第14話 来訪と出発
咲菜さんが事務所を訪ねてきたのは、雨もあがったその日の夕方だった。たまたま都合がついたらしく、連絡を受けてすぐに向かってくれたらしい。白のTシャツに少しクリームっぽい色のカーディガン、モノトーンのギンガムチェックのロングスカート。モコモコしたファーの、キャメルカラーのキャスケットが秋らしい。
「もう分かったんですかあ?」
「ええ、僕にかかれば、虎月さんの一人や二人、居場所を突き止めるのはワケないです。といっても、候補が二つありますけどね」
相変わらず気怠そうな話し方をする咲菜さんに、海さんは軽快に言い放つ。虎月さんの一人や二人、という
「では、僕たちが彼の居場所を絞り込んだ経緯を聞いてください。まずはこの放送からですね」
ソファーで向かい合って座っている咲菜さんに画面を向けながら、海さんは「とらつきラジオ」を再生していく。新宿駅に近いということから都内近郊と判明し、さらに地震の発言から埼玉だと判断した。
「ああ、なるほどお、確かに組み合わせると埼玉に絞り込めますね。地震からも分かっちゃうのかあ」
「そうなんです、一回一回聞いたり作業しながら聞いたりしてると分からないけど、まとめて聞くと推理の材料になりますね。そしてここからです。九月のこの放送ですね」
続いて、彼が大きな手掛かりを得た放送の該当部分を流した。
『電車で帰るときに事故があったみたいで……赤羽の駅で十分くらい止まってね。かなり混んでたから、僕は座れてたから良かったけど、立ってたら辛かっただろうな』
『動き出して、また止まるかなって思ったけどそこからは案外スムーズだったんだ。僕が降りるところはみんなが乗り……降りする駅だから電車も一気に空いたね。まあそんな、ちょっとだけ大変な帰宅でした』
「コメントを残していたので、もちろん咲菜さんも聞いてたかと思います。覚えてますか?」
「はい、何か事故の話を聞いた覚えがありますね」
パソコンの画面を自分の方に向き直し、海さんは何か検索する。続いて見せたのは、JR京浜東北線の路線図だった。
「さっきので埼玉県内だと絞り込んでいたので、ここからの推理は容易でした。赤羽駅はJR京浜東北線です。『みんなが乗り降りする駅』というところを踏まえるとかなり大きな駅だと予想できます。まず赤羽の隣は川口駅という結構大きい駅ですが、動き出してからは案外スムーズだった、と言ってるから違いそうです。隣駅ならスムーズも何もないですからね」
確かにそうだ。順調に運行してたような口ぶりだったから、少なくとも数駅乗ったということになる。
「であれば大きい駅というのは、終点の大宮駅か、一つ手前のさいたま新都心駅でしょう。この二つから絞り込むのは難しいですが、虎月さんが『ライブ行きたいなあ』というツイートをしていたので、僕はさいたま新都心駅なんじゃないかと思ってます」
「ライブ……あ、アリーナ!」
思わず叫んだ俺の声に、咲菜さんも「ああ!」と反応する。
「そうです、さいたまスーパーアリーナがありますからね。あの駅で乗り降りする人はライブ目当ての人が多いと思います。虎月さんはそれを見てあのツイートをしたんじゃないかな、と推理できるわけです」
「そっかあ、確かにその可能性高そうです。両方の駅で待ってればいつか会えそうです、ありがとうございます!」
お金振り込んでおきますねえ、と咲菜さんはいそいそとバッグの口を閉め、帰り支度を始めた。ずっと探していた人に会えるのだから、期待に満ちた表情も当然だろう。
「いえいえ。もしこれから行くなら一緒に行きましょうか? 僕たちも見落としてるものがあるかもしれないから、最寄り駅を確定させられるかもしれませんよ」
「あ、いえ、本当に大丈夫なんで、お気遣いなく。お世話になりました」
海さんを避けるように、彼女は二回お辞儀をして、事務所を出て行った。前も同じように誘っていたけれど、元カレに会うのに男性も同行するのはどう考えてもおかしいだろう。
断られてしょぼくれているのかと思ったが、海さんはケロリとしていた。そして、ふうと息を吐きながらパソコンを持って立ち上がる。
「さて、これで事件は半分解決かな」
「……え?」
半分? 確かにどっちの駅は分からないけど、もう捜査は終わったんじゃないのか?
