魔女の屋敷に住むブラウニーの話
足に衝撃が走るのと、かさりと耳慣れない音がしたのは同時だった。固く閉じていた目を恐る恐る開けば、死神が出迎えるように目の前に立っていた。
相当な距離を落下したような気がしていたが、おそらく落下の衝撃は彼が緩和してくれたのだろう。学者の周りにはそろそろ見慣れてきた煙管の煙が取り巻いていた。
ただそれよりも、学者が言葉をなくしたのは目の前に広がる光景だった。
上を見上げれば青い空が広がり、眼前には太い幹の木々が並び立つ。足元はしっかりとした大地に背の低い草が生い茂り、深く息を吸えばかぎ慣れない青々とした香りが肺を満たした。
学者の住む街は、鉄と蒸気に覆われた都市だ。これほどの緑を見たことはなかった。
命の天秤を操る魔女が住む世界――妖精郷が、目の前に広がっていた。
目の前に広がる一面の緑に、めまいがした。むせ返るような香りは、錆びついた鉄と蒸気のものとは全く違うものだ。吹き抜ける風は熱をはらむこともない。
今、国中がやっきになって探し求めている館の庭に自分が立っている。それはひどく恐れ多いことであったが、それより何より、やはり嬉しさがこみ上げてきた。
「感慨深い、って顔だね」
そう言う死神の表情はどこか楽しげだった。なにかおかしな態度を取ってしまっただろうか、と少し慌てたが、死神はそんな学者の様子を見てひらひらと手を振った。
「連れてきたかいがあったな、と思ってるだけだよ。きみが気にすることは何もない」
きみの目的を果たすにはここがいい、と死神は迷う素振りも見せずに歩みをすすめる。
「それじゃあ、行こうか」
しばし呆然と立ちすくんでいた学者に、死神はそう声をかけた。
ここは魔女の庭先であり、館はもっと奥にあるという。
この「魔女の庭」に入ってから、どれほど時間が経っただろうか。学者の持ち込んだ懐中時計は早々に無用の長物となっていて、この異様な森の中では体感時間など当てにもならない。
けれど、どこまで行くのか、と死神に尋ねることもどこかはばかられて、学者は静々と後ろをついて回っていた。
そうして道なき道を登りきったその上には、手入れの行き届いた庭園がひとつ。その中心には瀟洒な館がひとつ、緑に囲まれるようにして立っていた。
背の低い鉄扉を押し開き、死神は館へと歩み寄る。学者はしばし館を呆然と眺めていた。
ここに来たことは、一度もないはずだった。けれど、どこか言いしれぬ郷愁の情が胸を満たしていた。
死神がためらうことなく館の扉を叩こうとした、その時だ。
「もうこちらへ来ないように、と伝えたはずですが」
その声は冷ややかを通り越して極寒の北の冬を思わせた。声の方を振り向くが、そこには今通ってきた庭の道が広がっているばかりだ。
おっといけない、と死神は学者の両目を片手で遮った。何だ、と驚いたのも一瞬で、死神はすぐに手を外す。
すると、眼前にはひとりの少女が今刈り取ったらしい花束を抱えて立っていた。布をつぎはぎして仕立てた少し大きめの服を着ている。年の頃は十代半ばのように見えるが、剣呑さを隠そうともしないその態度は、より一層彼女を幼く見せた。
極寒の視線を浴びせられても、隣の死神はどこ吹く風といった印象で笑みを見せている。
「そうは言われてもなぁ。僕は客を連れてきただけさ」
ほら、と死神が学者の背中を押した。若干つんのめるように前へ歩み出る。
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