第2章 元カレはどこに

第9話 アルバイトの日常

「今日は全体的に気温が下がり、上着無しではかなり寒い一日になるでしょう」


 テレビ画面の右上に「十月一七日(月)」と表示され、なんとなく年末が近づいてきた感じがする。あまり食欲がなかったので、食パンにバターを塗り、その上にふりかけをかけてもしゃもしゃと食べた。実家でよくやっていた食べ方だ。


「SNSをきっかけに相手の住所を知った男性が……」


 今日も物騒なニュースをやっている。なんとなく、もじゃもじゃな髪の探偵を思い浮かべながら、薄出のダウンジャケットを着て部屋を出た。


「うわっ、寒……」


 独り言を漏らしながら歩く。気温も低いけど、吹きつける風が冷たい。木々も相当に寒いのか、涙の代わりに葉を落とし、悲しげにワサワサと音を立てた。何日も雨が降っていないアスファルトは乾ききっていて、小石を蹴るとカツンと軽い音を立てて転がっていく。


 王子駅に着き、JR京浜東北線から一駅、東十条駅で降りる。九時前だとまだ店は開いていないものの、ラーメン屋や定食屋が並ぶ店の前は、昼前の賑わいを予想させた。


 商店街の途中で曲がり、住宅エリアに進む。白い戸建てや茶色い低層マンションが多い中で異彩を放つ、薄クリーム色の三階建てのビル。階段を上って二回に行き、すりガラスの造りの古い茶色のドアの前に立つ。「須藤海 探偵事務所へようこそ!」と手書きされた紙を見ながら、ノックをした。


「海さん、おはようございます」


 返事がない。困った。ノックし続けるしかないのかとドアノブに手をかけてみると、何と鍵が開いている。そのまま暗い部屋に入ると、そこには人間が活動している気配はなかった。


 部屋の奥、扉のように配置された本棚の奥にベッドがある。そろりそろりとそこまで行ってみると、毛布を被り、丸まって寝ている探偵の姿があった。


「海さん! 事務所開ける時間ですよ!」

「ううん……はぁい……」


 空気の漏れたような声を出しながら、寝返りを打ちつつ目を覚ます海さん。枕の横に置かれたメガネをかけ、むくりと起き上がってブラウンの遮光カーテンを開けた。


「おはよう、オル君。気持ちの良い朝だね」

「それを言うには大分遅いですけどね」


 長袖にトレーナーで寝ていた海さんを追い立てると、のそのそと起き上がって洗面所で顔を洗い、干してあったワイシャツに着替えた。


「そういえば、鍵開いてましたけど」

「ああ、ちょっと事件の捜査で遅くなったから、開けておいたんだ。泥棒に入られても大して盗られるものはないし、それならオル君が来て起こしてくれるギリギリまで寝られるメリットを取りたいと思ってね」


 なぜか自慢げに語る海さん。自分の判断を褒めてほしいようだけど、起きられない時間までやってる方が問題だと思う。


「朝食……はまだお腹空いてないからいいか。じゃあオル君、今日も一日よろしくね!」

「はい、先に食器戻しちゃいますね」


 昨日夜食で食べたらしい冷凍シューマイの袋と小皿と箸を戻しながら、俺は散らかった部屋を見て小さくため息をついた。



 先週からこの事務所のアシスタントとしてアルバイトを始めた。基本的に土日は入らないシフトで、授業のない月曜と金曜は朝から夕方まで、授業のある火曜から木曜までのどこかで一日、数時間入るという形で働く予定。 アシスタントといっても推理を手伝うのがメインではなく、雑務が中心だ。



「あ、ちょっとお腹減ってきたかも。オル君、カレンダー見てくれる? 今日午前って来客入ってないよね?」


 大して予定の入っていない卓上カレンダーを見ながら「大丈夫です」と答えると、彼は「簡単にご飯にするか」と言って水を張った片手鍋をカセットコンロの火にかけた。


 料理をするとは意外だ。てっきり、チンしたご飯で卵ご飯とか、お茶漬けとか、そんな感じにすると思っていたから。


 海さんは、二ドアの小さな冷蔵庫からもやしを取り出し、沸いたらしい鍋にガサッと入れる。そして数分後、そのお湯を洗面所に流し、普段依頼主との応対に使っている机の上に置いて、ソファーにゆっくり座った。


