第20話 よかったね

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 三枝輝一という男は、こう言っちゃなんだけど私よりずっと成績が良くて、ずっと頭が悪い。彼と二人だけで秘密を共有することにただならぬ不安はあった。

 中二の冬「女の人しか好きになれない」という理由で彼からの告白を断った私は、相変わらず自身の性的指向について彼以外の人間に言い出せずにいた。どのタイミングで言えばいいのかも分かんなかったし、何より、怖かった。

 幸いだったのは、告白後もきぃちゃんとは気まずくなることなく良好な関係が続いていたこと。

 んで、中学生なんてのは男女が仲良いといくらでも揶揄からかってくるものなんだけど、三年に進級して間もなく、やたらしつこく絡んでくる女子が現れた。

 まあ言っちゃえばその子──渋谷真奈花しぶやまなか──はきぃちゃんのことが好きで、私との仲を勘ぐってたわけ。あんまりしつこいからきぃちゃんも「俺もう由華さんにはフラれてんすよ」なんて言って躱してたんだけど「それにしちゃえらく仲良いね」なんて食い下がってくるから、ついに私の方が堪り兼ねて、言っちゃったんだ。

 勿論周囲に人気ひとけがないのを確認してから、持ち前の愛嬌と茶目っ気を全開、ガムシロ二つ分くらいの甘ったるさを添えて。


「心配しなくても、私ドーセーアイシャだから」


 今思えば、真奈花は私のこういう性格自体を疎ましく思っていたんだと思う。

 その瞬間の彼女の表情は今でも忘れられない。あやめ先輩は「由華は人の悪意に触れてこなかった」って言ってたけど、例外だってある。

 にんまりと底意地の悪そうな笑みを浮かべ「そうなんだ」とだけ答えて去っていった真奈花は、翌日学校に来なかった。なぜか全く無関係なはずの灯里の席も空いてたけど、鈍感な私は、まあ風邪でも引いたのだろうくらいにしか思わなかった。ただ、教師連中がやたら忙しなく、何やら空気がピリピリしていることだけは分かった。

 灯里が真奈花を殴って入院させたと聞いたのは次の日で、理由を私が知ったのは更に数日後、週末のこと。

 葉桜の緑が初夏の風にそよぐ公園に私は呼び出された。

 砕けた拳を包帯でぐるぐる巻きにしながら現れた灯里は「アイツが癇に障ること言ってきたから」とうそぶいてけらけら笑った。察するところがありつつも確証を持てない私が口ごもっていると、灯里は私の頭を包帯越しの右手でぽんぽんと叩き、からりと言い添えた。


「気にすんな」


 私はその二文節で、灯里と真奈花の間でどんな会話が交わされたのか、明晰に悟った。


「ごめん」

「いや、私が勝手にやったことだからさ」

「そうじゃなくて……ごめん」


 彼女は可能ならばそれ以上突っ込んだ問答を交わさないまま話を終わらせたかったのかもしれない。私の謝罪に、苦りきった顔で応える。


「……は謝ることじゃないし、謝られても困る。由華とはずっと友達でいたいし、私にはどうすることも出来ないから」


 それは許容であり、同時に拒絶だった。

 安堵と絶望が綯い交ぜになったまま「メシ行こうよ。スプーンで食えるやつ」という灯里の誘いに、ただ曖昧に頷いた。



 真奈花は余程きつくお灸を据えられたらしく、退院するなり私に深々と頭を下げて謝ってきた。彼女は別の高校に進学したけど、今日こんにちに至るまで私が変な噂を立てられることなく安穏無事に過ごせているのは「他の人間に口外しない」という真奈花の言葉が真実だったことの証左だろう。


 孤立したのは灯里だった。


「理由は不明だが、白瀬灯里が渋谷真奈花を殴った」という情報だけが学内に周知されたのだから無理もない。以前から人付き合いが苦手で愛想も良い方ではなかったけど、事件以来灯里は周囲から明らかに距離を置かれるようになっていた。

 綺麗な黒髪が毒々しい青に染められ、制服の着崩し方と比例するように生活態度をだらしなくしていったのは、社会性のある動物が孤立したものに向ける残酷な攻撃性から身を守るための彼女なりの策だったのかもしれない。


 そして、私だけが残った。


 他者を介することが無くなった分、私と灯里の繋がりはより強固になった。二人だけの放課後、二人だけで出かける休日。私に累が及ばないようにするため学校にいる間はそっけない態度を取ってくる灯里の気遣いが、痛く、心地よかった。

 灯里の誕プレにペアアイテムを買おうか散々迷った挙句ヒヨってやめたのに、その一か月後の私の誕生日に灯里はしゃあしゃあとペアのブレスレットを渡してきたのにはさすがに呆れたけど。

 灯里は確かに私に依存しているように思えた。でもそれは、人間関係の構築が苦手な子供にはよくあるいたいけな自尊心によるものだ。頭の中では分かっていながら、他のクラスメイトと親しげに話している際に感じる灯里の寂しげな視線が、私によからぬ勘違いを起こさせる。

 彼女が私を独占したいが為に嫉妬を起こしているのだという下劣な絵空事が、甘美な劣情となって私の胸中にうごめく。

 自分の卑しさと愚かさに吐き気がした。


 蛇の生殺しのような蜜月に耐え切れなくなった私は、窮余の策として、灯里が以前からきぃちゃんに淡い恋心を抱いていることを利用した。自分が橋渡しになって二人を恋人にすれば、この手前勝手な空想も眠りについてくれると思ったのだ。

 果たして、私の甲斐甲斐しいまでの努力は半年余りを経てついに結実し、二人は中学卒業と共に付き合う運びとなった。

 御為倒おためごかしだなどとは夢にも思っていないのだろう、灯里は己の初恋が成就したことを無邪気なまでに喜び、私に何度も感謝の言葉を述べた。抱き締められさえした。


「よかったね」


 吐き出された無感情な息と共に、胸の中にあった何かが抜け出ていくのが分かった。


 高校進学と共に周囲の面子も様変わりし、交友関係の広い彼氏を持ったこともあって、現在の灯里は以前のように孤立した存在ではない。

 今の彼女は、私と二人だった頃よりずっと活き活きしているように見える。


「由華に彼女出来たら絶対真っ先に紹介してよ」


 私がきぃちゃんとの仲を茶化す度に、灯里は繰り返す。そんな残酷なことを言うなよ、と思った。



 ♢  ♢  ♢  ♢


※勝手ながら、しばらく更新を停止します。詳しくは近況ノートをご覧ください。


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唇のソレ ゆらゆら共和国 @origuchi_fumihiro

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