第6話(後) connected

「はいもう終わり。離して」


 灯里は尚も私を自分の腕の中に留めておこうとしたけど、私はフィジカルパワーを全開にして無理矢理立ち上がる。


「あ、逃げられた」


 あっけらかんとした声色に、私は不平の意思を込めて少し頬を膨らませた。こういう仕草が子供なんだろうな、なんて思いながら。皮膚が伸びると痣が少し痛かった。


「ごめんごめん。由華と放課後二人で過ごす時間が減るんだって思ったら、ちょっと私おかしくなった」


 気後れする様子もなく灯里はうそぶく。言葉とは裏腹の、謝意も動揺も悲哀もたたえていない冷たい色のガラス玉が二つ、じっと私を見据える。


「大袈裟だよ」


 照れ臭さを苦笑に包んで放った言葉が冴えた空気に溶ける。返答は、なかった。


「私だって灯里と過ごす時間が減っちゃうのは嫌だよ、嫌だけど」


 伏せた横目の先、やはり言葉は返ってこない。代わりにガラス玉が上下に少しだけ潰れる。眩しいわけでもないだろうに。


「仕方ないじゃん、あやめ先輩が交換条件に……」

「断ればよかったのに。謝罪を受け入れない代わりに小間使いを命じるなんて、どう考えても暴論でしょ。由華一人で断り入れられないなら私が話つけてこようか?」

「でも、元々いた子がいなくなってあやめ先輩は一人になって、他に頼れる人も……多分、いなくて。私、力になってあげたくて」

「ごちゃごちゃ理屈並べても、結局体よく言いくるめられたようにしか思えないけど。つまるところ交換条件云々は建前で、あんたは困ってる七崎あやめを助けてあげたいって厚意で動いてるだけでしょ」

「それは……」


 二の句が継げなかった。それを見咎みとがめるように灯里が口元を歪ませる。


「ほら、図星だ」


 どうしよう、腹が立つ。


 灯里は全てを悟ったような大人びた声で正論ばっかり言う。

 私の口からは感情的な童声わらわごえで「でも」とか「だって」とか「仕方ない」みたいな言い訳じみた言葉ばっかり出てくる。

 私の神経を逆撫でしてるのがどっちなのか分からなくて、虫唾が走る。


「……厚意で動いてるんだとして、何が悪いの」

「『だとして』じゃなくてそうなんだよ。あと、悪いなんて言ってないからね。ただ、由華に自覚させといた方がいいと思って」

「自覚?」

「親友との時間より好きな人との時間を選んだって自覚」


 私、首を捻る。灯里は「親友」って言う時自分を指さして、「好きな人」って言う時にはなんか遠く見てた。


「私さ、付き合い始めてからは週末ずっと輝一とべったりで、あんまり由華と出かけられなくなったじゃん。それについては、本当に申し訳ないって思ってる」


 確かに、中学卒業と同時に二人が恋人関係になってから、灯里はきぃちゃんとの時間を優先するようになった。デート代稼ぐためにカフェのバイトも始めたんだけど、そのシフトすらサッカー部の練習時間に被せるくらい、徹底してきぃちゃんファースト。

 けど、それは。


「謝るようなことじゃないよ。私達もう高校生だもん、恋人が出来たら恋人第一でいいよ。そうあるべきだよ」

「ありがとね。私ずっと由華のそういうところに甘えてたっていうか、感謝しててさ。だからその分、輝一が部活で遅くなる平日の放課後はなるべく由華と一緒に過ごしたいなって思ってたんだ。すげえ自分勝手な考えだけど、そこは私と由華だけの聖域だと思い込んでた。他のどんな奴も混ぜてあげない、誰にも邪魔されない親友同士の時間だって」


 あぁ。


「けど、由華だって好きな人が出来たらそっちと過ごすことを選ぶんだなってのを思い知ってさ」


 そっか。


「それが親友として、寂しくもあり」


 そっか。


「また、嬉しくもあり」


 そっかぁ。





「……え、由華、ごめんなんか言ってくんない? 私ばっかこっ恥ずかしいこと言ってるじゃん」

「……灯里さ」

「ん?」

「なんかさっきから私があやめ先輩のこと好きって前提で話してない?」

「好きでしょ」

「顔は好き。美人だから」

「私あいつの顔嫌いだよ。美人だから」


 にかって歯を見せて笑う。


 ──ほんと、よく笑う。


「由華ってさ、ここんとこしばらくは特定の誰かを好きになったりしなかったじゃん? だから今、嬉しいのも寂しいのもあるけど、何よりもまず安心してるんだよ」

「安心してそんな顔するようじゃいよいよ白瀬灯里もヤキが回ったね」

「すっかり老け込んじまったよアタイも。娘の結婚式を控えた父親ってのはこんな心境なんかな」

「絶対違う。少なくとも父親の心境ってのは違う。私と灯里は……私達は、ズッ友だから」


 精一杯おどけてみせる。やっぱり灯里は、笑ってくれた。


「ズッ友て、きょうび聞かないって」

「ズッ友はズッ友だもん。うぃ」


 私は無二の親友に向けて、軽く拳を突き出す。灯里はへらへらしたまま一回聞こえよがしに鼻で笑って、こつんと拳を合わせてきた。


「なにこれ、いつまで青春してんだ私ら。おいなんかアツいの聴こうぜ」


 言いながら灯里はポケットからイヤホンを取り出し、片方を私に向けてぽいっと投げてきた。

 いつも学校からの帰り道でそうするように、私に左を。灯里は右をつける。


「ワイヤレスってさ、便利だけど風情がないよね」

「利便性と風情ってのは往々にして相反するもんだよ」

「まーた難しい言葉使う」


 あぐらをかいたまま、灯里がスマホをいじってイヤホンを無線接続する。

 左耳から『connected』なんて機械音声が聞こえた。

 

 しゃらくせえ、なんて思った。











  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る