第6話 過去の偽物

「織貴君、本当かい? ツイート、見てみてよ」


 パソコンを借り、Tweeterの画面を上にスクロールする。赤都が投稿していた海と砂浜の写真をじっくり見て、記憶と重ね合わせた。


「これ……去年一人旅で行ったことあります。多分、新潟です」

「間違いない?」

「はい。崖の方は分からないですけど砂浜の方は。新潟駅から越後線に乗っていくと、十分くらいで青山とか小針こばりって駅に着くんですよ。確か小針浜海水浴場がこんな感じだったはずです。このベンチ、見覚えがあるので」

「ベンチ?」


 目を細める彼に拡大した写真を見せる。左端に、ほぼ見切れる形で背もたれのない木製の何かが映っている。


「これ、ベンチだと思うんです」

「ああ、なるほど、よく気付いたね。何だろうと思ってたんだけど、散歩の途中で休めるようになってるんだ。お手柄だよ、織貴君!」


 すごいすごいと連呼しながら、マップで新潟駅周辺を検索し、ストリートビューを立ち上げる。実際の写真を写して、海沿いを丹念に探していく。


「バスで移動するにしても、そんなに遠くには行かないだろうから、この辺りで探していけば崖も見つかるはずだ」


 ストリートビューで少し先に進んでは海の方に視点を変え、また道路に視点を戻して先に進む。根気のいる作業を延々と続ける。


「時間かかりますね……」

「いや、新潟って絞りこめただけで大分楽だよ。候補になる地域全部やろうと思ってたからね」


 とんでもないことを言い出したけど、この人ならやりかねない。画面に向き合っている彼は、どこか活き活きとしていた。





 ネット上で捜査すること二十分。ついに彼は「よしっ」と小さな叫び声をあげた。


「おそらくこのエリアの崖じゃないかな。ここに映ってるでしょ? この奥にも更に崖っぽいところがあるから、どっちかだと思う」


 ストリートビューの画像を見る。さっき見た小針の海水浴場から国道四〇二号線を南西に進んだ場所に、崖っぽい場所があった。夜なら人目につかずに来れそうだと思うと、ふらふらと深夜にこの場所に来ている赤都を想像してぞくりと寒気がした。


「後はこの近くの漫画喫茶だ。軒数的にはそんなにないはず……」


 須藤さんは恐ろしく速くて正確なキータッチで近隣の漫画喫茶を検索し、サイトを開いていく。フラットシート席と呼ばれる、部屋状になっている個室の内装写真を見て、さっき赤都がツイートした写真と見比べていく。


「うん、ここだろうね。確かめてみよう」


 あるチェーンの店舗サイトを開きながら、須藤さんは机の上のスマホに手を伸ばす。



「確かめる……ってどうやってですか?」

「そりゃあ、店に聞くのが一番だよ」


 ニッと笑って、彼は画面左側に表示されている番号にかけ始めた。


 電話でって……いきなり知らない人が聞いて教えてくれると思えないけど……。


 何コールか鳴った後、「お待たせしました」と若そうな男性店員の声が彼の耳元から漏れ聞こえる。


「ああ、すみません。お恥ずかしい話なんですが、ちょっと孫が家出みたいな状態になってましてね。家の近くのお宅みたいな店に行ってるんじゃないかと思って電話をかけた次第です」


 これまでの声からかなりトーンを落とし、しわがれた声で低い声でゆっくり話す須藤さん。赤都の祖父になりきっているらしい。


「そちらに、北藤赤都という人は入ってますかね? 会員証の名前で分かるようなら、替わってもらいたいと思ったんですが……ああ、いや、やっぱりいいです。いきなり呼ばれたら息子もびっくりするでしょうから。あの、じゃあせめて、いるかどうかだけでも教えてもらえますか? いると分かれば、妻も安心します。色々あって二人で育ててきたものでね……」


 電話口に何やら返事を聞いた彼は、俺に向かってピースサインを送りながら「本当に感謝します」とお礼を言って電話を切った。


「縁もゆかりもないところに行ったから、おそらく偽名までは使ってないだろうと考えてたけど、想定通りだったね。火曜から泊まりこんでるらしい」

「電話替わらなくて良かったんですか?」

「ああ、うん。そもそも替わる気はなかったし。居場所が分かれば十分だったから」


 予想外の答えに驚いていると、彼は人差し指で俺の眉間をまっすぐに指差した。


「ドア・イン・ザ・フェイスっていう心理学の初歩のテクニックだよ。断られそうな大きな要求を最初に出して、断られたら小さな要求に変える。こっちが譲歩したら向こうも譲歩した方がいいかなって気持ちになる。返報性へんぽうせいの原理ってやつだね。普通はいるかどうかなんて情報教えちゃダメなんだろうけど、老人相手ならしれっと教えてくれるんじゃないかって期待してたしね」


