空気で分かった。


けれど今更どうしようもない。


さっきまでは美味しく味わえていた食事がさっそく胃の中でもたれはじめる。


こういうちょっとした気持ちの変化が身体に直結してしまうので、オメガは厄介なのだ。


ここで突発的発情トランスヒートを起こすことだけは意地でも避けたい。


重たい沈黙を破ったのは有栖川だった。


「いま、開発を進めているのが突発的発情トランスヒートを抑えるための即効性抑制剤なんです。先日、倉沢さんが服用していた抑制剤見ましたけど、あれは海外メーカーのもので、副作用もかなりきつい、ですよね?」


淡々とした口調で質問されて、同じように端的に答える。


「それは・・・・・・そう、ですけど・・・」


飲むと発情ヒートは早く治まるが、その分眩暈を起こしたり気分が悪くなったりしてしばらくは動けなくなるのだ。


「そういった副作用の少ない、日本人の体質に合ったものを開発中なんです。現在も研究所ラボでトランスタイプのオメガ何人かに治験を行っているんですが、こちらとしてはもっとデータが欲しいんです。出来れば、倉沢さんにも参加して貰いたい。現時点でもかなりの効果が認められているので、今よりは突発的発情トランスヒートが楽になると思いますよ。毎回、突発的発情トランスヒートに怯えて生活するの、嫌でしょ?」


副作用が少ない抑制剤は、すべてのオメガが望んでいる事だ。


そして即効性の抑制剤は、突発的発情トランスヒートに苦しむオメガには必須。


「・・・・・・・・・」


自分の一歩が同じオメガの為の大きな一歩になることは分かっている。


けれど、いまの紗子は茜ほど献身的にはなれない。


男性ばかりだと聞いた覚えのある研究所ラボに行くのも正直不安しかない。


顔をしかめる紗子の肩を優しく撫でて、茜が明るい声で言った。


「嫌だったら無理しなくていいのよ、紗子。ただね、この間の突発的発情トランスヒートを見た有栖川さんが、いま治験中の薬で紗子がちょっとでも楽なったらって言ってくれてね・・・・・・・・・余計なことだったら、ごめんね」


オメガ療養所コクーンで苦しむ紗子を支えてくれた茜は、一番つらい時期の紗子を間近で見て来た一人だ。


茜がどれくらい紗子のことを心配してくれているのかは、痛いくらい分かっている。


そんな彼女の想いをはねつけるわけにはいかない。


紗子はどうにか口角を持ち上げた。


「ううん・・・・・・・・・ありがと・・・・・・少し、考えさせてもらってもいいですか?」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る