第31話 決戦のインターホン
「何だって?」
海さんはもう一度動画を見る。そして、香帆さんが下を覗き込むシーンを数度見返した。
「本当だ。でもこうして下を見ながら、雨だと川が怖いって言ってる。ということは……真下にも川があるってことだ」
「恐らくそうだと思います」
「お手柄だよ、オル君!」
俺の手を急にギュッと握り、ブンブンと腕を振り回す。力任せのお礼が、なんだか嬉しい。
「まあ、分かったのはそれだけなんですけどね」
「いや、それだけでもかなり推理は進むよ」
ブラウザのタブを右に移動し、東京の地図を再度表示した。
「香帆さんの映像を見ると、昼前に撮ったはずなのに逆光になってない。ということは南から北に向けて撮影してるってことだ。奥に荒川、真下に別の川があるのだとすれば、その別の川は荒川の南に位置してるってことになる。そうなると……足立区の隅田川と、北区の
「特定できるんですか?」
返事の代わりに、海さんはザラメの乗ったスプーンをパクッと咥え、スマホの影響をコンコンと叩く。
「野球場の管理番号に電話してみるよ。幸いもう寒くなってきた時期だ。今日の午前中に野球をやってた場所は限られるかもしれないからね」
そして、リストアップした野球場に片っ端から電話をしていく。電話が繋がらないところは、Tweeterで「草野球 荒川」などのキーワードで検索して情報収集。単調で地味な作業。一ヶ所の確認に短くても三分、検索が入れば十五分、全部調べるのに優に一時間半はかかる。
しかし、それはストーカーも顔負けの根気強さである海さんが最も得意とするところでもあった。
そして、その努力は今回、幸運な結果に結びつく。
「よし、午前に使ってたのは新河岸川の二ヶ所だけだ!」
結局二時間かけて最後の電話を切った海さんが小躍りする。時間は十四時半。気が付くと俺も海さんも、お昼など完全に忘れて調査に没頭していた。お腹が減らなかったのは、ザラメのおかげだろう。
「北区にある新荒川大橋少年野球場ってところだね。オル君が見たのもこの辺りかな?」
海さんが画像検索で画面を出した瞬間、「あっ、こんな感じです!」と叫び声が出た。以前一人で散歩したときに、確かにこんな風景を見た気がする。
「埼玉と東京の境目あたりにある野球場だね。アルファベットでエリアが区切られてるんだけど、BとCが使われてたみたいだ」
東京の地図を思いっきりズームアップする海さん。北部で埼玉県と隣接している野球場が表示された。その北には荒川が、南には新河岸川が見えている。
「ここが見えるマンションは十軒ちょっとだ。ベランダの柵の色が茶色だったから、マンションの外観で探していこう」
今度は住宅サイトに行って、マンションを片っ端から探していく。空き部屋がないマンションでも、細かく探していけば過去の掲載情報などが見られるものだ。こんな風にどんどん候補を狭めていけるのは、正直面白かった。
「ここまでで残ったのは三軒だね」
「あとは現地に行かないと分からないですかね」
「いや、オル君。住宅サイトでまだ確認できることがあるよ」
海さんは昨日投稿された動画を再生してくれる。おせんべいを机の上に乗せているシーンだ。
「これは和室で撮られてる。つまり、全部洋室のマンションは対象外ってことさ」
「確かに! 間取りを調べましょう!」
そしてサイトでマンションの間取りを調べていく。三軒のうち、全部洋室の間取りが二軒、残り一軒だけが、和室もある2LDKだった。
「このマンションだね。六階建てだけど、割と高いところから川を見てたから、三階から六階って感じかな」
言いながら、彼はスマホを持って立ち上がる。そして、いい加減それでは寒いだろうというペラペラのコートを羽織った。
「出ますか?」
「うん、出よう」
それだけでこれからやることが分かる。完全に以心伝心。
現地に行って、香帆さん、そして黒須を直接探しに行く。
東十条駅から目的地の最寄り駅である赤羽はJR京浜東北線で一駅。東京湾に近い場所だと移動が大変だったので、近場で良かった。
駅の東口を出て、赤羽一番街と名のついた商店街を歩いていく。北方向へ四、五百メートル続く通りは、「赤羽と言えば安くて美味しい居酒屋」というイメージ通り飲み屋が多いものの、焼き肉屋や寿司屋、薬局や呉服屋も入っているメインストリートだ。
休日の夕方前ということもあって、グループで歩く大学生や三十代らしきカップルなど、大勢の人々で賑わっている。昼から開いている居酒屋では、既に酒盛りが始まっていた。
「そういえばお腹減ったな……僕たち、昼食べてないもんね。夕飯は美味しいものにありつこう」
「そうですね、口の中がザラメで甘ったるいです」
「まああの甘ったるさも、慣れると良いもんだよ。あ、オル君、ここを左だ」
線路の下をくぐって西側に渡る。交差点を川に向かうように右折すると、川の手前にマンションが見えた。
仁衣香さんの事件のときと同じように、郵便受けを確かめる。四階の405だけポストに宛名がなかった。
「これですかね? 海さん、ちょっと隙間から覗いて、黒須宛に来たものか確認しましょうよ」
「オル君、それはダメだよ。それじゃ立派なストーカーだよ!」
「だから海さんの中でストーカーの基準って何なんですか」
ここまでどれだけ検索をしてここに辿り着いたのか。
「でもホントに、今のままだとこの部屋で合ってるか確認できませんよ」
「ああ、それなら心配には及ばないよ。あとオル君、ちょっとスマホ借りてもいいかな」
「いいですよ。何に使うんですか?」
スマホを渡すと、彼は「ちょっとね」と楽しそうにはぐらかす。そしてワイシャツの胸ポケットに入れた後、エントランスのドアの前に行き、横のインターホンで406と押す。呼び出しのボタンを押すとピンポーンと可愛げな音が鳴った。しばらく待ったものの、出る気配はない。
「留守、ですかね?」
「居留守ってこともあるから。ここは
海さんはその後も何度もインターホンを押す。もしこれが人違いで、何かあって出てないとしたら、怒って応対するかもしれない。でも、海さんはそんなことは気にも留めないだろう。それは俺も同じ気持ちだ。今は目的のために手段を選んでいられない。
六回目か七回目のインターホンで、遂にガチャッと通話の音がする。気怠そうな声が、スピーカーを通じてエントランスに響き、天井に反響した。
「何だよ、何回もかけてきやがって」
向こうからはこっちの顔が見えているはずだ。宅配便の格好でもないスーツの男性と、大学生の俺。どう考えても普通の用事ではなさそうに見える。受け答えによっては、まともに取り合ってもらえず、すぐに切られてしまうだろう。それ以上しつこく呼び出したら、逆に俺たちが警察を呼ばれる可能性もある。
海さんはどう対応するのだろうと見ていると、ものすごく腰の低い態度で、カメラで見えるようにペコペコとお辞儀しだした。
「あの、すみません何度も。ちょっとお尋ねしたいことがありまして……そんなにお時間取らせませんので」
警戒心を解こうとしているに違いない。しかし次の瞬間、彼はメガネのブリッジに指をかけてクイッと持ち上げ、不敵に微笑んだ。
「黒須浩二さん、だよね?」
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