第30話 絞って、狭めて
「さて、ここからどう推理するかだね」
海さんは、左手の指を右手にグッと押し当てる。パキパキっと骨の音がした。
「今のところ、川が近いってことしか分からないね。今日は関東全域で天気は良いみたいだから、東京かどうかも確証は持てない。あとは……川を見下ろす形で映ってたからおそらくマンションだってことくらいかな」
「この動画から推理するのはかなり厳しいですね」
「でも、香帆さんからしたら川を映してくれたのもギリギリのラインだったのかもしれない。あの一瞬なら犯人が見逃してくれると踏んだ、とかね」
そう、川が映ったのは本当に一瞬だった。それだけでも何らかのヒントにはなるはず、とカメラの視点を切り替える中で撮影してくれたに違いない。
「海さん、一応確認ですけど、DMで香帆さんに直接聞くって選択肢はやっぱりないですかね……?」
「ないね。スマホを香帆さんがずっと持っているとは限らない。オル君もそれが心配だったんでしょ? 万が一黒須が保管していて逐一チェックしていたら僕たちの存在がバレる。そこで場所を移動されたりしたらアウトだからね」
「ですよね……」
仕方ない、ここは地道に推理していこう。
「まずは場所を絞り込もうか。もう一度動画を見よう」
こうして、動画とにらめっこする時間が始まった。もう一度、なんて言ったものの、海さんは「もう一回」「また始めから見るね」と再生を繰り返す。短い動画と言えど、四分のものを十回以上見ると、あっという間に一時間が経過した。台詞を一部覚えるほど聞いたけど、特に収穫はない。
「オル君、ザラメ食べる?」
「……いただきます」
小皿に盛ったザラメをティースプーンで掬い、二人で並んでボリボリと食べる。こんな変な光景はそうそう見られないだろう。
噛み砕く食感が心地よく、砂糖の甘さがダイレクトに頭に回っていく感じがする。「糖分は頭脳労働には大事だからね」という海さんの言葉を思い出した。
「動画の中で気になるところあるかい?」
海さんに聞かれ、俺は唸りながら頷いた。
「最初にインステライブが大変って語ってる部分、ですかね。かなり急な話題なので、何か伝えたいメッセージがあるんだと思うんですけど、それが分からないんです。特に……」
「特に?」
「『今はお酒好き女子大生界隈では中央のポジションにいる』って部分ですかね。普通なら『トップクラス』とか『上位にいる』って言うところだと思うんですけど、中央って珍しいなあって。まあアイドルとかはセンターって呼ぶのが変ってことはないんですけど……」
「中央って使わなきゃいけない理由があったんじゃないかってことか。僕も『様子見』って言葉が引っかかってる。なんでここでこんな言葉使ったんだろう……中央……中央……様子見……」
海さんは立ち上がり、再び悩みだす。うろうろと歩きながら考え込んでいるのは、ホームズをリスペクトしてのことだろうか。彼もよくこんな風に歩き回っていた。
「そういえば、香帆さんと黒須はどこであったんでしょうね。大学は駒込って言ってたからその辺りですかね」
「どうだろうね、同じ豊島区なら池袋の方が会いやすい——」
そこまで言った海さんが話すのを止める。メガネの奥の目だけが、ギラギラと動いていた。そして、嬉しそうに口をググっと曲げる。
「香帆さんはホントに頭のキレる子だね」
「謎、解けたんですか?」
「うん、語り出した部分だね。見事な言葉遊びだよ」
そう言って、彼はグーにした手を前に出し、一本ずつ指を立てていく。
「他のインステライバーさんも『台頭』、編集の『高等』テク、『中央』のポジション、『仲の』良い子、様『子見だ』なんて。全部、二三区の名称だ」
「あっ!」
台東区、江東区、中央区、中野区、墨田区。だから中央って単語を使ったんだ。
「別にこの中のどこかにいるってわけではないと思う。だったら紛らわしく五つも並べないだろうからね。多分、都内にいるってことを伝えたかったんだ」
「確かに、都内にいるかどうか、確定してなかったですもんね」
そうだとすれば俺の知識や記憶が役に立つかもしれない。
「具体的な場所でいうと、多分さっきの川が……海さん、さっきの映像見せてください」
