第24話 父と娘、だけど

「すみません、連絡もらってすぐに来れず」

「いえいえ、お仕事お忙しいんですから仕方ないですよ」


 十一月四日、金曜日。仁衣香さんの家を特定してから二日後、ちょうどバイトで入っている日の夕方に、依頼人の黒鉢さんが事務所にやってきた。この前より若干濃い、ダークグレーのスーツを着ているけど、お腹のワイシャツ生地がグッと伸びている。知りたがっていた娘の居場所を教えてもらえるからかもしれないが落ち着きがなく、表情も不安げだった。


「早速ですが、仁衣香さんは千駄木駅のこのマンションに住んでいますね。部屋番号も書いてます」


 応接用のソファーで向かい合って座る黒鉢さんに、海さんは不動産のサイトから印刷したマンションの紹介ページを渡す。右下の余白に、サインペンで二〇六と書いてあった。


「ありがとうございます。早速会いに行って連れ戻せるよう説得しないと」


 それを聞いた海さんは、子どもの気持ちを全て理解して話す母親のように、柔らかく微笑んだ。


「娘さん、会えるといいですね。数年ぶり……なんですかね」


 瞬間、黒鉢さんはビクッと体を震わせる。黒目がキロリキロリと泳ぎ、明らかな動揺を見せた。そして、今の態度のままでは誤魔化しきれないと判断したのだろう。小さく息を吐いて、口を開いた。


「あの……なんで分かったんですか」

「これは僕の助手の安西君も気付いたことなんですけどね」

 彼は、俺のことを持ち上げてから、推理を披露し始める。


「僕が調査依頼を受けたとき、ストーカーとかじゃないかという確認の意味で本当の親子か訊きましたよね。失礼なことをしてしまってすみません。でも、そのとき黒鉢さんは証拠として写真を見せてくれたんです。写真って、データさえ手に入ればいくらでもプリントできる。親子だと証明するには、戸籍などを出すのが一般的、というか確実です。それを出せないのは、何か理由があるんじゃないかと思ったんです」


 依頼人は頷きながら静かに聞いている。口を湿らすように海さんがマグカップのコーヒーを飲むと、湯気がメガネを曇らせた。


「で、あのとき見せてもらったのは三枚です。幼稚園のお遊戯会、中学の体育祭。ここまでは日常の学校行事の写真でした。でも、高校のは卒業式、しかも正門前でのかっちりした写真だった。一人で映ってるから、黒鉢さんが仁衣香さんとお母さんを撮ったわけでもない。

 これをもとに、仮説が成り立ちます。彼女が中学のときまでは気軽に撮れる環境にあったけど、。まあ養育費は二十歳まで払うのが通例なので、ひょっとしたら成人式の写真も持ってるかもしれませんけどね」


 謎解きを小休止した海さんは白い陶器の小瓶を開けて、口の広いスプーンでザラメを救う。それをコーヒーに入れるでもなく、手のひらに乗せて普通のお菓子のように口へ運んだ。


「その仮説は今回ここに来てもらってかなり確信に近づきました。そもそも一ヶ月半も家出してるなら、普通ならもっと焦ったり怒ったりして良いタイミングですけど、アナタからはそんな雰囲気が見られなかった。

 そして、水曜に報告して、今日は金曜。僕の探偵経験からしても、娘さんを本当に心配しているなら、すぐに飛んできたり、電話でどの辺りに住んでるかだけでも聞こうとするのが一般的な反応だと思います。多分、そこまで急ぎではない。ということは、仁衣香さんが娘なのは本当だし、居場所を知りたいのも事実だけど、家出というのは嘘。違いますか?」


 最後まで聞いた黒鉢さんはがっくり項垂れた後、ぽつりぽつりと語り始めた。


「仕事が忙しくて、なんてありきたりな理由ですけど、本当に忙しかったんです。新しい営業支店の立ち上げ担当に抜擢されて、毎日調整ごとと打ち合わせの連続で。で、無事に終わったと思ったらその実績を買ってもらってまた別の支店の立ち上げになりました。認めてもらっているなんていうのはありがたいことで、断るなんて選択肢はない。

 でも、そのしわ寄せは家庭に来るんですよね。余裕がなくて妻とのケンカも多くなったし、仁衣香と話す機会も減っていった。結局、仁衣香が高校に入ったときに離婚しました」


 仕事と家庭どっちが大事かなんて話、ドラマでもすっかりありふれたものになっている。でも、こうして現実でも度々起こるからメディアにも出てくるのだろう。家庭も大事なのは当たり前で、でも仕事をないがしろにするわけにもいかなくて、徐々に綻びが生じていく。


「そこから仁衣香さんには会ってないんですか?」

 海さんが尋ねると、彼は黙って頷く。


「ええ、もう四年会ってないです。離婚した後も仕事に忙殺されていて家族と頻繁に取れるような状態ではありませんでした。須藤さんの推理通り、高校卒業の写真だけはもらいましたけど、妻にも娘にも会えていません。仁衣香からも会いたいって話は出てないようですしね」


 ははは、と力なく笑う黒鉢さん。その目に、一方通行な想いの寂しさが映る。


「最近一人暮らしを始めたということは妻から聞きました。で、私もようやく仕事が落ち着いてきた。でも、『今更父親面しようとして』と思われるのが怖くて、妻から住所を聞くのがはばかられたんですよね」

「お会いするんですか?」


「いえ、別に向こうがその気がないのに会う気はありません。でも、手紙を出してみようと思います。言い訳のない謝罪とか、近況を書いてみようかと思って。そこで、万が一連絡を取りたいと思ってくれたらその時は、という感じです」


 居住地の紙をバッグの中のクリアファイルに大事そうに入れ、「本当にありがとうございました」と深々一礼して、黒鉢さんは事務所のドアに向かう。こちらを振り返ったときに、海さんが声をかけた。


「うまくいくよう、祈ってます。もしうまくいかなくても、何の連絡も来なくても、想いは届くはずなので」

 黒鉢さんはもう一度お辞儀をして、事務所を出て行った。


「仁衣香さんと会えますかね?」


 マグカップを洗面所に片付けに行く海さんに訊いてみると、彼は少し斜め上を向いて考えた後、少し微笑みながら首を横に振った。


「それは僕には分からないよ。でも、希望を持って生きられるなら、それで十分なんだと思う。毎日、今日は連絡が来るかなって待つことができる」

「確かに、そうですね」


 日々の楽しみが一つ増える。それだけで、人生は今より少しだけ上向くのかもしれない。



「それじゃオル君、事件解決の打ち上げってことで、たまには外に紅茶を飲みに行こうよ。東十条にも良いカフェはあるからね」


 すっかり詳しくなった海さんは、近くのカフェについて説明しながら、出かける準備を始めたのだった。



〈第3章 了〉

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