第32話 ヒーローじゃなくていい

「……誰だ?」


 突然名前を言い当てられたからか、黒須はかなり動揺しているように声を揺らす。


「君は僕のことを何も知らないと思うけど、僕は君のことをそれなりに知っているよ」


 海さんはスマホも開かず、何も見ないまま話し始めた。


「黒須浩二、今年で三四歳。身長は一七二センチ、体型はやや痩せ型。都内を転々としているうえに漫画喫茶暮らしのような生活をしている時期もあるので住所を特定しにくい。視力は悪いのでコンタクトをつけている。以前はハードコンタクトだったけど、強風で飛ばされたことがあり、そこからはワンデーのものに変えた。好物は牛丼、つゆだく。甘いもの、特にあんこ系が苦手なので群馬の高崎にいたときも親族からもらった和菓子はほとんど食べてない。お酒は好きだけどそこまで強くなくて、もっぱら発泡酒を買っている。

 仕事はフリーのライターで、群馬では地元のニュースを独自取材していた。それをネットニュースに買い取ってもらっていたけど、プライバシーに踏み込みすぎた記事も多く、ニュースのサイトに何度も苦情が来ている。三十歳くらいの上京前は、仕事がなかったのかバイトとして依頼された人物の家や素性、行動パターンをSNSなどをもとに調査するっていうストーカーのようなことをやっていて、被害にあった学生も多い。僕の友人含めてね」


 これまで調べてきたであろう、恐ろしいほど細かな情報を立て板に水で伝えていく。友人、のところで、海さんは僕をちらりと見た。


 スピーカーからは何の声も聞こえてこない。突然自分自身のことをつまびらかに暴露されたことに驚いているのかもしれない。


 やがて、黒須の叫び声が聞こえてきた。


「何だよ……何なんだよお前は!」


 その質問を待っていたかのように、海さんはにやりと笑ってみせた。


「ストーカー、なんてね。ただの探偵だよ」




「それで、ストーカーが何の用だ?」

「いや、そこに利富香帆さんをかくまっているんじゃないかと思ってさ。この前、インタビューってことで彼女と会ってるでしょ?」


 俺は驚いて彼の方に体を向ける。そんなストレートに聞いても、絶対に黒須は教えてくれない。どころか、インターホンを切ってしまうのではないだろうか。もっと少しずつ話を詰めていって、ヒントを集めていくのだと思ったのに。


「残念だったな。彼女はここにはいないよ」


 自分が有利な立場にいるのが可笑しかったのか、黒須はクックックと笑い声を漏らす。


「大体、いたとして、どう証明するんだ? そっちからは俺の顔も見られない、彼女の顔だって確認できない。もし今ここで女の声が聞こえたとして、それが彼女だと確認できるか? そもそも部屋にも入れないし、誰か通らなきゃエントランスも開かないんだぜ? 探偵はな、ここでは無力だよ」


 悔しいけど、彼の言う通りだ。今の俺達では、どうやっても彼女を助けることはできな——


「別に無力でいいよ、僕たちはね。力のある人に任せればいい」


 海さんは冷静に、しかしどこか力強く叫んだ。そしてスマホを取り出し、何か操作をする。


 次の瞬間。



 ~♪~♪~♪



 インターホンの向こう、つまり黒須のいる部屋から着信音が流れる。黒須は「うおっ」と軽く叫んだあと、かけている主に気付いたからか、すぐに着信拒否した。


「香帆さんの友人から依頼を受けていたからね。もちろん番号は控えてた。そして何か連絡があったときに気付けるよう、君がマナーモードにしていないことも予想がついていた。それは香帆さんのスマホだね。そして……」


 彼はワイシャツからもう一つのスマホを取り出す。俺が貸したそのスマホは、何かが動いていた。そして、俺たちの背後に、二人の人影を感じる。


「ボイスメモを録らせてもらっているよ。僕が発信した番号と時間は履歴から分かるし、そっちの部屋で携帯が鳴った時間はボイスメモから分かる。つまり、これを組み合わせれば、少なくとも君の部屋に香帆さんの携帯があることは立証できる。後は、今ちょうど後ろに到着した警察がそこに踏み込むから、少しだけ待ってて」