「いただきます」


 ポン酢をかける音の後、事務所内にもしゃもしゃという音が響き渡る。


「あの、海さん、それは……?」

「ん? 野菜を摂った方がいいと思ってさ。これと野菜ジュースのコンボだね。一口いる?」

「いえ、いりません」


 こんな「雑な男子大学生がそのままオトナになりました」という感じでよく生活できているな、と思いながら俺は掃除に戻った。



 雑務、といっても仕事が多いわけではないので、掃除や紙類の整理が中心だ。海さんが壊滅的にそういったことが苦手らしく、金曜に片づけても月曜になると元に戻っている。



「あ、オル君、次はファイルの整理をお願いできるかな」

「分かりました……って、あっ! またファイル戻してないじゃないですか!」

「戻すのが苦手なんだよね。『いつかまた使うから』って置いておいちゃう」


 そういうことをしてるから散らかるんだ、と思いながら、過去の依頼をまとめた資料を棚に戻していく。


 依頼は週に一、二度らしい。短時間で終わる簡単な依頼もあれば、俺が赤都の件を依頼したときのように一日以上使うケースもあると言っていた。


「海さん、こことは別に自宅も借りてるんですか?」

「いや、解約したよ。この辺りの事務所は家賃も二十万近いからね、二重に払うのはちょっと厳しいよ」


「なるほど、確かにそれはちょっと……でもそしたら結構儲かってるんですね」

「いやいや、ネットで受け付ける仕事は安いしね。年を取ると色々入り用だし、贅沢はしないで暮らしてるよ」


 それにしたって限度があるだろう。あまり心配になるような生活はしないでほしい。


「よし、仕事を始めよう!」


 鍋を洗面所で洗い、サッとタオルで拭いて食器と食材が並ぶ棚に戻す。そして縦長のタッパーから茶色いものが入った袋を取り出し、小皿にじゃじゃっと開けた。すっかり見慣れたわたあめの原料、ザラメだ。


「といっても一件しかないなあ。はあ、もっと捜査がしたい! 何でもいいから興味のある誰かの何かを特定したい!」

「無差別ストーカーみたいな発言やめてください」


 とんでもないことを口にしつつ、ザラメをぼりぼり頬張りながらパソコンを開く海さん。一通りの掃除を終えた俺に、彼は「それを使って」と座っている机の奥を指した。自分が使っているものより一回り大きいノートパソコンが置かれている。


「ホームページ、頼むね! ツールは入ってるから!」

「自信ないですけどね……」


 先週末に言われていた依頼の一つが、このホームページ制作だった。俺が調べたときも、事務所名しか書いておらず全てのタブがCOMING SOONとなっており、完全に外側だけ作ったサイトだった。


 起動すると、制作ツールが入っていて、テンプレートを利用した作りかけのサイトが出てきた。ふむふむ、基本的にはここでタブごとのページを作りこんだうえでリンクを取得して、そのリンクを埋め込んでいけば良いってことか。


「解決例紹介のページがあるでしょ? そこにこれをうまくまとめて入れてほしいんだよね」


 そう言って彼から渡されたのはUSBメモリだった。中には文書ファイルが入っている。


『二十代男性の例


 依頼:挨拶も手紙もなく、ある日一方的に出て行った彼女がどこにいるか探してほしい


 捜査:まずは氏名や出身地をもとに、彼女のTweeterアカウントを発見しました。全ての画像をチェックし、見切れて映っていたレストランから都内にいることを確認。さらに動画に映っていた駅から沿線を把握し、ツイートを一件一件根気よく探すことで、駅前の特徴をもとに遂に最寄り駅を発見しました。

 帰るときに使用している出口まで把握できたため、それを依頼主に共有、無事に会うことができたようです。ちょっとした誤解から彼女が身を引いたことが分かり、見事に復縁することができました』


「何ですかこれ……?」

「何って? 事件の解決例紹介だよ?」

「危なすぎて書けませんよこんなの」

 アカウントを発見してじっくり見てることを公にしてどうする気なんだ。


「これ完全にストーカーじゃないですか!」

「だからオル君、ストーカーじゃないって! ストーカーっていうのは特定の人につきまとう人のことを指すんだよ? 僕は毎回違う人に張り付いてるんだから全く当てはまらないじゃないか!」

「そういう話ではないのでは……」


 ダメだ、海さんは完全に自分を普通の人間だと思ってる。普通の人間はツイートを一件一件根気よく探したりしない。


「うまくボカしていいからね」

「ボカしたらほとんど内容なくなりますよ」


 法に触れなそうな言い回しはないか考えながら、ゆったりとした時間が過ぎていく。それは、これから始まる事件の前の、束の間の静けさだった。

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