第19話 おしるこアンドアナザーおしるこ

 お尻に感じた金属のひんやりとした感触も、五分も経つ頃には気にならなくなっていた。

 遊具らしい遊具もない小さな公園のベンチから見上げる師走の繊月せんげつの空は、夜の色が濃くなるにつれて冬らしい造形の光の粒をちりばめ始めている。もっとも、私に分かるのはオリオン座くらいだけど。

 虚ろな月光が染み込んだ真砂の上、からっ風になぶられて転がる枯れ葉が靴紐を掠めて滑っていく。

 しばし風の行方を目で追っていた私の背後、公園の入口の方から何かが軋むような音が聞こえた。程無くして、それが自転車のブレーキの音だと気づく。


「お、いたいた」


 声の主は自転車を止めると、些か大儀そうな歩調でこちらに歩いてくる。


「わざわざこんなところで待たんでも、話あるんなら由華ん家まで行ったのに」


 やはり面倒くさそうにぶつくさ言いながら上着のポケットに手を突っ込んだ灯里は、例のごとくスカジャンパーカーに御御足おみあし丸出しの根性JKスタイル。ニット帽にオーバーサイズのダウンジャケット、下はジーンズという職質待った無しな私の出で立ちとはかなり趣が異なる。

 まあ、学校から直でバイト行った帰りの彼女を呼びつけたのは他ならぬ私なんだけど。


「座んなさい」


 私がベンチの空いてるスペースをぽんぽんと叩くと、灯里は何を思ったか、踵を返して自販機の方に歩いていった。

 ガコンという音が、少し間を置いて二回。改めてこちらに歩み寄ってきた灯里の両手には同じ小豆色の缶が握られていた。

 おしること、おしるこ。おしるこアンドアナザーおしるこ。


「どっちがいい?」

「うわそのボケおもんな。右」

「なんだかんだ乗っかってくれる由華ちゃん好きよ」

「私今日甘い物食べ過ぎだよ、このままじゃどすこいだよ。ツッパリに突っ張りかましたろかな」

「うわそのボケおもんな。だーれがツッパリだよ、なーにがどすこいだよ。どうせ太れもしないくせに」

「糖分がお腹に溜まらないのはいいけど、胸にも行かないんだよね私」

「頭にも行ってないし、謎だよね」

「はいそれライン越え。押し出しで私の勝ち」

「そういう戯言ひねり出すのに糖分使ってっから学業に回らないんだよ」


 呆れと窘めが半々な声音と共にどっかりと私の横に腰を下ろすと、左手一本で器用にプルタブを開けながらもう一方を手渡してくる。財布を出そうとした私を軽く制した灯里は、熱々の缶に軽く口をつけてからふうっと夜空に仄かな熱を返した。


「ごちです」

「いーよいーよ、これからもウチの店をご贔屓にってことで。んで、話って何」

「あ、うん。まず一個目。これはお説教です」

「一個目って、何個あんの」

「分かんない。いっこだけかも」


 缶を手の平で転がして暖を取りながら、私は公園の入口に止まっている濃紺のクロスバイクへと促すように目を遣った。


「マイニューギア。いかすっしょ」

「いかすっしょじゃなくてさ、ダメでしょ無許可でチャリつうしたら」

「あー、そんことね。わりわり、週明けにはちゃんと申請すっからさ」

「ちゃんとしてよもう。玄鶴にあれ止まってた時はひやひやしたもん。あやめ先輩に気づかれなくてよかったよ」

「あやめさんなら許してくれるっしょ」

「どうかな、怖いよあの人」

「あー、確かに怒ったら怖そう。絶対Sだよね」


 何の気なしに呟いたその声に、私を挑発するような意図など含まれていようはずもない。私とあやめ先輩の関係性を語るにおいてそれが重要なファクターであると見抜いての発言なのだとしたら、怖いのは先輩じゃなくて灯里の洞察力の方だ。

