第3章 ターゲットをフォローして

第17話 どら焼きを片手に

「今日めっちゃ寒いな……」


 講義棟の三階で二限のチャイムを聞きながら、隣の赤都は机にぐでっと突っ伏し、手で自分自身を抱くようにして腕を擦って温めている。俺もそれを見ながら「分かる、もう冬だよ」と体を揺らした。十一月に入って二日目、過ごしやすい秋の気候はすっかり鳴りを潜めた。冷え込む日が続くので、たまに暖かい日が来ても嬉しいというより体調を崩さないか心配になってしまう。


「あ、何それスマホケース、めっちゃオシャレじゃん」

「だろ? この前鎌倉に行ったときに北欧系の雑貨屋で買ったんだよ」


 後ろから男子二人の声が聞こえる。教授が来るのが遅れており、教室の中はちょっと延長した休み時間という感じで隣同士で雑談していた。


「そういえばさ、十条にいる探偵の噂、知ってる?」

「あー、聞いた聞いた。なんか元ストーカーなんだろ?」

「らしいよな」


 そのやりとりに飲んでいたホットのレモンティーが気管支に入りそうになり、「んぐっ」とむせてしまう。その様子を見ていた赤都が、クックッと歯の隙間から笑い声を漏らした。


「有名人だな、須藤さん。誤解されてるけど」

「まあ誤解されても仕方ないからな」


 今日は水曜日なので、三限、十四時半には終わる。その後に事務所に行く予定なので、海さんに変な噂が立っていると冗談で教えてあげよう。



「じゃあな、織貴!」

「おう、また家来いよ!」


 授業が終わり、赤都と別れて、王子駅へ向かう。中央改札の手前で右を見ると、モノレールが視界に入った。山頂までの二十メートル近くを上る、あすかパークレール。白くて丸い車両は、かたつむりに似ていることから、「アスカルゴ」という愛称がついている。地元の群馬と比べたらとんでもない都心だし、上野にも秋葉原にも行きやすいけど、どこか長閑のどかさを残しているこの町が好きだったりする。根が田舎者だから、こういう風景が落ち着くのかもしれない。


「次は、東十条、東十条。お出口は、右側です」


 アナウンスを聞きながら一駅で降りる。そこまで遠い距離じゃないはずなのでいつか自転車でここまで来てみようと決意しながら、俺はふと、ある店のことを思い出して、いつもとは反対側の南口で降りた。


 公園を左手に見ながら坂を下りていき、大きな交差点に差し掛かる左側にその店はあった。「どら焼き」とのぼりの掲げられた店の中には、五十代、六十代の女性のが数名入って買うものを物色している。十五時のおやつどきだからだろうか。夕方になると、もっと大勢の人が並び、店の外に列をなしているのを目にしたこともある。


 俺は目的のものが決まっていたので、他の商品には目もくれず、まっすぐにレジに並んだ。


「あの、黒松を一……あ、いや、二つお願いします」


 店員さんが手際よく、紙袋を用意してくれる。これを手土産に、北口の方に戻って商店街に向かおう。




 コンッ コンッ


「うわはーい!」


 事務所のドアをノックすると、遠くの方から楽しげな声が聞こえていた。まずい、これは依頼者だと勘違いして浮かれている可能性が高い。


「あの、海さん、織貴です」

「あっ、オル君か。今度はノックしながら名前言っていいからね」


 若干テンションを落としながら、海さんがドアを開けてくれた。名前を叫びながらドアを叩くのは少し気恥ずかしいし、まず依頼人だからと言ってそんなに浮かれない方がいいと思う。


「あ、珍しいですね。海さんがジャケット着てるの」

「さすがに寒くなってきたからね」


 そう言って、くたびれた青いワイシャツの上の、さらに年季の入ったネイビーのジャケットの両脇を持ってパンッと下におろしてみせる。カッコつけたつもりなのだろうけど、よく見ると袖のボタンが両腕一つずつ取れていて、お世辞にもキマっていなかった。