「オル君、今日はこの後時間ある?」
「ええ、まだ二十時前だし、大丈夫ですけど……」
「じゃあもう少ししたら出発しよう」
一緒に行けることが嬉しかったのか、彼は微笑を浮かべながら窓の外を見ながら答える。謎を知りたがるように、一匹の蛾がガラスに体当たりしていた。
「出発って……どこにですか?」
「さいたま新都心だよ。そのためには急いでご飯を食べないといけないね」
まるでホームズが事件現場に行くときのような台詞を吐いて、彼は食品棚からイングリッシュマフィンを、冷蔵庫からマーガリンとハムを用意しはじめた。
「寒いですね……」
「寒いね。夏は六月後半から九月後半までたっぷりあるのに、秋はあっという間に終わる気がするよ」
そう言うと海さんは、赤都を探したときにも着ていた薄いコートの前をしっかり閉め、ぶるっと身震いした。
即席のサンドイッチを食べてから京浜東北線に乗り込み二五分。俺たちは二一時前にさいたま新都心駅に着いた。平日ということもあり今日はアリーナでライブはないらしく、駅はかなり空いている。改札を出ると左右にペデストリアンデッキが広がっていて、俺たちは駅前ピアノがあるその奥、左右への分かれ道のところに並んで立っていた。
週末やさっきまでの雨のせいか、先週に比べて一気に気温が下がった。風は吹きっさらしの状態なので、冬を予感させる寒風が体にしっかり当たる。多少厚手のジャンパーを着ている俺も肌寒く感じるので、ペラペラコートの海さんは尚更だろう。長身で痩せ型なので、見てるこっちまで寒さが増してしまう。
「あの、海さん、なんで咲菜さんを待つんですか? 同行が断られてるからって、尾行とかするつもりですか?」
「オル君、僕を完全にストーカーだと思い込んでるね!」
海さんがツッコミを入れるけど、その口元は笑っているように見えた。
「そんなことしないよ。ちょっと、彼女に伝えたいことがあってね」
「でも、今日来るか分かりませんよ? もう駅についてどこかで夕飯とか食べてるかも」
「まあそれでも今日から毎日駅にいれば、いつか会えそうでしょ?」
家から一番近いコンビニに行くような手軽さで、彼は「毎日」と言い放つ。ストーカー気質は十分だと思う。
そのまま待つこと十五分。擦り合わせていた手からそろそろ煙が上がるのでは、というところで、海さんはフッと息を呑んだ。
「来たよ」
改札を抜けて歩いてくるのは、さっきまで事務所で会っていた咲菜さん。薄クリーム色のカーディガンの上に、ライトブラウンのコートを羽織っている。
奥に見える俺たちに気付くことなく、彼女は改札を出た直後に右手に折れ、その場所に待機した。それはちょうど、駅から来る、あるいは駅に向かう誰かを、すぐに見つけられるような位置で。
海さんは彼女に気付かれないよう、大回りしながら近寄っていく。そして、「こんばんは」と言いながら、改札の方を見ていた彼女の背中に声をかけた。
咲菜さんは、ビクッと肩を震わせ、海さんの方を振り返る。それは「おそるおそる」という表現がぴったりで、「探偵さん」と呼んだ声もどこか上ずっていた。
「どうしたんですか? 虎月君を探すのに、同行はしないつもりだったんですけど……」
その言葉を待っていたかのように、海さんはコートに入れていたらしいメガネケースからメガネ拭きを取り出し、手に持ってレンズを拭きながら裸眼で答えた。
「虎月さんは来ませんよ。最寄り駅が違いますから」
「え……?」
彼女と同じくらい驚いたのは俺だった。違う? じゃあなんでここを伝えたんだろう? そしてここに来たんだろう?
俺たちの疑問など全てお見通しの様子で、彼は淡々と言葉を続ける。さっきよりも衝撃的な言葉を。
「だから、彼氏でもなんでもない虎月さんに、アナタが会うことはできません」
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