第18話 父と娘

「まだ帰ってこないんです。『ちゃんと暮らしてるから大丈夫だよ』って連絡は定期的に妻に来ているので何か事件に巻き込まれたということではないと思うんですが、やっぱり心配ですね……」


「そうですか。連絡を入れてるということは別に家や家族が嫌になったわけではないということかと思いますが……」


 そのやりとりを聞きながら、隣の海さんに同調して頷く。彼が中鉢さんの話に相槌を打ちつつ、俺に向けて補足で説明を入れてくれたので、今回の依頼の概要がだいぶ見えてきた。



 黒鉢さんは横浜の方に住む五十歳。普段は営業の仕事をしており、今日もクライアント訪問の途中で寄ったとのこと。若いときは誰もが知る上場企業で、全国を飛び回る相当優秀な営業マンだったらしい。今の見た目からはあまり想像がつかなかった。


 二十歳になった大学生の娘、仁衣香にいかさんが家出をしたらしく、その調査を依頼したのが九月末だという。定期的に連絡が来るらしいが、どこにいるか全く分からないとのことで、海さんはじっくり居場所を探しているらしい。



「安心してください。だいぶ仕込みも進んだので、今週あたりから動いていこうと思ってたところでした。おそらく見つけられると思いますよ」

「本当ですか、ありがとうございます!」


 項垂れていた黒鉢さんは顔を上げ、安堵したような表情を見せた。そして、この後も仕事が入っているらしく、「今度は銀座です」と慌てて黒い大きなビジネスバッグを肩から提げる。


「では、本当によろしくお願いします」

「動きがあったらすぐに教えますね」

 海さんの言葉に、彼は玄関先で深くお辞儀をして、事務所を出て行った。



「よし、じゃあ動いていかないとだね」

「あの、海さん」

「ん、どしたの、オル君」

 首を傾げる彼に、俺は一番の不安をぶつけた。


「あの、失礼な質問かもしれないですけど、本当に親子なんですよね? その……」

「若い子を狙うストーカーなんじゃないかって?」

 察しの良い彼の言葉に、俺は黙って頷いた。


「いや、失礼じゃないよ。むしろそこに気が回るのは優秀な探偵の素質があると思う。今回は大丈夫。初めて来たときに、僕も同じ疑問を抱いたから確認したんだよ。そうしたら、証拠として写真を見せてくれた。幼稚園のお遊戯会と、中学の体育祭と、高校式卒業のときのだったかな。ストーカーに明るい僕の直感も踏まえて、問題ないって判断したんだ」

「明るいというか、同類の匂いみたいなもの——」

「さあ、じゃあ探していくよ!」


 俺のツッコミを華麗にスルーして、海さんはパソコンのキーをタンッと軽快に叩いた。


「さっきの言い方だと、全く手がかりがないんですか?」

「いや、SNSは見つけたよ。インステをメインでやってるみたいだね」

 Instegram、通称インステ。写真や動画の共有がメインのSNSだ。


「仁衣香って名前も珍しいし、家出しても大学に通ってるってことは都内近郊に住んでるってことでしょ? その辺りの情報で幾つか組み合わせたら、他にやってる実名のSNSからリンクで簡単に辿り着けたんだ」

「そうなんですね。じゃあいつも通り、投稿内容を見れば……」

「いや、それがそうもいかなくてね」


 背もたれに寄り掛かった海さんはタバコの煙を吐き出すかのように口を丸くして息を吐いた。


「インステ自体は探し当てたんだけど、完全に人の投稿を読んだり仲の良い人にリプするためだけに使ってるらしい」

「あー、分かります」


 これまで海さんと話した中で一番というくらい、同調してみせる。俺も同じだからだ。インステはおもしろ動画や役に立つ生活の知恵みたいな投稿も多いけど、周囲の友人が投稿しているのはもっぱらオシャレな写真だ。こんな美術館に行った、こんなスイーツを食べた、こんなアウターを買った。俺もはじめは適当に写真をアップしていたものの、次第に何を見せればいいか分からなくなり、いつの間にか閲覧してコメントするだけのサイトになってしまった。


「仁衣香さんからの投稿がないから、手掛かりがまったくない状態だね」


 ほら見てごらんと言われ、俺は横から彼のパソコンを覗く。黒鉢を文字ったであろう「クローバー」という名のそのアカウントは、何の写真もアップしていなかった。


 フォローしている人がアップしている、都内のオススメ喫茶店に関する投稿を拡散したり、オシャレなカフェの紹介に「行ってみたいです!」とリプを返したりしている。彼女のフォローやフォロワーに「紅茶女子」「紅茶大好き垢」といった名前が並んでいるのを見ると、どうやら趣味の情報収集用に使っているらしい。


「この状態からどうやって居場所を調べるんですか? 住所が分かるものを投稿するまで待つとか?」


 でも今まで一つも投稿してないのに現実味がないなあ、と思っていると、海さんは首を振った。


「それでうまくいく確率は低いだろうね。万が一投稿してくれるとしても、いつまで待つか分からない。こういう場合は懐に飛び込んだ方が早いんだよ、ほら」


 彼は何度かクリックして、得意げに画面を指差す。液晶に映った「うみねこ」というアカウントは、仁衣香さんのクローバーと相互フォローになっていた。


「このうみねこさんがどうかしたんですか?」

「うん、これは僕が作ったアカウントなんだ!」


 俺は改めて思い知らされた。この人は、相手を知るためならどんな形でも接近するのだと。

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