 ともあれ、今話がそちらに傾くのはあまりよろしくない。話を本題に引き戻す。


「灯里って自転車なんか持ってたっけ。灯里ん家ガッタガタのママチャリしかなかったような」

「あれは文字通り母ちゃんの。新しいの買ったんだよ。この前……てか、二、三日前」

「ええ、サラピンじゃん。何、どういう風の吹き回し?」

「……そりゃあんた、ねえ。私だって時間を有意義に使いたい、みたいな、さ」


 ずけずけ物を言う灯里にしては珍しく、言葉尻を濁して言い淀んでいる。もぞもぞし始めた脚の動きを眺めているのは、決してやましい気持ちがあってのことではない。

 断じて。


「由華ってほんと察し悪いね。そういうとこだよ」


 灯里がそっぽを向く。組んだ脚の上に肘を置いて、器用に頬杖。ぽかんとしてる私の顔を横目でちらりと見て、観念したように溜め息。


「……ダチと一緒に帰れなくなったら歩きで通学する意味ないじゃん」


 拗ねたよう声だった。

 私やっぱり察しが悪いみたいで、それでも数秒は灯里の言わんとするところが掴めなかった。

 頭を整理するためにおっとりとした所作でおしるこを啜った私は、やにわに意味を理解して思いっきり噴き出す。


「うわ! きったねえ!」

「げほ、げほ……いや待ってよ汚いのはそっちじゃん。いきなり変なこと言わないでよ」


 喉に感じていた熱が急速に全身に伝播する。この発熱が化学反応によるものなら、人類は即刻化石燃料の使用をやめて全部おしるこにすべきだ。


「そ、そんな理由でわざわざ長い距離歩いてたの? バカじゃん、私と別れるまでチャリ押して帰れば済む話なのに」


 その反論は当然で、こんなこと言うのもなんだけど私にしては珍しく隙のない正論だった。それでも強い語調が返ってくるかと思いきや、案に相違して灯里の舌先は鈍かった。


「いやあんたの言う通りなんだけどさ。こっからはマジで変なこと言うんだけど……その、嫌なんだ、雑音が混じるのが」

「雑音?」


 最初は私が聞き間違えたんだと思った。けど、躊躇いがちながらもしっかりと頷いた灯里の様子に迷いは感じられない。


「なんか、嫌なんだよ。両手塞がってたら由華のこといじくりまわせないじゃん。ほっぺたつねったり、頭わしゃわしゃやったり、肩組んだりアイアンクローかけたりヘッドロックかけたりコブラツイストかけたり、とにかく二人でいる時は可能な限り私の全部で由華を感じてたいんだよ。分かる?」


 プロレス技羅列したのは彼女なりの照れ隠しだろう。まあ実際全部やられたことあるけど。一個は今日もやられたやつだけど。

 灯里が手櫛で髪を整えてからこちらに向き直る。同時に今度は私が慌ててそっぽを向いた。ニット帽を引っ張ってしっかり耳たぶまで覆ったのは、上気してることを悟られたくないから。


「歩調が合わなくなるのも気に食わないし、あんたと過ごす時間に少しでも邪魔なもんが混じってたらそれだけで損した気分になるの。私なんか特に輝一に費やす時間増えてるから、その分由華との一分一秒を濃くしたいんだよ」


 優しい声が背中を包む。毛糸越しに吐息の音が近づいてきたのを感じて、私は堪らず裏拳のような形で灯里の頬を撥ねつけた。


「いって……いや、ごめん。今のは私も距離感間違えたわ」


 しゃあしゃあと事も無げに言い、へらへら笑う。

 堪らなかった。無遠慮に私に近づいてくる灯里の鈍感さも、それに痛いくらい反応してしまう私の心と身体も、全てが憎らしくて堪らなかった。


「きぃちゃんの方が大事なくせに」


 半身で俯いた姿勢はそのまま、怨嗟を込めた言葉で視界の端にいる灯里を刺す。それを受けて、灯里は頬をさすっていた手を上方に持っていき、髪を掻き上げた。


「……あのさぁ、どっちが大事とかマジでそういうこと言うのやめな。輝一は恋人で由華は友達じゃん。比べるもんじゃないよ」

「恋人の方が大事に決まってるよ」


 口をついて出たその言葉に、灯里は一瞬沈黙した。ややあって、収斂された怒気が私の肩を掴む。物理学では説明出来そうにない痛みが走った。


「んなわけねえだろ。世迷い言抜かすのも大概にしとけよ」


 静かに吐き捨てた灯里が私の身体を乱暴に反転させる。顎を無理矢理持ち上げられ、額が触れ合わんばかりの距離で私達は正対した。


『恋人の方が大事に決まってる』


 私は本気でそう思っていた。

 どんなに大事な友達であっても、恋人には敵わないものだと思っていた。そして、私はほんの数時間前に、あやめ先輩と恋人関係を結んだばかりなのだ。

 これでようやく、ようやく、目の前で額に青筋を立てながら私を睨みつけているこの女を吹っ切ることが出来ると思っていた。


 思っていた、のに。

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