妖精郷の魔女を調べる学者の話 7

 死神は問われたことに少し不思議そうな顔をした。

「なんだ。自覚がなかったのか」

 口火を切ったのは黒衣の魔術師だった。彼の声音には特段落胆も失望も見えなかった。ただすんなりと「理解した」と、彼の声は言外に語っていた。

 きみの問いに答えよう。死神が歌うように言葉を述べる。

「彼女と同じ、命の賢者として君に告げよう。きみは彼女の魔術にかかっている。定命を覆し、その生命を接いで生きながらえた者だ」

 それは祝福の言葉であるはずだった。自分が研究としている、国が誇る魔女、「妖精郷の魔女」の魔術をその身に受けている。それが誇らしくないはずがない。

 けれど、学者の胸に浮かんだのは「後悔」だった。

 なぜ、自分は「妖精郷の魔女」の魔術を覚えていないのか。

 「妖精郷の魔女」に定命を覆してもらった者。それはすなわち、死する運命であったものを生きながらえさせてもらい、自分はここに生かされているということだ。

 学者はひとり己の記憶を探ったが、そのような記憶は存在しない。


「――それで?」

 静かな死神の声で、沈み込んでいた思考の海から意識が浮上する。

「驚かせちゃったみたいだけど。元々きみが聞きたかったことは、これじゃあないんだろ?」

 学者自身の出自に関して、眼前の死神はこれ以上情報を持ち合わせてはいないようだった。

 学者はひとつため息をつき、死神の告げた「真実」を一度脇へ追いやった。

「私が尋ねたいことなんて、ひとつしかありませんよ」

 眼前の死神は、そんなことはとうに知っていると言わんばかりの眼差しをこちらへ向けた。

 王命でこの役目を拝したとき、初めに胸に抱いたのは緊張よりも畏怖よりも、溢れんばかりの興味と期待だった。


 「学者」とは、ある事柄に対して飽くなき探究心と好奇心によって、未知なるモノを明らかにする職業である。それはここにいる彼も同じであった。

 彼にとって興味を惹かれてやまなかった対象が「妖精郷の魔女」であり、それをいかなる犠牲を払っても知りたいと思った。その欲求だけでここまで来た。

 年を経るにつれて、夢のような欲求と地獄のような現実の乖離が襲いくるのは人間のさがである。己しか見えていない者が、周囲を見て世界を知り始めれば、あまりに己が矮小なものであるかと理解する。

 けれど、それでも学者は諦めることを知らなかった。

 知らなければ知ればいい。無いならば求めればいい。この命がある以上、追い求めることを咎めるものは誰もいない。そう信じてここまでやってきたのだった。


「妖精郷の魔女とは、どのような魔術師だったのか。それを話してもらいたいだけです。確かに直接話をしたであろう、あなたに」

 どこに住むかも知れない、伝承と伝聞だけに残る「妖精郷の魔女」

 知らぬ土地で噂が立てば何を振り払っても訪ねていき、彼女が残したとされる書籍が見つかったとあらば一度でいいから目に入れるためにと赴いた。

 そんな学者であっても、これまで相手にしてきたのは「妖精郷の魔女」に命を延ばしてもらった者のみだ。そして彼らは皆、そろって魔女のことはよく覚えていないとのたまうのだった。

 黒いドレスを身にまとい、洗練された華奢な髪留めで金の髪を美しく結い上げた淑女であった、という話は聞いた。

 けれど、彼女がどのような声で話し、どのような魔術をかけ、命を延ばすことをどう思っているのか、それらの話は一切聞くことができなかった。

 彼女は人嫌いの「妖精郷の魔女」と呼ばれて久しい。

 人に会わぬよう、余計な噂が立たぬよう画策しているのかもしれない。

 直接会って話をしているはずなのに、彼らの言葉は噂話と大差がなかった。

 けれど、この死神ならば、彼女の死を知らせた青年ならば、もっと彼女の存在を確かに伝えてくれるのではないか。

 そう期待するなと言う方が、野暮というものだった。

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