第18話 アイガモとポルチーニ
「ごちそうさまでした」
遅れて店の外に出てきたあやめ先輩に一礼。お茶一杯とはいえ奢ってもらうのには抵抗があったけど、出てきた財布がフェラガモのガンチーニだったので何も言えなくなった。今度はイタリアンだな、アイガモとポルチーニ。
「美味しかったね、コーヒーもミルクラテも。また来ようね」
「もうドリンクのサービスは勘弁ですけど」
結局私とあやめ先輩は、マダム達の眼前でアレを飲んだ。
やや牽制気味な口調で「えらく仲いいのね」なんて話しかけられたあやめ先輩は「可愛い後輩連れてきたらサービスされちゃいました」なんて如才ない対応を繰り出してそれ以上の詮索を上手く躱していた。
背後の青ヤンキーとヒゲオヤジが余計なこと言い出さないように睨みを利かせていた私のカバーリングもあり、場が剣呑な雰囲気を醸すことなく私達はグラスを空にすることが出来た。初めての共同作業、無事完遂。味はまあ、私は味わう余裕なかったから分かんないや。あやめ先輩側のストローの飲み口についたリップの紅色がちょっといやらしかったです。まる。
「写真撮ってましたけどSNSに上げたりしないでくださいね」
「しないしない、私はああいうのやらない。単に初デートの記念に残しておきたかっただけ。ていうか由華、すっごいキメ顔じゃない。もうちょっと恥ずかしがると思ったんだけどな」
あやめ先輩がスマホをいじりながらくつくつと笑う。二人でストローを咥えながらカメラ目線で大見得を切っている写真は、私のLINEにも送られてきている。
「それにしてもこうやって並ぶと、私達全然違うね。由華の方がずっと綺麗」
あやめ先輩がおかしなことを宣いながら肩を寄せ、スマホを見せてくる。
覗き込んだ画面の中に写っていた私は、当たり前だけど毎朝鏡で見る蓮本由華そのままでしかなくて、どう贔屓目に見ても隣にいる超絶美人の引き立て役に過ぎなかった。写真写りはわりかしいい方だと自負してるけど、あやめ先輩とじゃちょっと元の素材に差があり過ぎる。
「自虐風自慢なんてきょうび流行りませんよ。どう見ても先輩の方が綺麗です」
「ううん、由華の方が綺麗だよ。無垢な白さがある。悪意に触れてこなかった人間にしか出せない煌めきがある。どっちも、私にはもうないもの」
あやめ先輩は、いつの間にかスマホの画面ではなく私自身を見つめていた。
至近距離。動物的直感が危機を感じ、その場から飛び退く。
「なんで逃げるの。今私ちょっと傷ついたよ」
「い、いやその、なんでだろ。あやめ先輩が美人過ぎてドキドキしちゃった……のかな?」
合掌した指先で顎を支え、口角を上げながら小首を傾げてみせる。精一杯の愛嬌を振り撒いた私の胸中を見透かすかのように、あやめ先輩は目を細めた。
「『悪意に触れてこなかった』っていうのはそういうところだよ。由華は見た目も愛らしいし、人を和ませるような柔らかい雰囲気があるから、そうやってあどけない仕草でとぼけてみせるだけで周りがいつも助けてくれてたんだよね」
「あ、あはは、そう……かも」
「そういうところが堪らなく愛おしいの。でもそれって、生きていくうちに必ずどこかで失われるものなんだよね。誰かに
濃い夕闇の中、自嘲するようにぼんやりと空を見上げたあやめ先輩の背後で丁度外灯が灯った。
逆光に、少し表情が陰って見えづらくなる。
「陳腐なこと言わせてもらうと、私は由華が自分以外の誰かに汚されるのが許せないんだよね。そうなるくらいならいっそこの手で、なんて」
純粋で邪悪な心中を言葉に乗せて曝け出し、再び私を捉えた眼光がそのまま地面に落ちる。両手を私の肩に置いてそれを支えに項垂れた先輩は、声を震わせた。
「私おかしくなってるんだと思う。由華を見る度、声を聞く度、考える度、心が由華に
「おかしいだなんて言わないでください。確かにちょいちょい怖い思いすることはありますけど、でも、あやめ先輩がそれだけ私のこと想ってくれてるってことに関しては素直に嬉しいです」
「嘘だ。怖がられてるの分かるもん」
「ほんとです。だから顔を上げてください。目を見て言います。私、人に告白する時は目を見て言うって決めてるから」
見据えた先、泣きそうな顔があった。弱り切った表情でそれでもなお減衰することなく保たれる美貌に、変な嫉妬と高揚が同時に襲い来る。
「あやめ先輩のことが好きです。あなたと恋人になりたいんです」
毅然と言いつけた口調は、多分告白というシチュエーションには甚だそぐわないものだったと思う。
あやめ先輩は一瞬泣き顔をぐちゃぐちゃに崩して、すぐにまた
「……私だって同じ気持ちだよ。でも、由華のこと好きになって初めて分かったの、自分がこういう人間なんだって。相手を好きになればなる程その人に対する攻撃性が増す異常者なんだって自覚しちゃったんだもん。この性格を矯正しない限り人と付き合う資格ないんだよ」
「直さなくていいです。少なくとも私の前ではありのままの七崎あやめでいてください」
「でも、それじゃ由華に迷惑が」
「うん、確かに四六時中Sっ気を出されるのは私も困ります。だから、時と場所を弁えて欲しいんです」
「時と場所?」
「……二人っきりの空間であればある程度は構わないってことです」
「今だって二人きりじゃない」
「いや、ここ屋外じゃないですか。すぐそこの扉隔てた先に知り合いいるのも分かってるし。もうちょっと人目がない所、例えば、えーと、お互いの部屋だとか」
「それって、つまり」
顔を上げた先輩の顔が赤い。自分の顔の色なんて分かんないけど、耳が急激に熱くなってることだけは分かった。そりゃそうだ、顔から火が出るくらい恥ずかしいこと言ってる自覚あるもん。
「恋人になるんなら遅かれ早かれすることですし。……その、期待に応えられるかは分かりませんけど、ちょっと痛いくらいならまあ、頑張るので」
「……いいの?」
「いいかどうかはその時の雰囲気次第ですけど」
あやめ先輩、また下向いた。肩に置かれた手が震え出す。
「──っっっ由華っ」
「え、はい。由華です」
「好き」
「はいはい、私も好きですよあやめ先輩」
「ゆ、由華ぁ……」
「なになに、怖い怖い」
「由華、なんでそんなエロいの」
「いや私のことエロい目で見てるの世界中であやめ先輩くらいですよ」
「へ、へへ、えへへ」
「ねえ顔上げてください怖いから」
「だめ。すっごい気持ち悪い顔してるからだめ。恋人にこんな顔見せたくない」
「……分かりました。気が済むまでそうしててください」
店の敷地の外、一方通行の狭い路地をゆっくりと自動車が通り過ぎる。ヘッドライトに一瞬だけ照らされたカーブミラーに映った私の顔がすっごい気持ち悪いニヤケ顔で、なるほどこれは恋人に見せるもんじゃないなと思った。
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