第3話 依頼成立
事務所の中に入ると、彼は咳払いを一つして背筋を伸ばした。
「改めまして、探偵の
「あ、よろしくお願いします……」
見た目と勢いに圧倒されていると、彼は部屋の真ん中にある大きなローテーブルを指す。
「そのソファーに座ってください。狭いところで恐縮だね!」
部屋の中央にある灰色の二人掛けソファー。その向かい合った二つのソファーの間に、ガラスのテーブルが置かれている。俺は言われた通りに前に進んで腰掛けながら、須藤海を改めて観察してみた。
やはり特徴的なのは髪と服装。もともとくせっ毛なのか、好き勝手な方向にカーブしている髪が眉や耳を覆うくらい伸びていて、身だしなみの跡は限りなくゼロに近い。服は一応ワイシャツにスーツのパンツとなっているものの、どちらもクリーニングやアイロンとは無縁の生活を送っているらしい。
そういえば、昨日話してたカップルも危なそうな外見とか言っていたな。ニコニコと屈託のない笑顔を見せているけど、余計に怖く感じるのも頷ける。
「あの……ここって事務所なんですか?」
どうぞ、とアイスコーヒーを入れたマグカップを差し出してくれた須藤さんに問いかけると、彼は不思議そうに首を傾げる。
「うん、そうだよ! どうして?」
「いや、生活感があるなあと思って」
俺の言葉に、彼は分かりやすくギクリとした表情を浮かべた。
「やっぱり分かるかな? あー、居住用には使わないでって言われてるからバレたら困るなあ! なんで分かったの?」
「なんでって、この部屋見たら……」
分からない人の方が少ないだろう、という言葉は飲み込む。その代わりに、目で伝えようと部屋中を見渡した。
普通、「狭いところで」と言われたら謙遜というパターンが多いけど、全くそんなことはなく、言葉の通り狭かった。部屋自体は1Kの造りだが、部屋の面積は俺の二五ヘーベの部屋よりだいぶ大きい。間取り的に1DKくらいあってもおかしくなさそうな広さなので、面積の問題ではなく、事務所にしては随分物が多いということだろう。
まず、角度をつけて扉のように置かれた二つの本棚。棚には学術書から漫画まで雑多な本が入っており、入り切らない雑誌は横にして入れられている。本棚の間は人が一人ギリギリ入れるくらいの隙間が空いていて、その奥には明らかにベッドのフレームが見え隠れしていた。そのベッドの上には大きなベルをつけた目覚まし時計が乗っており、どう考えてもここで寝泊まりしている証だ。
壁にくっつける形で、中学や高校の先生が職員室で使っているような、引き出しのある銀色の机が置かれている。これは多分作業スペースだろう。その机にはカセットコンロと電気ポットが乗っていて、どこで食事をしているか容易に想像がついた。
机の後ろには須藤さんの背丈くらいある棚が置かれていて、シンプルな電子レンジと小さめの炊飯器と大量の食料があり、さらにその棚の横には二つドアの小型冷蔵庫がある。机からキャスター付きの椅子ですぐに調理に移行できる便利で怠惰な仕組みだった。
反対の壁のカラーボックスの上に畳まれているタオルは明らかにバスタオルサイズ。洗濯機はなさそうだけど、天井に謎の紐が通されているのは、コインランドリーで洗った洗濯物を干すためではないだろうか。寝泊まりを通り越して、完全にこの場所で生活していることがよく分かった。
「シャワーブース付きの部屋だから、ついつい住み込んじゃって……ビル管理の田中さんには言わないでおいてね!」
「言いませんよ」
田中さんの性別も分からないまま首を横に振ると、須藤さんは安心したように胸を撫で下ろした。
「ありがとう! えっと、名前……」
「あ、俺ですか?
