第20話 食いつきを待って
ティータイムで十分経過したが、返事は来ない。不意に訪れた、予期せぬ休憩時間。空気が籠っていたので窓を開けると、待ってましたと自己主張するように秋の風が吹き込み、俺の髪とシャツの襟を揺らした。今ごろ大学の近くで、同じような風が木の葉を舞い落して遊んでいるに違いない。
暇ができてやや退屈しているのか、海さんは軽く首を回す運動をした後、ザラメたっぷりの甘めの紅茶に口をつけながら「ううん」と唸った。
「返事に困ってるのかな。都内じゃない可能性もあるからね。北関東に行ってて、そこから通ってるって可能性もなくはない」
「確かに東京寄りなら通えますもんね」
「僕も群馬にいた頃は、都内に憧れてたからなあ」
「えっ、海さんも群馬なんですか!」
出会って一ヶ月、初めて知る衝撃の事実だ。
「そうだよ、言ってなかったっけ? オル君が群馬ってのは聞いたけど」
「言ってませんよ。うわっ、そうなんですね。なんか急に親近感が湧いてきました」
東京の大学にいると、どうしても東京や千葉、神奈川の知り合いが増えていく。その分、北関東の人間は、なんとなく同志のように感じてしまい結束が強くなる。とはいえ、栃木・茨城・群馬でも北関東ナンバーワンを決める戦いがあったりして固い結束でもないため、真の仲間は群馬県民だけなのだ。
「え、僕は高崎なんですけど、海さんは群馬のどのあたり出身なんですか?」
「赤城山の近くだよ。まあ田舎だよね」
「それは、ええ、まあ」
「まあ自然は綺麗だったけどね。特に赤城山の紅葉の見事さ。群馬全体を華やかに色づかせる、真っ赤なナナカマドの美しさは素晴らしいよ! オシャレな個人経営のカフェはほとんどないけどね!」
「高崎にもそんなになかったからそこは引き分けですよ」
県内のちっちゃなマウント抗争に笑うと、海さんも相好を崩した。
それにしても、海さんが同郷だったなんて驚きだ。大学から東京に来たのだろうか。それとも社会人から? よく考えたら、彼のことを何も知らないことに気付く。探偵ほどの好奇心ではないものの、彼のことをもう少し知りたいと思えた。
「海さ——」
「おっ、返事が来た!」
折り悪く、話を振ろうとしたタイミングで彼は嬉々として画面を食いいるように見つめた。インステにクローバーさんからのDMが来ている。
『こんにちは、はじめまして! ご連絡ありがとうございます! いつも色々な紅茶のお店行ってて羨ましいなあと思ってました。笑 アナザールームの情報、とても嬉しいです。近郊というばっちり都内なんで、今度遊びに行ってみます!』
「まずは一歩前進だね。でも範囲を狭めていくのはここからだよ」
逃がさないよ、と彼は楽しそうな笑みを浮かべる。つり上がった眉が若干怖い。こうして横から見ていると、完全に犯罪者の匂いがする。
「ここからどうするんですか?」
「あくまで紅茶の話題から逸れないようにして、もう少し深掘りしていく感じかな」
言いながら、海さんはまたカタカタとキーボードを打つ。さっきも感じたことだけど、海さんはタッチタイピングが正確で、しかも速い。このスキルで大学のレポートを書いたら、もう少し学期末の作業が楽になるだろう。
『都内なんですね、一緒だ! カフェ好きなJD仲間がいて嬉しいです、これからもやりとりさせてください!笑
ちなみにクローバーさん(って呼んでもいいですか?)はどんなカフェが好きなんですか? 都内でよく行くカフェあれば、いつか行ってインステで紹介してみたいです!』
「これで特定のエリアのカフェが多く出てきたら、そこの近くに住んでる可能性が見えてくるってわけさ」
「さすが……」
スムーズな会話の中で、ヒントを見つけだすテクニックがすごい。仁衣香さんも、まさか住所を推理するためのやりとりだなんて想像もしていないだろう。
「海さん、相手に直接コンタクト取りたいときは、いつもこんな風にアカウントを作ってるんですか?」
「ああ、いや、今回はインステだったからね。Tweeterはもう持ってるんだよ」
「え、専用のアカウントですか?」
彼は食品棚からザラメを取り、「そうだよ」と小皿にジャッと移した。
「今年二三歳の女子、うみねこって名前でね。男性アカウントだと女性に接近しづらいんだけど、女性ならどっちにもアプローチできるから都合がいいんだ。そうだな……もう二年は更新続けてるんだよ。毎日ツイートしてるから、偽物って疑われることもないだろうね」
「それはもはや偽物と呼べないのでは……」
年齢と性別を偽っているだけで、普通に海さんのアカウントな気がする。
「普段忙しいときも、うみねこで投稿するときだけは少し心が穏やかになるんだよね。多分、僕がうみねこちゃんを『人と絡むのは好きだけど、基本はおとなしい』ってキャラとして捉えてるからだと思う。自然と、自分の思ううみねこちゃん通りの振る舞いをしてるっていうか」
「役になりきってる、ってことですね」
陳腐にも思えた俺の合いの手にしかし、海さんは納得したように頷いた。
「心理学者のエリック・バーンが提唱した『人生脚本』に拠ると、僕たちは無意識にそのシナリオ通りに生きてるらしい。オル君の言う通り、役が普段の言動を作るって感じなのかな。だとしたら、うみねこももう一人の僕が作り出した脚本かもしれないね……と、返信が来たよ」
流暢に専門分野について話していたのを止めて、彼は画面を人差し指でコツンと叩いた。
『私も趣味が合いそうな方に出会えてすごく嬉しいです!
好きなカフェ……
「あの辺りか。ってことは……」
海さんはすかさずマップのサイトを開く。お店の名前を打ち込んで広域表示にし、都内のどのあたりかを瞬時に把握する。
「東京の北部、上野方面によくいるみたいだね」
まるでゲームのモンスターの出没場所を分析するように話す彼の顔は、予想通り楽しそうだった。
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