画面とキーボードを借りて、一瞬だけ映った川を見ていく。関東全域くらい広い範囲だと見当のつかなかった場所も、都内なら記憶にある映像と対比できる。黒須のせいで人と関わるのがイヤになり、黒須のおかげで始めた一人散歩で、この川を見ていないか脳内の思い出を引っ掻き回す。
やがて、曖昧ではあるものの、一つの結論に至った。
「これ……荒川です」
「オル君、覚えてるの?」
「はい、近くを歩いたはずです。といってもすみません。どこで見たのかまではちょっと思い出せないんですけど……」
「いや、それだけでも大分絞れるよ」
海さんはブラウザ上でマップを開く。そして、東京都の部分を拡大した。
「この東十条のある北区とか江戸川区を通って東京湾まで流れ出てる、かなり大きな川だ。それでもこの流域に絞れるなら儲けものだよ。オル君、ナイス手柄だ!」
拍手する海さん。しかし、実際には解決までの道のりはまだまだ遠い。荒川沿いにあるマンションなんて幾らでもあるはず。もっとヒントがないと減らせない。でも、しばらく香帆さんからの更新は期待できない。だとしたら、やはりあの動画からヒントを探すしかないのだ。
「大丈夫だよ、オル君。僕のネットストーキング知識をフル活用するからね」
「なんかそう言われると逆にちょっと心配になりますね……」
パソコンのモニタをずっと見ていた探偵は、その動画をデスクトップに保存する。そのまま操作を続け、見たことのないアプリを立ち上げた。
「動画編集ソフトだよ。ここに音声編集のツールも入ってる」
「音をいじるんですか?」
「小さくて聞こえない音を拾うんだ。映像自体はイヤというほど見たからね」
カチカチとクリックし、さっきの動画を読み込んだかと思うと、音の波形が表示される。範囲指定をしながらパラメータを打ち込み、香帆さんが喋っていないシーンの波を著しく大きくした。
そして改めて再生してみる。すると、今まで聞こえていなかった部分のボリュームが上がり、今まで聞こえていなかった音を発見した。
カキンッ
調整したところで大きいとは言えない音。それでも、確かに聞こえている。聞き覚えがあるけど、あと一歩のところで思い出せない。
「何でしょう、この音」
彼の方を見ると、にんまりと笑みを浮かべている。もう既に解けているのが明らかな表情だ。
「オル君、川沿いということは河川敷があるんだよ? そして今の、金属で何かを叩くような音だ」
「……野球!」
「正解。画面の下に川が映ったから、川の手前にあった野球場に気が付かなかったんだ」
そうか、金属バットで打った音だ。中学や高校でサッカーをしているときに同じグラウンドでさんざん聞いた音、記憶に残っていて当たり前だ。
「荒川で、近くに野球場がある場所。北区、足立区、葛飾区あたりが多そうだね。ただ、さすが荒川、流域が広いな。もう少し場所を絞り込めないと、直接行って調べるのも難しいよ」
頭を掻く海さんの横で、余っている少し大きめのノートパソコンを借りて、香帆さんの動画を再生する。
何か、何かもっとヒントがあるはずだ。確証はない、でもあると信じて今は映像を流す、食い入るように見る。
絶対に香帆さんのいる場所を見つけたい。俺も海さんも被害に遭った。黒須を、今度こそ止める。
「明日は全国的に雨になるかも、って天気予報で見ました。雨は嫌ですね、川が怖いです。傘持ってきてないしなあ」
香帆さんが茶色い柵のベランダから真下を見つつ、ぼやいていたシーンを見返す。せめてもう少し川をしっかり見て、特徴でも言ってくれたらいいのに。全国的に雨だとしたら、東京都内の区を絞り込むなんて夢のまた夢だ。増水する川が怖いのはよく分かるけど……
「…………あれ?」
動画を思い出し、どこか違和感を感じた。「何かあった?」と訊く海さんに返事する余裕もないまま、もう一度再生する。もう一度。もう一度。何度も見返す。
そして、遂にその違和感の正体を突き止めた。
「海さん、見てくださいこの場面!」
「ベランダから川を覗いてるシーンだよね」
「いえ、よく考えたら違うんです。一瞬映った荒川は画面の奥に位置してましたよね。でも、ここで香帆さんは真下を見てるんです。つまり別のものを見ている」
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