第12話 ラジオ漬け
十八時を過ぎ、少しずつ外が暗くなってきた。十七時になると真っ暗で外で遊べなくなる冬にはまだ遠いものの、夏が完全に終わってしまったことを空から降りてきた紫の闇が告げる。事務所に流れ込む風が冷気をまとっていて、俺は急いで二ヶ所の窓を閉めた。
「まずは虎月君のツイートを見てみようか」
海さんの横で液晶画面を見ながら、行方をくらませた天草虎月さんのTweeterページを覗いてみる。何か住所や駅が分かるヒントのようなものがあれば、そこから推理を進められるだろう。しかし。
「ううん、見事に何もないね」
「そう、ですね」
出てくるのは「パスタ食べたい」「ライブ行きたいなあ」「冷蔵庫にプリンが入ってると思ったのに入ってなかった」といった日常のツイートばかり。写真も景色を撮ったものはほとんどなく、食べた料理や飲んだお酒、街で見つけた面白ガチャなどのアップが並んでいる。自撮りが全くないのは、声を中心に活動しているからだろう。イケメンアイコンのイメージを崩したくないのかもしれない。
「たまに告知してるのはネットラジオのお知らせか。日常ツイートしかしない人なんですかね」
「そうだね、あるいは意図的に場所が特定される内容を伏せているのか」
口に手を当てながら海さんはボソリと呟く。全く気付かなかったけど、急に姿を消したということであれば彼の説も頷ける。
最後までスクロールすると、妙なことに気付いた。
「あれ、海さん、九月からのツイートしかないですよ? 最近始めたんですかね?」
「いや、利用開始は三年以上前だ。人のツイートを見るためだけに使っていたか、あるいは……」
「ツイートを消したか、ですね」
俺の返事に、彼はゆっくりと頷く。ツイートクリーナー。一定の日付より前のツイートをまとめて消せるWEBサービスだ。
「引っ越したのは八月頭って言ってたね。九月以前のツイートがないってことは、八月中のツイートに新住所のヒントになりそうなものがあって、まとめて消したと考えて良さそうだね」
「ううん、そうすると探すのは難しい……あ、ツイートキャスはアーカイブがあるって言ってましたね」
「そう、僕たちにはキャスがある!」
突然大声で宣言した海さんは、右手の指をパチンと鳴らした。
「あの、ツイートキャスってなんでしたっけ」
「ツイートキャス、通称キャスは簡単に言うと、動画の配信をしたり、その動画の視聴が行えるサービスだよ。生放送・ライブ配信のリアルタイムコミュニケーションを楽しむことができるアプリだね。
キャスの特徴は気軽さだけど、配信を視聴するだけであればリスナーがログインなしで見ることができるっていうのが大きいね。逆に言うと、コメントとかを送りたいんであればログインが必要ってことで、固定ファンが掴みやすい仕組みになってると思う」
「今の説明が簡単……?」
ものすごく早口で大量の情報を摂取した気がする。
「とにかくオル君、アーカイブも残ってるから、今年虎月君が配信したネットラジオを聞けば、何らかヒントが掴めるかもしれないってことだよ!」
「分かりました。どこから聞けばいいですか?」
俺の質問に、海さんはアーカイブの一覧を見ながら「んん」と迷ったような声をあげる。
「引っ越す前にも新居について何か話してるかもしれないから、七月中旬くらいから聞いていこう。ヒントをメモしていく感じだね。」
アーカイブのページをスクロールすると、一ページまるまるサムネイルで埋まっているし、次のページまで続いている。これはかなり頻繁に放送しているようだ。
「作業のボリュームを整理しておこう。虎月君の冠番組『とらつきラジオ』は毎週火曜・金曜の二回、各回だいたい一時間、たまに一時間半だね。七月の十八日週から先週までで二六本だ。ってことは全部で三十時間ちょっとかな」
「三十……」
時間、まで言い切れず、途中で絶句してしまう。
ヒントが出てくるか分からない音声配信をずっと聞いていくなんて、並大抵の人にできることではない。彼の発言を聞くと、この検索探偵が務まるのはやはり一部の特殊な人だけだな、と考えてしまうのだ。
「オル君、まだ時間ある? あるなら始めの放送だけは一緒に聞こう。今度来るときにまだ僕が聞き終わってなかったら分担して聞いていけばいいと思う」
「大丈夫です」
二つ返事が嬉しかったのか、海さんは口角を上げてメガネのブリッジをクイッと持ち上げた。
そして彼の作業デスクの前まで黒い丸型のスツールを動かそうとすると、「長いから背持たれあった方がいいよ」と部屋の端に置かれたパイプ椅子を持ってきてくれた。彼はパソコン用のチェアに座り、並んでキャス配信の動画を見始める。
アーカイブの七月十九日の回を開くと、画面の左側に「とらつき!」という画像が表示された。再生ボタンを押すと、束の間の静けさが事務所を包んだ後、パソコンのスピーカーから挨拶が聞こえてくる。
「こんばんは、天草虎月です。今日は雨ですね。でも多少なら雨に濡れるのも嫌いじゃないって人、僕以外にもそれなりにいるんじゃないかな。それじゃあ『とらつきラジオ』、早速始めていきましょう」
