第7話 もう一人の自分へ

「なりすまし? 誰かが織貴君のふりをしてSNSやってたってこと?」

「はい。インステグラムやってなかったんですけど、急にアカウントができて、落書きしてる動画とか、川にゴミ捨ててる動画とか、いろいろ投稿されたり、女子にDM送りつけたりもしたみたいです。Tweeterはやってたんで、その情報をもとに住所や家族構成とかも把握してたらしくて」


 あの頃を思い出して口の中に苦い唾が溜まる。自分の投稿から全て割り出された。自宅の外観も撮られ、過去に行ってた店も特定され、大急ぎでツイートを消した。自分の過去そのものまで消されたような気がした。


 何もツイートできなくなって、それでもデータを保存していたら、いつ何の情報を特定されるか分からないと、ただただ怖かった。SNSは新しいアカウントを作り直した。


「部員や友達も何人か偽アカウントのこと信じてましたね。部内やクラス内で拡散されたりして、ちょっともうやっていけないなって精神的に参っちゃって……それで部活を辞めたんです。あの時、みんなに自分のじゃないって説得しようと思って偽アカウントが投稿する画像を何度も注意深く見てたんで、いろいろ細かいこと気付くようになったのかもしれないですね」


 だからこそ、未だにネットの嫌がらせのニュースを見ると、加害者への怒りはもちろん、被害者にも「もっと気を付けないと」という説教めいた心が沸き上がってしまう。俺と同じようにならないようにと。


「なるほど、海のベンチとか、漫画喫茶の漫画とか、観察眼はそのときに養われたんだね。一人旅は大学生になってから?」

「高校までは群馬だったんで、北関東とかは行ってました。大学で東京に来てから、二三区を回ったり新潟まで足伸ばしたりしましたね。部活なくて暇になったんで、平日バイトして、週末試合してた時間で電車乗るって感じで」


 須藤さんは黙って聞いていてくれる。余計な口を挟まず、メガネのフレームを少し触りながらゆっくり「うん」と相槌を打ってくれる傾聴の高さに、探偵としての資質と大人としての余裕を感じた。



「友達とも距離置いてたんですよ。信じてくれてる人も、またいつ信じてもらえなくなるか分からないなと思ったりして……。だから一人で旅行してました。といっても、電車乗って窓の外を見たり散歩したりしてただけですけど……おかげで町並みとかはだいぶ覚えてますね。今回はそれが役に立って良かったです」


 なんて言われるだろうか。それは辛かったね、と慰められる? そんなことで離れる友達は友達じゃないから気にしなくていい、とアドバイスされる? どちらも何回もされてきた。自分には響かないけど、そんな風に想ってくれるだけでもありがたい。


「残念だったね」


 座席背面のテーブルに溜息をぶつけながら、須藤さんがぼさついた髪の毛を撫でつけた。


「織貴君の力量があれば、なりすましの相手を特定できたかもしれないよ? そして晒し上げることができた」

「いや、そこまでしなくても……」

「まあ、それは言い過ぎかもしれないけどさ。でも織貴君はそれだけのことをされたんだから!」


 思わず彼の方に顔を向ける。


「なりすましってことは君の情報を相当掴まれて悪用されたんでしょ? あることないこと噂が出回って、誰かに何か話したらその情報も漏れそうで、毎日しんどかったでしょ? ネットストーキングってのは、僕みたいな使い方をしなければ、相手を知りすぎることも相手もフリをすることもできるひどいスキルだよ。だから、良くないことだって分かってるけど、復讐の一つも許したくなるね」


 初めてだった。友達が離れていったことや孤立したことに同情するのではなく、なりすましそのものにこんなに怒ってくれる人は。


 今更復讐なんてする気はないけど、あの頃の俺はストレスと同時に途方もない怒りが込み上げてきていて、だからこそ、その怖さを十二分に知っているからこそ、こんな風に同調してくれるのが嬉しかった。


「さあて、少し寝ようかな。ここまで倒せると、ぐっすり眠れそうだ」


 自宅かと思うほどリクライニングシートでくつろぎ、須藤さんは外したメガネをよれよれのワイシャツのポケットに入れてすうすうと眠り始める。


 空の色はだんだん正午の明るさから午後の明るさに変わっていき、電車に乗ったときとこれから降りるときの気温差が想像できて小さく身震いした。






「到着! 寒いね、織貴君!」


 乗車からほぼピッタリ九十分後、新幹線は新潟駅に着く。まだ残暑の面影の残るはずの十月だというのに、風は涼しいというより冷たいという表現の方が適切で、偶然とはいえ厚手のジャケットを着ておいて正解だった。

 一方の須藤さんはワイシャツの上にペラペラなコートを着ており、仕事があまり儲かっていないことが見た目にも分かるようになってしまっている。


「とりあえず目的地に向かおう。行き方覚えてる?」

「小針の方ですよね、こっちです」


 先頭に立ち、新幹線からJR越後線に乗り換える。吉田行きと表示された電車に揺られること十五分。小針駅に辿り着いた。そこから歩き、漫画喫茶を目指す。


 急に心音が加速し始めた。さっきまであの場所にいたことはツイートで分かっている。でも、今いるとは限らない。もう店を出ていたら? 海に向かっていたら? 今この瞬間にでも身を投げていたら? 不安を募らせた自分にできることは、マップのアプリで迷うことなく最短ルートで店に向かうことだけだった。

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