終章 2

*****


 死神との別れは唐突なものだった。

 彼にいつまでこの国に滞在するのか、と学者が尋ねようとした矢先、前をゆく彼の姿がふいに滲むようにゆらいだ。

 錯覚か、と目をこする学者の方へ、死神は振り向く。

「それじゃ、僕は帰るよ」

 告げる声は確かだが、その姿は徐々におぼろに霞んでゆく。

 長居するのも気が引けるしね、と彼は続けた。その意図が汲み取れず、学者は思わず首を傾げていた。そろそろ実体が霞に変わりきる頃、死神が気配だけで笑う。

「きみ、やることがあるだろう? 僕に構っているよりも、もっと大事な」

 国賓たる死神がいる限り、学者は彼に付き添うことになる。それを彼は危惧したのだろう。

「書き終わったら読ませてよ。呼ぶときは『それ』で」

 じゃあね、と最後まで明るく、彼は姿を消した。「それ」の意味を尋ね返す暇もなかったが、彼の立っていた場所を見て、ふいに笑みがこぼれた。


 王立学舎の近くの下町、小さな川の傍にある寄宿舎の一室に、学者は帰ってきた。

 扉を開けば古い紙とほこりっぽい匂いがした。いたるところに書が積み上げられ、資料が我が物顔で占拠する手狭な部屋は、久しく戻っていなかったように思えた。

 明るく賑やかしい声が聞こえないことを、どこか寂しく思っている自分に驚いた。

 机を覆い尽くすように積まれた資料や書物を脇に避けて、買い込んできた紙を積んだ。万年筆に墨を入れながら、今日までの濃密すぎる数日間を振り返った。

 そこで、ひとつ思い出す。鞄の奥底から取り出したのは、ずんぐりとした背の低い蝋燭だった。かの異国の死神が置いていったものだ。目に留まるところへ蝋燭を置く。

 紙を一枚引き出した。学者は普段のフィールドワークの結果をまとめるのと同じように万年筆を走らせ始めたが、途中で手を止めた。書きかけた紙をくしゃくしゃとまとめて放り投げる。

 学者は部屋を見回した。うず高く積まれた学術書に、学者が書き残し続けた記録の紙が溢れかえった部屋だ。

 学者であるならば、精緻に事実を書き留めるべきだ。

 けれど、そうして残された「資料」は、どれだけの人が目に留めるだろうか。

 限りなく長く、多くの人が彼女のことを覚えているには、どのような形がいいのだろう。

 ゆっくりと息をついた後、学者は再度、紙を引き出した。万年筆を静かに走らせる。


 これは記録である。

 異例なる「ふたりめの命の賢者」

 幻想を侍らせ妖精郷の魔女と謳われた、ひとりの女の記録である。


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命の魔女の回想録(メモワーズ) 唯月湊 @yidksk

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