なるほど、これは声をウリにするのも分かる。低音で、それでいて威圧感のない優しい声。女性ファンがたくさんつくのも納得だ。画面の右側のコメント欄には、「こんばんは」「今日もイケボ」「癒される!」など、リスナーからのコメントがどんどん付いていく。
「昨日ってすごく暑かったでしょ? だから久しぶりにコンビニでアイス買ったんだけど、アイスって『今日は絶対アイスクリームよりアイスキャンディーの日だ!』ってなるときない? 僕は昨日キャンディーの日だったんで、無事にパイン味のアイスをゲットしたよ」
ギターのアルペジオの静かなBGMに合わせて、虎月さんがゆっくりとオープニングトークを始める。芸人がやるようなハイテンションなラジオを想像していた俺は見事に裏切られた。でも、良い裏切りかもしれない。あまり騒がしいと、何時間も聞き続けるのは難しいだろう。
「ほら、オル君。ここに視聴してた人数が表示されてる。開始すぐなのにもう四十人も聞いてる、人気なんだね」
「本当だ、どんどん増えてますね」
比例して、コメントもどんどん増えていく。たまにコメントを読み上げて返事をしているのも、リスナーからしたら「自分のを読んでもらえるのかも」というドキドキ感があるのだろう。今回の依頼人である咲菜さんも「やっぱり最高の声!」とコメントしていた。
「じゃあ、もらってた質問に答えていこうかな」
匿名で質問を受け付けられる質問ボックス。そこに来ている質問に、虎月さんは丁寧に回答していく。
「『好きなかき氷のシロップはなんですか?』 ううん……王道だけどブルーハワイ好きなんだよね。なんかさ、イチゴとかレモンとかって他のお菓子でも味わえると思うんだけど、ブルーハワイってかき氷しかないじゃない? あのレアな感じが結構良いなって」
盛り上がりがあったり、爆笑するシーンがあるわけじゃない。ただ、虎月さんが部屋で話しているのを近くで聞いてるような空間。ながら聞きもできる、ゆったりした雰囲気の番組、そして虎月さんに惹かれる女性が多いのだろう。それは、咲菜さんも一緒だったに違いない。
その後も、コメントに絡む形で放送は続き、一時間で番組は終わった。
「ううん、ヒントになりそうなものは無し、か」
そもそもこの時点ではまだ新居に移っていない。引っ越し先の話題が出てくるかと思ったけど、その期待は脆くも崩れ去った。
「まあまだ材料はたっぷりあるし、気を取り直して聞いていこう。おっ、咲菜さんからやっとTweeterのアドレスが来た」
スマホでメールアプリを覗いていた海さんが呟く。すぐ送ると言っていたけど、急ぎで用事があるような雰囲気だったので、ようやく落ち着いて連絡できるようになったのだろう。
海さんは右手の人差し指を寝かせて一気にスクロールしながら彼女のツイートを見ている。
「咲菜さんは一年前にアカウントを開設してるんだね。虎月さんのファンになったのが一年前って言ってたから同じタイミングだ。たまたま聞いてファンになったから自分も始めたって感じなのかな。随分ツイートが少ないから、閲覧メインで使っていたのかもしれないね」
視線を液晶から窓の外に移すと、太陽が消えた街は黒に染まり、街頭が等級の低い星のように鈍く光っている。
俺の目線に気付いた海さんは、パソコンの時計をちらりと見た。
「もう二十時超えてるもんね。オル君、今日は帰って大丈夫だよ。次はいつ来る?」
「そうですね、本当は木曜にしようかと思ってたんですけど……」
でも、内容が気になるし、せっかくだから力になりたい。ただのバイトじゃなくて、助手っぽいことをしてみたい。
「明日、授業が終わったらまた来ようと思います」
そう告げると、海さんは「待ってるよ」と口角を上げ、ザラメを掬って食べた。
***
翌日、授業は午前中のみだったので、お昼を食べてすぐに王子駅へ向かう。平日昼間の飛鳥山公園は都心の駅前と思えないほどのどかで、外から見ても子どもや老人たちでそこそこ賑わっている。その様子を見守るように、ちぎれた雲がぽつりぽつりと秋の晴天に浮かんでいた。
東十条の商店街の途中を折れ曲がり、探偵事務所へ。ドアに手をかけると、すでに鍵が開いていた。ガチャリとノブを回して入ると、昨日と同じ場所でパソコンにイヤホンをつけ、画面を見つめている後ろ姿が見えた。
「海さ——」
「シッ!」
呼びかけを制し、彼はイヤホンを抜く。
「ちょうど良いタイミングだったね。ヒントが出てきたよ」
彼は何回かクリックして放送を戻し、音量を最大に上げた。パソコンのスピーカーから、虎月さんの低く優しい声が聞こえてくる。
「新宿なら割と近いからね、電車で三十分くらいだよ」
楽しそうに口を弓なりに曲げ、青緑のハーフリムのメガネをくいっとあげる。
「都内近郊にいるってことははっきりしたね」
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