第4章 鍵は動画の中にある

第25話 退屈を破る来訪者

「それ、面白いでしょ?」


 空き時間にちょこちょこ読んでいた全三巻の「監視カレシ」を読み終え、ページを閉じた瞬間に、海さんがウキウキした様子で聞いてきた。自分が既に見ている映画をちょうど見終えた人と、あのシーンが良かった云々と感想戦をしたがる高校時代の友人を思い出す。


「そうですね、最終的に彼女が懐柔されるのが、そんなにうまくいくかなって感じではあるんですけど、ラブコメとしては面白かったです」

「だよね。前半の監視のシーンもリアリティ―あって良かった。盗聴器のところとか、ちゃんとプロが設置するところ調べてるなあと思ったしね」


 会社の同僚に好意を寄せすぎて、付き合った後も盗撮や盗聴などストーカーまがいのことを繰り返す超束縛系カレシと、だんだんそれにも慣れていき彼への想いを強めるカノジョの危険なラブストーリーだ。


「付き合い始めとか、ほぼ誘拐に近いじゃないですか。彼女があれで退かずにヒかずに惹かれてるのがすごいですよね。ストックホルム症候群、的なヤツですかね」

「被害者が犯人との間に心理的なつながりを築くアレだね。確かに近いかもしれない」


 また読み直そうかな、と笑いつつ海さんは座ったままグッと伸びをする。窓の外では、秋の優しい風ではなく、冬の入り口である木枯らしが吹いてヒュウッという音を響かせていた。



 十一月十八日、金曜日。通りを歩く人もコートを着始め、長袖で動いて汗をかくことがなくなっている。まもなくクリスマスシーズンとなり、師走とイベントが重なって街全体が慌ただしくなっていくのだろう。


 須藤海探偵事務所はといえば、暇も暇。今日は大学の授業がないので十時にここに来たけど、一五時になる今の今まで、誰一人やってこない。書類の整理もすっかり終わってしまった。もっとも、依頼があるということはそれだけ人探しは多いわけで、暇な方が世の中としてはベターなのだろうけど。



「ちなみに海さん、思い切って聞いてみるんですけど、監視は——」

「ちょっとオル君! それはひどいよ!」

「まだ何も言ってないじゃないですか」

「この漫画みたいに監視とかしたことあるんですか、みたいなこと聞こうとしたんでしょ?」


 さすが探偵、鋭い。なんなら、過去の交際履歴とか分かるかと思ったのに。


「ないに決まってるだろ。僕はストーカーじゃないんだから。大体、相手が嫌がる形で監視するなんてダメだよ。僕がもし『監視カレシ』の主人公だったら、嫌がらない、というか気付かれないよう、相手の僅かな情報から行動を把握して——」

「もういいです」

 目が若干本気なのが怖いところだ……。



「恋愛にもネットストーキングのテクニックって使えそうですよね」

 冗談交じりに言うと、海さんは柔らかい笑みを浮かべて「確かにね」と頷く。

「でも、僕はせいぜい相手の好みを調べたりするくらいだよ。悪用はしないって決めてるからね」


 そう言って、彼は柔らかく微笑む。それを見た俺は、悪いことを言ってしまったと後悔した。


 かつて、自分たちが生まれた土地を離れ引っ越すことになった、きっかけの相手。その相手に復讐を考えたときに悪用を止めてくれたのは、被害の当事者である海さんの母親だった。今も教師をしているという彼女を、思い出しているのだろう。


「それにしても暇だね。僕の頭は事件を求めているよ」


 頭をトントンと叩いてみせる海さん。ボサボサの髪は、相変わらず伸び放題で、「無精髪ぶしょうかみ」とでも呼んだ方が良さそうなスタイル。ハーフリムの緑のフレームのメガネを外し、親指と人差し指でグリグリと目を押さえてマッサージする。そしてメガネをかけ直すと、すぐに陽気な声をあげた。


「あ、おやつの時間だ!」


 掛け時計で三を差している短針を見て、無邪気な子どものように嬉しそうに手を叩く。そして常温の食品を保管してある棚の上段からタッパーを降ろし、中に入った袋を取り出して、茶色い粒をザザッと小皿に開ける。


「いただきます!」

「ザラメがおやつなんですね……」

「甘くて食感もあって安い。こんな手頃なおやつはないね。ボリュームもあるから買ったらしばらく無くならないし」


 一キロのザラメがどのくらいでなくなるかなんて考えたこともないけど、経済的なおやつであることは間違いない。


「オル君も食べてみる? わたあめみたいな味がして美味しいよ」

「まあ原料ですからね」


 こういう機会でもないと食べないので、ティースプーンで小皿から掬って手のひらに乗せ、口に運んでみる。歯を立てるとボリッゴリッという音と共に砂糖が砕け、優しい甘さが舌の上に広がっていく。上あごの部分につけるように舌の上で転がしていると、ゆっくり溶けて小さくなっていき、噛むとショリショリと音を立てて喉の奥に消えていった。


「どう? 結構良いでしょ? 甘さがクセになるよね」

「まあ……うん、はい」

「好きに食べていいからね」


 認めるのは悔しい。でも、食べないのは口惜しい。結局勧められるがままにティースプーンでお替りし、海さんと一緒にザラメをボリボリと消費していった。




 結局そのまま仕事もなく、食品棚の整理や空になったティッシュの補充などの雑用をやって過ごしていく。これでバイト代が出るならありがたいと思いつつも、どこか物足りなく感じている自分もいる。

 そして、その状況が大きく変わったのは夕方一七時になってからだった。


 ゴンッゴンッ


 事件の幕開けを知らせる、ノックの音。呼び鈴もいつか付けなきゃね、と言いながら、海さんは「はーい!」と機嫌良く入り口に駆けていく。ドアを開けると、そこに立っていたのは俺と同い年くらいの女性だった。


「僕が事務所の代表をしてます、探偵の須藤海です、こんばんは! 今日は人探しの依頼、ですか?」


 いつもの調子で聞く探偵に、彼女は不安げな表情を浮かべながら頷く。


「友達と、連絡が取れないんです」

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