第28話 お菓子を読み解け

「よし、送信!」


 スマホの画面を見て、海さんは胸の前で小さくガッツポーズを作る。気になった俺が覗き込もうとすると、さっきまでフリック入力していた画面を見せてくれる。


「これを和沙さんから香帆さんに送ってもらったんだ」

 そこには、海さんから「送ってくれますか」と依頼している文章が映されていた。



『香帆、お久しぶり! 集中投稿期間って言ってたけど、インステ更新してないよね。三日も空いたからちょっと心配になっちゃって連絡しちゃった。ホントに大丈夫? 病気とかならお見舞い行こうか?』


「一種の揺さぶりみたいなものだね」

 彼の言葉に、俺は「揺さぶり?」と復唱する。


「彼女が今誰と一緒にいるのか、あるいは一人なのかも分からないけど、もし誰かのせいで投稿を制限されているなら、これで状況を少し打開できるかもしれない。犯人からしたら、変な疑いをかけられるのは怖いだろうからね」


「なるほど、だから和沙さんから送ってもらったんですね。お見舞いって言えば、香帆さんが自宅にいないのがバレちゃうかもしれないし」


「そう。和沙さんが香帆さんの自宅を知っているかどうかまでは把握してないだろうし、万が一知ってるとしても、そのくらい距離が近い友人がいるってことは犯人からしたら厄介だからね」


 もともとは「彼女が一人でいて何らかの事情で更新できない」という説もあったのに、いつの間にか犯人がいる前提で話が進んでいる。二人共通の敵なので、当然かもしれない。


「それじゃあオル君、ドリップでコーヒーでも淹れよう。ゆっくり冷ましながら飲んでる間に、香帆さんに動きがあるかもしれないからね」

「ふふっ、海さん、ときどきホームズみたいな喋り方しますね」


 ペーパーフィルターをドリッパーにセットし、二人分のコーヒーを入れる。時間をかけて飲みながら、さっき和沙さんに書いてもらった契約書をファイリングしたりして過ごしていると、次第に夜の暗がりが東十条の町を飲み込んでいった。




 期待通りに事が進んだと知れたのは、夜の一九時を回った頃。俺はバイトをあがってもいい時間だったけど、事件のことが気になって帰る気にならず、まだ事務所に残っていた。


「オル君、香帆さんが更新してたよ!」

「ホントですか!」


 応接用ソファーに挟まれた机を拭いていた俺は、パソコンに駆けよる。「女子大生リトミーの宅飲み部屋」のアカウントに、二分程度の動画が一本追加されていた。少し前にアップされたらしい。


 再生してみる。畳の部屋で、机に個別包装のおせんべいが三つ並べられている。香帆さんの顔は映っておらず、少し高めの声だけが聞こえてきた。



「皆さんこんばんは。配信しばらくお休みしちゃっててすみません! 友達の家に来てるので、いつもと違う部屋でお届けします。今回は顔も無しで放送なので、私のかわいい声をお楽しみください!」



 聞いていた海さんは、一度再生を停止する。そして俺の方を向きながら画面を指差した。


「これまでの動画を見たけど、毎回リビングで撮影してたからね。少なくとも、今は全く違う場所にいるらしい」

「本当に友達の家かどうかは置いておいて、ってことですね」

「だね。それでも、動画を撮るくらいの自由はあるってことだし、極端に差し迫った状況じゃないって分かっただけでも収穫だよ」


 安堵の表情を見せながら、彼は再生ボタンをクリックした。



「今日のお酒のアテはおせんべい! この『三度醤油付け がんこせんべい』はとにかく中まではしっかり味が浸みてる固いせんべいなんです。しかも七味がかかってるのもポイント高い。しょっぱ辛くて、ビールにも日本酒にも合うおつまみになってますよ! さて、どれから食べようかな……三つの中で一番美味しそうなものを選んで食べる。こんなの、SNSでしか許されないですよね!」



 叫んだ香帆さんは、横に三つ並べたおせんべいのうち、真ん中のものスッと下にずらして取り、袋を開けてぼりぼり食べ始めた。



「私をただの大学生からインステ上の人気者にしてくれたSNSに感謝しつつ、今日は真ん中からいただきます。そして忘れずにビールも! この、お酒としょっぱいおつまみの足し算! いや、かけ算かな? とにかく、最高なんですよ!」