「実はお土産持ってきたんですよ」

「うわほーい! 黒松だ! 食べるの久しぶりだよ!」


 俺の紙袋を開けて中を見た瞬間に、彼はさっきと同じような歓喜の声を挙げた。よっぽどお腹が減っていたのか、早速どら焼きのビニールを剝がしている。


 一説によると東京三大どら焼きと呼ばれているらしい、草月というお店の「黒松」という名のどら焼き。たまたまこの近くのランチを調べていたら見つけたので、一度食べてみたかった。緊張しながら、その特徴的なまだら模様の焼き色が付いたどら焼きを、そっと口に運んでみる。


「うわっ、これ皮が美味しいですね!」


 一口頬張ると、黒糖の香り深い甘さと、はちみつの優しい甘みがうまく溶け混ざって、口の中にじゅわっと広がる。これまで食べてきたどら焼きとは全く違う新鮮な美味しさだった。


「うん、皮のオリジナリティーが突出してるよね。洋菓子のようなふわふわな食感と、和菓子特有のもっちり感が合わさってる。そこに上品な甘みを出すつぶあんが合わさって、絶妙なバランスのお菓子になってるんだね」

「海さん、食レポ上手ですね……」

 普段ザラメをボリボリ食べている人とは思えない、意外な特技だ。



「コーヒーとか紅茶飲むかな? あ、新しい紅茶買ったから、そこにあるの飲んでいいよ。僕のも一緒に淹れてくれると嬉しいな!」

「じゃあ、お言葉に甘えていただきますね」


 カセットコンロにやかんをかけて、マグカップを用意する。食品棚に置いてあったのは、ちょっと高級そうなティーバッグの紅茶の入った箱。いつの間にこんなのを買ったんだろう。


「そう言えば、今日学校で海さんが噂になってましたよ。元ストーカーの探偵だって」


 ティーバッグに当てるようにゆっくりお湯を注ぎ、緑色のマグカップを渡しながらからかうように言うと、海さんは口をへの字にひん曲げてみせた。


「だから僕はストーカーじゃないって言ってるのに、どうしてみんなそれが分からないのかな。一人ひとり家を調べて誤解を解きに行こうかな」

「冗談に聞こえなくて怖いのでやめてください」

 本当にやりそうだし、実際に出来そうなのがより恐ろしい。



「まったく、僕はれっきとした探偵なんだよ。今日だってこれから来客があるのに」

「あ、依頼人の方ですか?」

「うん。以前依頼してくれて、今継続して調査中の人が一ヶ月半ぶりに来るんだ。仕事で近くまで足を運ぶから、立ち寄ってくれるらしい」


 海さんはいつものデスクに座り、椅子に寄り掛かって体を反らせ、グッと伸びをした。どら焼きとは違う意味でふわふわの髪が、チアガールのポンポンのように揺れる。


「十五時半くらいにって言ってたからそろそろだと思うんだけど……って、虫の知らせもいいところだね」


 話している途中にノックの音が聞こえ、海さんは「はいはーい!」と上機嫌でドアを開けに行った。


「お久しぶりです、黒鉢くろばちさん」

「どうも、ご無沙汰しています」


 黒鉢と呼ばれたグレーのスーツを着た男性は、五十歳くらいに見えた。丸い顔は肌つやも良く年齢の割には若く見えるものの、「中肉中背」というにはお腹周りの主張が激しく、頭頂部の髪の毛もやや心許ない。不安げな表情もあいまって、率直に言って「冴えないおじさん」という印象を受ける。


「紹介します。最近僕の助手になった、安西織貴おるき君です」


 俺の方に開いた手を伸ばし、唐突に紹介を始める海さん。助手扱いしてくれるのを喜びつつ「こんにちは」と一礼すると、黒鉢さんは俺よりも深く頭を下げた。


「黒鉢俊之としゆきです。家出した娘の居場所を探していて、須藤先生に依頼してます、よろしくお願いします」

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