第11話 消えた彼氏
「では叶野さん、事件について話してもらえますか?」
海さんがメガネをくいっと持ち上げた。かなり探偵モードに入っているけど、事件と呼ぶほど大きなものではなさそうな気がする。
「えっとお……」
どこか眠気を誘うような声を出しつつ、彼女は顎の下に、摘まむような形の指を置いて話し始める。
「彼は
「芸名みたいですね」
「あ、そうなんです。芸名っていうか、まあハンドルネームですよね。めっちゃ声がいいんで、音声配信とかでネットラジオみたいなのやってるんです。別に事務所に所属してるとかではないんですけど」
咲菜さんと相対する形で二人掛けソファーに座っていると、隣で海さんがカタカタとパソコンを打ち、検索をかける。天草虎月、フォロワーは二千人程いて、本人も「イケボの人」と書いている。
彼女の言う通り、事務所に所属しているわけではなく、別に声優になりたいわけでもなく、ネットラジオやカラオケ放送を定期的に配信しているらしい。顔を出さない形でもこんな風にファンがつけば、誕生日に欲しいものをプレゼントされたり、投げ銭の形でお金を貰えたりと、ちょっとした副業にはなると聞いたことがある。
「立ち入った質問をしてしまってすみません。咲菜さんは虎月さんといつごろからお付き合いしてたんですか?」
「んーーっと、一年前くらいからですね。虎月君はそのときはまだ全然フォロワー数も多くなくて、私はたまたま聞いてファンになった感じでした。おじさんが地下アイドルに恋するみたいな感じですかね」
冗談っぽく言った後、「それでえ」と彼女は続ける。
「配信には毎回行ってたんで、名前覚えてもらってたんですよね。それでだんだんDMとかするようになって……で、通話アプリで話したり、東京に住んでるっていうから会うようになったりしてアタシの方から告白したって感じです。それで、順調に付き合ってたんですけど八月頭に引っ越したらしくて……引っ越し先の住所を教えてくれなかったんですよ!」
急に叫びだす咲菜さん。相当悔しかったのか、だいぶ感情的になっている。
「それで依頼に来たってことですね。すみません、僕から何点か質問させてください。虎月さんに連絡はつかないんですか?」
「つかないんです。ブロックされちゃってて。電話も着信拒否状態です」
「なるほど。立ち入った質問ですが……別れた原因というのは考えられますか?」
その質問に、彼女は一瞬黙り込んだものの、決意したようにフッと短く息を吐いて俺たち二人に向き直る。
「ケンカとかは無かったです。ただ……結構お金を貸してたんですよねえ。配信のためにマイクとかの機材買うって言うので、ちょこちょこバイト代渡してて。だから……ひょっとしたら……」
「持ち逃げされた、って可能性があると」
咲菜さんは黙ったまま、コクンと頷いた。これはかなりダメな彼氏のようだ。
「見つけて復縁したいんですか?」
「いえ、復縁とかは別にいいです。別に無理に付き合わなくてもいい。私よりお金が大事だったってことだと思うんで。でも、五、六十万貸していたので、そこだけはきっちりしたいなと思ってます……」
背中を小さく丸め、スンと小さく鼻を啜る咲菜さん。お金を貸した挙句逃げられて、連絡もつかない。ほぼ詐欺同然の扱いを受けたら、ここまで萎れてしまう気持ちもよく分かる。
「分かりました。でも、住所の特定はかなり時間がかかると思います。長期戦になるかもしれませんけど……」
「あ、いえ、そこまで細かくやらなくてもいいです。最寄駅さえ分かれば、と思ってました。頻繁に行けばいつか会えると思うので」
海さんに向けて、咲菜さんは右手を振って否定する。
「分かりました。一応、推理内容とかも説明したいので、一番初めは咲菜さんと一緒に最寄駅に行く形でいいですか? 現場に行って最終的に検証できることもあるかもしれないですし」
海さんの説明に、咲菜さんは「そんな、いいですよ!」とオーバーなくらい手を振る。
「申し訳ないんで、アタシ一人で会いに行きます。推理が違ってたら、それはそれで仕方ないと思いますし。もし会えたとしても、お金を返してもらって、今までありがとうってお礼が言えれば、それで充分です」
「そうですか、分かりました。では、これから捜査に入っていくので、先に契約を進めましょう」
海さんは隣に積んでいたファイルをサッと取り出し、契約書の紙を華麗に取り出す。ちなみにアレは今日の日中、俺が「また出しっぱなし」と言いながらしまったものだ。
「ここに料金の説明があるので、確認のうえサインお願いします。金額の限度があるようでしたら先にお伝え頂ければ、その金額でできる範囲でご支援しますね」
この事務所では、依頼料は基本料金に加えて、作業量に応じて追加料金を加算することになっている。調べるものが多かったり見つけにくかったりすればそれだけ捜査に時間がかかるので、そういう場合には金額も増えていく、という仕組みだ。ただ、依頼人からすれば青天井に見えてしまうので、海さんがやっているように上限がある場合には先に教えてもらうのは良い配慮だと思う。
「じゃあこれでお願いします。お金の上限とかはあんま気にしてないので、できる限り探してもらえると嬉しいです」
そう言って咲菜さんは、ボールペンで契約書に丸文字のサインを書いた。
「では早速調べていくので、虎月さんのアカウントを教えてもらってもいいですか?」
「あ、はい、んっとお……これです」
スマホを数回タップして、彼女は画面を見せてくれる。絵ですごく美化されたイケメンのアイコンが特徴的なトップ画面だった。
「ここにツイートキャスのリンクがあって、そこから過去の配信のアーカイブに飛べるんで」
「ありがとう、アーカイブがあれば色々材料は見つかりそうですね」
探偵は嬉しそうに揺れ、連動してもさもさの髪がふわふわと跳ね回った。ツイートキャスって何だっけ。聞いたことある気がする。あとで聞いてみよう。
「後は……咲菜さんのアカウントも教えてもらえませんか?」
「え、アタシのも!」
帰り支度をしていた彼女は、バッグを開いたまま、やや驚いた様子でこちらを振り向く。
「何かあったときに連絡しやすいなと思って。メールとか電話のメッセージよりDMの方がいいですよね?」
「あー、確かに。分かりました、ごめんなさい、ちょっと急ぎで出ないといけなくて、後でメールに送ってもいいです?」
「大丈夫ですよ、名刺にアドレス書いてあるので」
机に置いていた名刺をサッと渡すと、彼女は急いでそれを財布にしまい、手持ちカバンを持って「ありがとうございましたあ」と足早に出て行った。
「いやあ、新居は今のところ何の手がかりもないのが怖いところだね」
「確かに、日本全国どこでもあり得るって難しいですね……」
何か手がかりを見つけなければ、捜査は全く進まないだろう。
「お金を借りたまま一方的に別れた彼氏、これは興味深い。関心がある人のことは全部知りたくなるね、なんとしても突き止めなきゃ!」
相変わらずさらりとストーカーのようなことを言う海さん。でも、それが冗談ではなく本気だということも、ちゃんと分かっている。
きっと彼は本当に興味のアンテナが広くて、人間そのものへの関心が深い。警察じゃなくて探偵事務所に依頼に来るなんて、いなくなった人も探してる人もそれなりの事情や理由があって、だからこそそこに惹かれて捜査をしているのだと思う。じゃなければ、アカウントを一件一件チェックするような単純で退屈な作業にあそこまで全力では取り組めないだろう。
「オル君、もう帰っていいけど、どうする?」
「……少しだけ話聞いていきます」
そしてまた俺も、少しだけ興味が
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