 新発売のビールを画面の右端に映し、そのままプルタブをプシュッと開ける。そして画面から消えたかと思うとゴクッゴクッと喉を鳴らす音がして、「やっぱり最高!」という叫び声と共に放送は終わった。


「ううん、普通の動画でしたね……とりあえず投稿したのかな?」

「いや、それはないと思う」

 俺の率直な感想を、海さんは即座に否定した。


「和沙さんからの連絡があったことで、香帆さんは自分を気にかけてくれる人がいることが分かったはず。そして、焦った犯人から動画を投稿するチャンスをもらった。香帆さんからしたら、これを最大限に活かしたい。だから、きっと何らかのメッセージがあるんだよ」

「でも、動画の中にはそれらしきものは……」


「そう、そこがポイントだよ。犯人からすれば、今の状況を伝えられるとまずい。だから、動画は公開前にチェックするに違いない。それをくぐるためには、メッセージ自体を巧妙に隠さないといけないんだ。例えば、カメラをずらした一瞬だけ住所が映ってるとかね」


 ということは、この二分足らずの映像の中に入っているんだ、香帆さんからのヒントが。


「途中で何か重要なものを映してる可能性はある。再生速度を遅らせて何度か見てみよう」


 海さんの提案で、0.75倍で再生してみる。おせんべいを並べているところ、香帆さんの台詞、そのおせんべいを上にずらして食べて、ビールを飲むところ。通して何回か見たけど、まったくそれ以外の情報は映っていない。どころか、カメラがそもそも移動していない。


「読みが違うか……だとしたら……」


 ぶつぶつと呟きながら、海さんは繰り返し動画を再生する。最後までいったら再生、終わったらまた再生。もはや再生数を上げるためのバイトのようにも見えてきた。俺も何度も見ているけど、全く分からない。台詞の頭文字を取ると文になるとか、ビールを持っている手の親指がかかっているところが地名なんじゃないかとか、色々推察してみたものの、どれも的外れだった。



 間もなく長針が一周し、二十時を迎えるという辺りで、遂に彼はカチッと動画を停止する。


「せんべいを何でこんな風に……待てよ、こう動かしたってことは……」


 そして、パンッと唇で破裂音を出したかと思うと、疲れ切った体を預けるように背もたれに寄り掛かり、ふひゅうと息を吐いた。


「そうか、なるほどね」

「え、分かったんですか!」

「うん。メッセージはちゃんと動画の中で堂々と見せていたんだ」


 返事をしながら、両手で側頭部の髪を押さえて一気にかき上げる。ボサボサの髪が、開花の早送りした花のようにぶわっと広がった。


「香帆さんもシャレの聞いたメッセージを出してきたね。和沙さんのバックに僕たちみたいな探偵がついていると予想したのかもしれない」


 海さんはもう一度動画を再生する。そして、おせんべいを食べようとするところで止めた。



『三つの中で一番美味しそうなものを選んで食べる。こんなの、SNSでしか許されないですよね!』



「ここだよ、ポイントは。せんべいをただ食べるんじゃなくて、下にずらしてる。そして、こことその後にもう一回も『SNS』って言ってるんだ」

「SNSとこのおせんべいが、何か繋がってるんですか?」

「ああ。おせんべいが三枚、SNSも三文字。つまりこれは、。そして、。Nを一つ後ろにずらすと……」


「S・O・S……」

 俺の回答に、海さんは笑顔で「正解」と笑った。


「そしてもう一つ、ビールのところだね。ここにもヒントがあった」



『お酒としょっぱいおつまみの足し算! いや、かけ算かな? とにかく、最高なんですよ!』



「オル君、足し算の記号の形、何を思い浮かべる?」

「プラスの記号ってことですか? まあ順当にいくと、十字——」

 そこで俺は謎の答えに辿り着く。同時に、なぜかけ算と言い換えたかも解けた。


使。漫画やドラマのクロスオーバーなんて、作品同士のかけ算って意味ですもんね」

「そう、香帆さんは犯人の名前も知らせてくれたのか。会うことを伝えておいた和沙さんなら、その苗字で分かると踏んでね」



 黒須と一緒にいる香帆さんが助けを求めている。俺が赤都を探したときと似たようだったはずの事件は、一気に闇の方向へと舵を切った。

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