第16話 乗り降りの真相

「どういう、ことです?」

「嘘を言うのは簡単です。でもね、虎月さんのライフワークは何ですか? ラジオなんですよ。もし全く違う駅の話をでっち上げたら、これから先のラジオでも、その嘘を吐き続けきゃいけない。千葉って言ったなら、千葉県民の設定でずっと話さないといけない。アナタ一人を騙すために、みんなに『これは嘘だよ』って思いながらね。

 それがパーソナリティーにとって、どれだけしんどいことか分かりますか? その目が曇ってしまっていることこそが、アナタがファンを超えてしまった証なのかもしれませんね」


 咲菜さんは下を向いて震えていた。怒りなのか、恥ずかしさなのか、表情は分からない。ただただ、どうしようもない感情を床にぶつけるような強い息の音が聞こえた。


 程なくして彼女は顔を起こす。まだ何も諦めてない、不屈で不敵な笑みを湛えながら。そして、俺たち二人にしか聞こえない音量で、「あはっ」と笑った。


「名推理ありがとうございますう。それで、アタシが彼女じゃないって、ストーカーって証拠はあるんですか? 証拠がないと何も動けないですよね? ずいぶん大言壮語吐いてましたけど、他に追加できる説明はあるんですか? ないなら意味ないと思いますけどお?」


 完全に敵対態勢に入った咲菜さん。確かに、これまでの海さんの話はあくまで仮説に過ぎない。ラジオしか材料のない俺たちに決定的な証拠を出すことなど不可能で、それが分かっているからこそ、彼女はここまで強気なのだろう。


 だが、そんな咲菜さんに対し、海さんはあくまで冷静に「いいえ」と首を振ってみせた。


「証拠はないです。でも、別に要りません」

「…………え?」


 聞き返す彼女に、彼はゆっくり俺たちの周囲を周っていた歩みを止めた。


「説明なんか要らないってことです。僕は、おそらく虎月さんはここにいるだろうという本当の最寄り駅の見当がついてます。アナタと一緒にそこに行けばいい。彼女面するからには何回か会っているのでしょう。

 これ以上何も推理しなくても、アナタの顔を見た虎月さんのリアクションで全てが分かるはずです。もちろんアナタが行かない場合にも、アカウントを見せれば一発で気付いてもらえますよね?」


 その言葉に、咲菜さんは放心状態のように口を開ける。言われてみれば、その通りだ。別に全てロジックを積み上げて立証する必要はない。直接会いに行けるなら、それが一番の近道だ。あまりにも海さんの推理が理路整然としていたので、つい忘れてしまっていた。



「で、どうします? 僕たちと一緒に行きますか?」


 生気のない目で彼を見ていた咲菜さんは、項垂れるように肩を落とし、ゆっくりと首を振った。表情が見えない中で、絞り出すような声が聞こえてくる。


「彼が……彼が、振り向いてくれないから……それでどうしても知りたかったの」


 そして、急にガバッと上体を起こし、キッと歯をむき出しにする。海さんも俺も、驚きのあまり半歩後ずさりした。


「だってずっと応援してたんだよ! 今みたいにファンが多くなる前からずっと応援してたのに! 昔はリプだって即レスしてくれてたのに、ここ最近は全然だった。他の人とタイムラインで仲良くしてるのも許せなかった。最初の頃みたいに、私のことを古参ファンとして特別扱いしてほしかった。

 だから住んでるところを突き止めようとしたの。そしたら少しは意識してくれるでしょ? 昔の関係に戻りたいのよ! アタシの、アタシだけのものだったのに!」


 叫ぶというより怒鳴ると言った方が近い、彼女の本音。ヒートアップしている分、夜風も相まって、俺は冷静にそれを聞いている。そして理解しようとしながらも、怒りが込み上げてきた。


 こんな一方的な想いで、彼女は彼に付きまとったのか。応援したい気持ちも、昔のような距離感でいられなくなった寂しさも分かる。でも、超えてはいけないラインもある。


 海さんはどのように返すのだろうと、隣にいる彼に視線を移す。やや強まった風を防ぐようにコートの前をグッと閉め、ジッと咲菜さんを見ていた。「人間って面白いなあ! 興味深いなあ」といつも楽しそうにしているので、こんな風に真顔で彼女の暴論を聞いているのは意外だった。



 そして、鼻からフッと強く息を吐き、「まず」と口を開いた。


「虎月さんはアナタのものではありません。もちろん、他の特定の誰かのものでもない。そして、知る関係にないなら無理に知る必要はない。本当にお付き合いしていない限り、アナタはどこまでいっても虎月さんのファンなんだから、関係性は守らないとですよ」


 何も返事をしないのが、正論に対する彼女の精一杯の抵抗なのだろう。「うちでは追加の依頼は受けないので」と一言付け加えて、海さんは改札に向かう。俺も、彼女に一礼してから、慌てて付いていった。






「依頼料はちゃんと払ってもらわないと困るなあ。来なかったら督促状送らないとだね」


 上りの京浜東北線に並んで座りながら、海さんはメガネを外して目元を指でマッサージし始めた。


「なんか意外でした。海さん、ああやって怒ることもあるんですね」

「気持ちは理解できないこともないからさ。夢を見られるような疑似世界があるとして、それを現実のように捉えることで陶酔感を味わえたりするからね。咲菜さんは、そういう夢の世界から抜けられなかった」