 表のアカウントを見つけ、裏のアカウントを見つけ、俺の記憶も参考にツイートからエリアを割り出して、居場所を突き止めた。この探偵、若干恐ろしい。


「さて、どうする、織貴君? 帰るまで待つ?」

「いや、行きます……帰ってくるかどうか分からないし」

「そう言うと思ったよ。僕も行こう……と言いたいところだけど、僕一人の力では無理だ」

「何かあるんですか?」


 ザラメをティースプーンでジョリッと頬張りながら、彼はなぜか自慢げに首を振る。


「いや、逆だよ。お金がない。往復で二万円は大金だからね」


 そんな気はしていた。お金があったら絶対に別の方法で糖分補給している。


「……分かりました。じゃあお金出しますから、付いてきてください」

「ありがとう、織貴君!」


 彼は俺の手を取ってぶんぶんと振る。クレジットカードの支払いをミスして止められている、と余計な情報まで教えてもらいながら、俺と須藤さんは急いで準備をして事務所を出た。



 ***



「ここからだと新潟まで七五分。東京から行くより近いけど、大宮からの新幹線は基本的には北にしかいかない。もし赤都君が東京駅から乗ったとすれば、東西どこに行くのか迷っていたのかもしれないね」

「ですね」


 埼玉で最大の駅、大宮から新幹線に乗り込み、二列シートに並んで座って須藤さんの話に相槌を打つ。平日の十五時、スキーやスノボには少し早いこの十月に新潟に向かう人は少なく、車内の客はまばらだった。


 お金を出してもらったから、という理由で窓側を譲ってもらったので、車窓から風景を見る。信じられないスピードで後ろに走っていく景色は、徐々にビルが減り、塗料独特の白色の住宅地と茶色の田畑が増えていった。


「織貴君」


 車内に流れる電光掲示板と、どんどん田舎になっていく景色を交互に見て数十分が経ったとき、不意に須藤さんは俺に話しかけてきた。後ろに誰もいないのをいいことに、思いっきりリクライニングしている。


「赤都君、大丈夫だと思うよ」

「……はい、俺もそう思います」

「そっか。何か根拠はある?」


 当たっているか不安だったので言うかどうか迷ったものの、俺は考えを話してみることにした。鼻の頭を掻きながら口を開く。


「さっきの漫画喫茶の個室の写真、漫画が置かれてたと思うんですけど、連載中の新刊が幾つかありました。これから自殺するって人が、続きが気になるはずの漫画を読むとは思えなくて……」

「織貴君、探偵に向いてるよ。何かの弾みで考えが変わるのは怖いけど、今の時点ではそれほど追い詰められてるわけではなさそうだ」


 僕も同じ推理をしてたよ、と言って、彼は後ろに突っ張るようにして伸びをした。



「ついでに一つ聞いていいかい? 答えにくいことかもしれないけど」

「はい、話せることなら」


「過去にネットストーキングか何か、受けたことがある?」


 その質問は、自分なりの推理が当たって安堵していた俺を再び硬直させるには十分すぎる威力だった。どう答えればいいか、どう誤魔化すか、急に脳が高速回転を始める。


「検索で人探しするって言ったときに忌避するようなトーンだったでしょ? それに一人旅で新潟行ったって言ってたけど、一人旅って悩んでたり回りと距離を置きたいときにすることも多いからさ」

「ん……」


 今の自分の強張った表情とこの空白の時間で、本当の答えはバレているだろう。それなら、教えてみてもいいかもしれない。須藤さんは変人だけど、土足で自分の領域を汚しに来るような人には見えなかった。



「高校一年生のとき、サッカー部入ってたんですよ。まあ別にサッカーがめちゃくちゃ強い高校ってわけではなかったですけど、その中では結構上手い方だったんで、一年でレギュラー取れたんですよね」


 じゃあモテたね、と眉を上げた須藤さんがからかうような表情で訊いてきたので、「割と、はい」と頷いた。



「でも、その結果妬まれたりしたんでしょうね。二年生のときにネットで『なりすまし』に遭いました」

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