第15話 primary10-1

何度も敷地の前を通ったことはあるけれど、今日初めて足を踏み入れた西園寺メディカルセンターのエントランスの前で、紗子は盛大に頬を引きつらせた。


茜経由で連絡が入ったのは真尋のはずなのに、どうして肝心の彼はおらず、代わりに会いたくない有栖川がここに居るのか。


「・・・・・・・・・今日は麻生さんはいらっしゃらないんですか?」


なんであなたなんですかと言外に含ませて尋ねれば、黒縁メガネの奥で目を細めた有栖川が遠慮なしに吹き出した。


「ほんとに俺嫌われたな」


口先だけは残念そうなのに、その顔はちっとも残念そうじゃない。


あ、この人信用できないな、と確信する。


嫌われた、というのは全くもってその通りなのだが、まだ紗子は一度もそれを口にしていない。


というか、必死に出さないように堪えているのだ。


これでも一応れっきとした社会人なので。


「・・・・・・・・・私何も言ってませんけど・・・・・・それに・・・・・・お返事は、有栖川さんじゃなくて、麻生さんにしたつもりなんですが」


”一度、治験について詳しい話を聞かせて貰いたい”


茜経由で、麻生真尋にそうお願いしたはずだ。


食事会の雰囲気を見ていれば、有栖川と紗子の相性が良くない事は分かっただろうに。


「生憎麻生は外せない会議に出てるよ。俺と二人じゃ心配?」


あの食事会の夜にも感じた探るような視線を向けられて、思わず後ろ脚を引いてしまう。


何だろう、彼の視線に晒されると本能的に逃げたくなるのだ。


「いえ別に・・・ちょっとお尋ねしただけです」


「市成さんは、夕方研究所ラボに顔を出すことが多いから、会えるといいね」


チラッと笑った彼のその笑顔には、明らかにからかいの色が含まれていた。


あんなに嫌そうにしていた癖に、市成に釣られてのこのこここまでやって来たのか、とその顔に書いてある。


が、図星なので言い返せない。


「っっ・・・・・・」


治験の説明を聞きに行くだけにしてはやけに気合の入った装いを上から下まで確かめられて、穴を掘って埋まりたくなる。


午後休を申請した時も、館長からお出かけなの?いいねぇ、とほくほく顔を向けられてしまったし、書庫にやって来た同僚たちからは代わる代わる可愛いのオンパレードを受け取った。


たしかに、普段の2倍は気合が入っている。


だって言うなれば、ここは市成のホームなのだ。


いつ見られても恥ずかしくない格好でないとやって来れない。


あの食事会の後、茜に無神経な発言を謝罪してめいっぱいごめんねを伝えた。


自分でも底意地の悪さに嫌気がさした。


誰かを羨んだってしょうがないし、羨めば羨むほど自分が虚しくなるだけだ。


茜は笑って気にしてないよと言ってくれて、逆に自分が余計なお節介をしてしまったと謝られた。


最新の薬を試すことが出来る治験は、紗子にとってプラスになるのは確かだから、気持ちが急いてしまったと申し訳なさそうに口にする茜に、逆にこちらが罪悪感でいっぱいになった。


そんな茜の気持ちを汲んで、そして、何より市成に会えるかもしれないという有栖川の一言が背中を押して、いま、紗子はここに居る。


休日を利用して、茜に無理を言って付き合って貰って買い揃えた洋服は、どれも華やかな色合いのものばかり。


仕事場でも着れるようにフェミニンなデザインを選んだけれど、ちょっと派手過ぎないかと心配になったが、茜と同僚たちの評判は揃って上々だった。


『紗子はもっと明るい色の洋服が似合うと思ってたのよ!』


ここぞとばかりにパステルカラーの洋服ばかり選んで試着を勧めて来た茜に言われるがまま購入を決めたけれど、図書館でいつもよりも視線を感じたのはこの格好のせいだと思う。


とはいえ、鏡に映る自分の姿はいつもの数倍凛としていて、悪くないなと思えたのだけれど。

そういえば、鏡に映る自分の姿をじっくりと確かめたのなんて、いつぶりだろう。


他人の視線を避けることばかりしてきたから。


「俺と二人きりにはならないから、安心して。気まずいでしょ?」


どうしてこうも彼は一言、いや、二言多いのか。


エントランスを抜けて、有栖川に案内されて受付で入館証を受け取って、一面ガラス張りの明るい廊下を奥へと向かう。


もっと無機質で暗い雰囲気なのかと思っていたけれど、研究所とは思えないくらい採光が取り入れられていてどこもかしこも眩しいくらいだ。


「・・・・・・だから、私何も言ってません・・・」


有栖川が前を歩いて居るのをいいことに盛大に高い位置にある後ろ頭を睨みつけてやる。


誰かに対してこんな風に苛立ちを向けるのはそう言えば初めてかもしれない。


「でも、倉沢さん、顔に出てるよ?」


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