「それまでずっと親密だった虎月さんを遠くに感じたんでしょうね」

「寂しかったろうし、『特別な自分』をアピールし続けたいのも分かる。でもそれはそれとして、やっぱり悪いことをしてるって部分にはきちんと叱責しなきゃ」


 悪いこと、と言い切りながら、裸眼で俺の方に顔を向ける。メガネの上からではなかなか分からない、どこか子犬を彷彿とさせるつぶらな瞳が覗いた。


「まあ、これは探偵というより年上の人間としてだけどね」

「あ、やっぱり海さんの方が上なんですね」

「うん、虎月さんへのリプの中でお互い干支に言及してるのがあってね。二人の年齢が分かったんだ。咲菜さんは虎月さんより下だったらサバ読む必要もないだろうし、多分嘘は言ってないだろうね」

「相変わらず抜け目ない……」


 咲菜さんが彼女じゃないと確認するためにリプ欄を見ていたはずなのに、ちゃっかり歳も把握している。さすが検索にかけてはプロだ。



「そういえば、虎月さんの最寄り駅って本当に分かってるんですか?」

「うん、もちろん分かってるよ」


 俺は電車のディスプレイで到着時間を確認しながら訊いてみた。すぐに画面が切り替わり、最近よく見る女優によるメイクのワイポイント動画が流れてくる。


「あの時、虎月さんは『赤羽駅』じゃなくて『赤羽の駅』って言い方をした。それ自体がヒントなんだよ。調べてみたけど、あのときJRの京浜東北線に事故は起こっていなかった。ってことは赤羽って名前が付く他の駅ってこと。東京メトロに赤羽岩淵いわぶち駅、JR埼京線に北赤羽駅があるけど、当時の事故と照らし合わせると北赤羽駅だ」


 なるほど、そもそも駅が違っていたということか。当時の事故の状況を調べることくらい、海さんには造作もないことなのだろう。


「そして問題は次の発言だね。『自分以外にも乗り……乗り降りする駅だから、一気に空いた』って言っていた。オル君、なんで『乗り』で止めたんだと思う?」

「えっと……何か別のことを言いかけた……?」


「そう、それを途中で止めて、乗り降りに言い換えたんだ。じゃあ、何を言おうとしたんだろう。電車に関連する言葉で『乗り』から始まるんだ。そこまで分かれば簡単だよね」


 俺はすぐに脳をフル回転させる。乗り過ごし、乗り越し……あとは……


「乗り換え、ですかね」


 答え合わせをしなくても、メガネをかけ直した彼のにんまりした表情が正答だと教えてくれた。


「乗り換えで人が一気に空く、って言おうとしたんだ。でも途中で止めて、乗り降りにした。その理由は明白だね。乗り換えと言ったら最寄り駅が絞れてしまうからだ」


 海さんはスマホを取り出し、JR埼京線の路線図を開いた。


「北赤羽で事故があって、そこから帰ったと言ってたよね。北赤羽から先で乗り換えがあるのは、終点の大宮を除くと武蔵浦和駅だけなんだよ」

「えっ!」


 驚いて路線図の乗り換え表を見る。海さんの言う通り、乗り換えができるのは一駅しかなかった。


「もし大宮が最寄りだったとしたら、乗り換えで一気に人が空く、とは言わないだろう。終点だからね。とすると、あそこで乗り換えと言っていたら、彼の最寄り駅が確定してしまう。だから虎月さんは少し迷って変えたんだよ」


 なるほど、そういうことだったのか。二ヶ所ボカされたことで、ミスリードできる余白が生まれてしまったというわけだ。


「で、僕はそこに辿り着いたうえで、咲菜さんを誘導するために別の解釈を考えたんだ。さいたま新都心っていう説も結構納得感があっただろ?」

「じゃあ虎月さんのライブ行きたいって発言は何だったんですかね?」


「どういう意図でツイートしたかっていうのは前後のツイートでは分からなかったね。大宮にもソニックシティみたいなホールはあるから埼京線に乗ってるときにライブに向かう人を見かけたのかもしれないし、さいたまスーパーアリーナの近くで遊んでいたのかもしれない。まあいずれにせよ、こじつけに使えたからあの投稿は役に立ったよ」


 海さんの推理を聞きながら、俺は赤都を探した時と同じように感心する。ラジオの音声だけで、相手のことをここまで絞り込める。これは、単純に「ラジオを何時間も聞ける」なんて才能だけでは成しえないことだ。僅かなヒントを逃さず、手元の材料から仮説を立てていく洞察力があってこそであり、そういう意味ではやはりこの人は探偵に向いているのかもしれない。


「いやあ、それにしてもストーカーってのは怖いよ。人の情報を勝手に探るっていうのは恐ろしいね、オル君」

「海さんがそれを言う資格はないのでは……」

「まあまあ、それはそれ、これはこれだから」


 彼はうはは、と笑って見せる。事件が解決した安堵や清々しさのおかげか、表情から緊張が取れていた。


「今回はこのスキルがあったから、咲菜さんの暴走を止められたしね。虎月君に怖い思いをさせずに済んだんだ」

「うん、それは間違いないです。虎月さんも海さんに感謝ですね」


 彼の能力が、誰かを救っている。ネットストーキングも使い方次第でプラスの使い方ができるのだ。



「そろそろ東十条駅だ。オル君は王子だよね? いつか家を当ててみたいなあ」

「お断りします」


 くだらないやりとりをした後、「じゃあまた」と海さんは電車を降りていった。残った俺はスマホを取り出し、帰り道に何を聞くか考える。



 バタバタした夜だったから、まったりしたラジオでも聞きたい。そんな思いを吸い込んで、手は自然と虎月さんのラジオを探していた。



〈第2章 了〉

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