「織貴君ね、珍しい名前だ。よろしくね! 久しぶりの依頼人だなあ!」
手を差し出され、握手をする。すると、彼は握った手をぶんぶんと上下に振る。俺はちょっと意地悪な質問をしてみることにした。
「ちなみに、ここまでで俺のことってなんか推理できたりするんですか?」
「えっ、織貴君のこと? ううん……」
彼はジッとを俺を見た後、難しそうな表情を浮かべ、下唇を突き出したまま考え込む。
手を握ったり少し観察しただけで、相手のことが分かる。それができれば、正しく名探偵じゃないだろうか。
しかし、そんな期待を軽々と裏切って、須藤さんはあごの骨が外れそうなほど首を傾げる。
「いや……何も分からない……若手の社会人かな……?」
唯一の推理を外し、俺が「大学生です」というと「そっちか、迷ったんだよねえ!」と悔しそうに顔を歪めたが、たぶん社会人と大学生以外にはほとんど候補はないので、二択に賭けたのだろう。
最近の学生って大人っぽいねえ、と感嘆の溜息を吐き出す彼を見ながら、「この人が頼りになるのだろうか……」と不安になる。赤都の住所を推理で見つけ出すなんてあまり期待できなかった。
「あの、こんなこと言ったら失礼かもしれないですけど……須藤さんっていつ頃から探偵をやってるんですか?」
「大学院を卒業してすぐだから四年前からだね。人探しとかは得意だよ。これでも大学と大学院で心理学、特に社会心理学を修めていて……」
専門分野の解説が始まったので、話半分に聞く。とりあえず知識はあるらしいけど、心理学を学んだからって探偵になれるものでもないだろう。だとしたら卒業生はみんな事件を抱えているはずだ。
「友人を見つけてほしいんですけど……本当にできるんですか?」
「うん、結構実績あるよ。少しずつヒントを集めていけば、追えると思う。例えば……ちょっと待ってね、うまくいくか分からないけど……」
そう言うと、彼は銀色の机に腰掛ける。そして、閉じていたノートパソコンを開いて嬉しそうにキーボードを叩きだした。
「んっと……あるとすると…………あとはこっちなら……」
外が明るいからか電気をつけていない部屋で、液晶のライトに照らされて須藤さんの顔がぼわっと光る。順調に進んでいるのか、口元がニヤリと笑っている分、とても怖い。暗闇で見たら、映画の中のハッカー役のようになるだろう。
「……よし、多分これだ!」
そして見せてくれたのが、俺のアカウントだった。
■◇■
「なんか……ストーカーみたいじゃないですか」
「ええっ!」
回想を終え、驚嘆の表情を見せる須藤さんをまじまじと見る。よく考えると、ストーカイという名前もどこかストーカーを思い起こさせる。
「待って待って、織貴君! 確かに僕はネットストーキングの技術を駆使して調査してるよ。でもこれはあくまで技術だから! 包丁もちゃんと使えば便利でしょ」
「まあ、それはそうですけど」
「僕はストーカーじゃないよ。相手のことが気になるだけだから。気になる人の情報がネットに転がってるなら、全部知りたいって思うのが当然だろ?」
「その発想がストーカーそのものじゃないですか!」
なんだろう、ちょっとヤバい探偵に当たってしまった気がする。
「ちなみに、そんな技術どこで身に付けたんですか? 実践……?」
「だから、僕はストーカーじゃない、須藤海だ!」
名前が似ていることは本人もちゃんと分かっているらしい。彼は座ったまま腰を捻り、後ろにある本棚を指差した。
「社会心理学を専攻してたってさっき話したけど、社会心理学って大学で触れてる?」
「社会学部なんですけど心理学系はあんまり取ってないですね……一年生の時に概論だけ受けました」
「そっか。社会心理学っていうのは、簡単に言えば社会の中で個人の思考や感情や行動がどんな影響を受けるかを研究する学問なんだよね。僕が専門的に研究していたテーマはSNSなんだ。SNSも今や一つの社会だからね」
SNSだけで繋がっている人もいるし、友人で趣味仲間とオンラインで飲み会を開催した人もいる。確かに、現実世界とは違う社会が構築されていると言っても過言ではないだろう。
「で、そこでネットストーキングってのを知ったわけ。それで学びの一環で友人をターゲットにしてやったら住所をほぼ特定できた。資質があったんだろうね」
「一発目でそこまでできるって……」
須藤さんは嬉しそうに「どうも」と目を細めた。別に褒めたわけではない。
「で、もともと博士課程まで進む気はなかったし、ネットストーキングをプラスの方向に使えたら面白いと思って、探偵を始めたんだよね。いつの間にか四年経って二八か、すっかりアラサーだよ。まあ、僕も背景を伝えたところで!」
ガラスのテーブルにドンッと手を付く須藤さん。メガネの奥の瞳が、難事件を求める探偵もかくや、輝いている。
「依頼、してもらえるのかな?」
俺は逡巡していた。表情にも出ていたかもしれない。どんな理由であれ、相手の知られたくことをネットで詮索するなんて褒められたことではない。高校時代を思い出ると、口の中に嫌な味の唾液が溜まった。
でも、他に頼める相手もいない。新しい探偵を見つける時間も勿体ない。何より、赤都を探すにあたって、少なくとも能力的には、これ以上の適任はいないと思えた。
「……よろしくお願いします」
俺の返事を聞いて、彼はカツンとガラスの机を指で弾く。そして、何かのスイッチが入ったかのように不敵な笑みを浮かべた。
「契約成立、よろしくね」
十月七日、金曜日。俺は初めて、謎解きを依頼した。相手は、俺のアカウントを見つけた、ストーカーのようでストーカーじゃない探偵。
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