「警察……だと……」


 明らかに動揺しているようだ。二の句が告げないでいる。


「先に呼んでおいたんだよ。管理人ももうすぐ来るから、エントランスも開けられる」

「ふざけるな! 待ってろ! 今そこに行くから!」

「いいや、いいよ。僕は別に、君の顔を見ようとは思わないからさ。時間取らないとか言って、しっかり取っちゃって悪かったね。あと、最後に……」


 スマホをしまいながら、海さんは振り返る。その目は、これまで見た中で一番冷酷だった。


「他人の情報を悪用したり、余計な詮索したりするのはやめた方がいい。その年になっても分かってないみたいだから、一度だけ忠告しておくよ。次にやったら、また僕がどこまでも探して捕まえに行くから」


 黒須が「おい、待て!」と叫ぶ中、海さんと俺は警察官二人に「あとはよろしくお願いします」と伝え、足早にマンションを出た。


「よし、これで完了! ふう、疲れた!」


 時間は一五時の昼下がり。海さんは伸びをしながら歩く。少し肌寒くはあるものの、日も照っていて、荒川沿いを散歩するにはちょうどいい天気だった。遠くで野球少年たちが目一杯拍手と声援を送りながら試合をしている。


「なんかあっけない幕切れでしたね……あれで俺達が部屋まで踏み込めたらヒーローだったんですけど」

「ヒーローじゃなくていいよ別に」


 数歩前を歩く海さんは、俺の方を振り向いてフフッと鼻を鳴らす。


「僕は物理的にも権力的にも力があるわけじゃないからね。できるのは根気よく調べることだけだから。それで誰かが助かるなら、ヒーローは他の人がやればいい」

「……ですね」


 悪用されて俺の人生を狂わされたネットストーキングの技術も、こうやって使えば人を活かすことに使える。それを再確認した瞬間、探偵、須藤海も十分ヒーローに見えた。



 ***



「黒須、ちゃんと逮捕されたらしい」


 月曜日、探偵事務所にバイトに行くと、海さんが二つのマグカップにドリップコーヒーを淹れながら話してくれた。


「監禁罪だとすると、軽くでも三ヶ月以上の懲役かな。まあこれまで犯罪スレスレとはいえ逮捕はなかったみたいだから、執行猶予がつきそうだけどね」


 そこから彼は、動機についても話してくれた。

 Instegramで彼女の動画を見て興味を持ったまではいいが、調べていくうちに好意を抱いたらしい。インタビューという名目で会い、そのままカフェから誘い出して自宅に軟禁状態にしたようだ。もっとも、乱暴しようとしたわけではなく、憔悴させて交際をOKしてもらおうとしていたとのことだ。

 そんな状態でOKをもらって本当に嬉しいのか、交際が続くと思っているのだろうか。盲目状態になった人の発想はよく分からない。



「海さん、あんまり興味ないんですか?」


 因縁の相手が逮捕されたというニュースにも、彼はあまり興味を示していない。理由を聞いてみると、ぼさぼさの髪を揺らして苦笑した。


「もともと黒須の情報を晒す気はなかったけど、たくさん調べたからさ。インターホン越しに『お前が憎くてこんなに調べたんだぞ』って感じで話したら、なんかスッキリしちゃった」

「なるほど、それなら良かったです」


 ソファーに座って得心して頷く俺に、海さんは折った紙切れを渡そうと自分の机から腕を伸ばす。


「黒須の個人情報、色々教えてもらったよ。どうする? 何かに使うかい?」

 俺は一瞬考えたものの、すぐに首を横に振った。


「いいえ、やめておきます。悪用したら、アイツと一緒だから」

「そっか」

 彼は、少し嬉しそうにその紙をクシャッと丸めてゴミ箱に捨てた。



「そういえばオル君、今月のバイト代と仕送りで、依頼料は返せるんだよね?」


 はい、と返事する。赤都の事件のときに立て替えてもらっていた依頼料が、ようやく払える。払えるけど。


「でも、もう少し働いてもいいですか? ここのバイト、暇なときは楽だし……忙しいときは楽しいです」


 もう少しこの場所で、このストーカーもどきの探偵のもとで、色んな事件に触れてみたい。


「もちろんいいよ! オル君の家の家賃も、王子駅の周辺だとそんなに安い方じゃなかったし、足しにしてよ」


「ありがとうござい……え、待ってください、何で知ってるんですか? ひょっとして海さん、調べました?」

「まあまあ、細かいことは気にしないで。悪用したわけじゃないから」

「調べましたね! やっぱりストーカーだ!」

「だから僕はストーカーじゃないって!」


 二人で笑いながら、海さんと俺は同時にコーヒーを啜った。



 〈須藤海の検索ミステリ 了〉

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須藤海の検索ミステリ ~今日もネットの海を潜り、貴方の秘密を暴きます~ 六畳のえる @rokujo_noel

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