終章

 きっと、妖精郷の魔女は自身の「命の天秤」の傾きも分かっていただろう。けれど、自然のなりゆきのまま、彼女は最期を迎えたかったのだろう。

 少女がそう話を終えた頃には、窓から差し込む日差しは橙に染まっていた。


 少女は、妖精郷の魔女亡き後もこの館を手入れし守っていくつもりだという。この郷に生きる妖精たちはほとんど、彼女が生きていたときと同じように暮らすという。

 だから、人間に踏み荒らされるわけにはいかないのだと。

 少女は、ひとつの小箱を差し出してきた。何も言わぬ彼女から受け取り、フタを開く。

 そこに入っていたのはひと房の金の髪だった。艷やかで美しい、金糸のようなそれを少女は学者に持ち帰るよう告げた。

「あの方の墓に、あなたをお連れするわけにはいきません。けれど、手ぶらで帰るわけにはいかないのでしょう?」

 これを死した証として持ち帰る代わりに、もうここへは来ないようにと少女は願った。

 妖精郷の魔女の死は、妖精郷と人の世の分断を意味すると妖精たちは考えていた。人の世へ出ていけば、妖精たちはもはやこの郷へ帰ってこれない。これまで人の世でも妖精が見られていたのは、彼女が妖精たちのみ通れる道を作っていたからだと、少女は告げた。

「あの方はもうお休みになられた。だから、騒がしくしてほしくはないのです」

 学者は渡された小箱の髪をもう一度見て、ゆっくりと蓋を閉じた。


*****


 妖精郷の時間の流れは、学者たちの国とはずいぶんと違っていた。

 学者が死神に連れられて妖精郷を訪ねたのは半日ほど前であったはずなのに、こちらへ戻ってきてみればすでに四日が経っていた。死神のかけていた術は当然見破られ、総出で捜索されている最中の帰還だった。賓客である死神はともかく、学者はまるで罪人のように国王の前に突き出された。

 国王は妖精郷の魔女の亡骸を一目でいいから見たいと言い続けたが、妖精郷の魔女に最期まで仕えたブラウニーが学者へ託した、わずかな遺髪を目にして、ようやく諦めたようだった。

 髪には魔力が籠もるという。たとえ抜けた毛一本であっても、実力ある魔術師のそれは魔術の触媒になる。だからこそ、他者の手には決して渡らぬようにするのだと、学者に教えたのは死神だった。


 妖精郷の魔女の墓は、妖精たちによって彼女が没した館の庭に作られていた。ただの人間にはたどり着くことのできない場所だ。

 道標もなくたどり着けるのは、元々この場所を知っている魔術師くらいのものだろう。

 けれど、この場所もじきに消え失せていくだろうと、妖精郷の皆が言った。

 妖精郷の魔女がこの郷を守るためにかけた魔術は、彼女が死した後も残るものであった。けれど、それは「妖精郷の魔女」という存在を人々が語り継ぐことが前提だった。

 この国の人間皆が、妖精郷の魔女のことを忘れた時、この郷も幻のように消え失せる。妖精郷に生きるすべてのモノたちは、それを理解し納得した上で妖精郷に集っていた。


 学者が死神と妖精郷に滞在している間に、すべての準備は整っていた。

 荘厳な交響楽団(オーケストラ)の音色が響く中、亡骸のない葬儀は執り行われた。国民の皆が彼女の死を悼み、遺髪しか入っていない、けれど立派な棺へ向かって祈りを捧げた。


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