第二章

第10話 ミラクルエナジーV

「ねえ、あやめ。好きだよ」

『うぃっす。シンプルでいいと思います』

「月が綺麗だね。あやめの瞳の満月、今日からは私だけのものだよ」

『うぃっす。ちょいキモいっすかね』

「うちに毎朝味噌汁つくって欲しいねやんかぁ。やっぱすっきゃねんかぁ」

『……うぃっす。俺エセだろうと関西弁好きなんでちょっとドキッとしました』

「蓮本あやめっていい名前だよね。蓮の字、本当は旧字体のちょっとめんどくさいやつだから書く時気をつけてね」

『うぃっすそれ初耳っす……けど、ねえ由華さんこれまだ続くんすか』

「えっとね、今までのがリッツカールトン東京シチュで、ここからのはロケーションが横浜ベイシェラトン想定になるんだけど」

『あー聞かなくていいやつだこれ』


 電話口から聞こえてくるきぃちゃんの声に欠伸が混じる。そりゃそうだろう、部活終わりでへとへとなところに好きでもない女から電話がかかってきて散々ノロケ話を聞かされた挙句、告白の練習にまで付き合わされてるんだから。

 けど、なんだかんだ付き合ってくれる。いい子。


『もう七崎先輩に好きって気持ちは伝わって、友達から始めましょうって返事まで貰ってるんでしょ? なんで告白の練習なんてしてるんすか』

「なし崩しで伝わっちゃっただけで、まだ告白はしてないもん。いつか言う日のため練習しとかないと」

『殊勝で健気な心掛けだと思いますけど……昼間は七崎先輩のことボロカスに言ってたのに、もう恋焦がれまくってるじゃないっすか。ちょっと一緒に過ごしただけでそんなに心境変化するもんすか?』

「いやこの感情を恋と呼ぶべきかは分かんないけど」

『意固地だなあ。いい加減認めましょうよ』

「心境の変化ってかさ、最初はてっきりこっちの落ち度につけこんで仕事押しつけてるだけかと思ったら案外好意持ってくれてるみたいだし。じゃあこっちだってあやめ先輩の好意につけこんでいかないと損じゃん? あんな美人と仕事上の関係だけで終わるのが勿体ないと思ったから利用させてもらってるだけ。これを恋と呼びたいならどうぞって感じ」

『……う、嘘だ。俺の初恋の人がこんなゲスな女だったなんて。由華さん、嘘だと言ってください』


 うん、きぃちゃん正解。今私嘘ついた。


 いや、あながち嘘ってわけでもないのか。あやめ先輩の私への態度が存外に好印象だったのは事実だし、それをよすがに先輩との関係を進展させようとしている心中に偽りはない。

 だけど、私の心境を変化させた決定的な要因は、そこじゃないんだ。


 んだよ。


『あ、でも俺ゲスな由華さんでも見損なわないっすよ! もうとっくに損なう部分ないくらい見下げてるんで!』


 まあそんなこと、口が裂けても言えるわけないんだけど。あとこいつ明日シメよう。


『けど、そんだけビジネスライクな考え方出来るってやっぱ由華さんタラシの才能ありますよ』

「タラシって、それ言うならあやめ先輩の方がよっぽどでしょ」

『誘ってきたってやつでしょ。よく耐えましたね、俺なら絶対流されちゃう』

「なんか今日は不思議と耐えられたんだよ」

『言うてミリ耐えでしょ。理性ポイント赤ゲージでしょ』

「いや全然緑ゲージなの、これは本当に」


 胸に手を当てても聴診器当ててもここに嘘は見つからない。時間が経てば経つ程、昨日の私がどうしてあんな暴走をしたのか分からなくなる。


「なんか、思い返すと夕暮れの自習室っていうドエロシチュが私を狂わせた可能性があるよね。よく言うじゃん、本屋にいるとトイレ行きたくなるとか」

『自習室で性欲が増すってのは聞いたことないっすよ。勉強のし過ぎで頭イカれたか、そうじゃなけりゃなんか変なもんでも食ったんじゃないっすか?』

「イカれる程勉強に集中してないし、変なもんも食べてないですぅー。日曜だったから午前中ずっと寝てて、んで昼過ぎに起きて家でおでん食べただけですぅー。そんで学校行く前にコンビニでいつものようにグミとエナドリを……」


 刹那。

 私のとっちらかった勉強机。

 その端にあった一本の円筒状の物体──コーヒーが飲めない私が勉強中の眠気覚ましに飲む、エナジードリンク──が、私の視界に飛び込んできた。


『あれ? 由華さんどうしたんすか?』


 記憶を呼び起こす。そう、確か私、あの時も同じ物を買って自習室でちびちびと飲んでいた。


「ちょっと待って。きぃちゃん、私気づいたかも。あやめ先輩を襲っちゃった原因」


 頭の中で刑事ドラマの犯人追跡BGMが流れる。私に胸の中に渦巻く疑念と当惑のしがらみがかき分けられ、やがてそれは、真実という名の答えに辿り着く。

 ラベルを見る。原材料名。手が、震えた。


 ──これだ。


「……やられた。エナドリにマカ入ってる。完っ全にやられたわこれ」

『マカ、すか』

「うん、マカ」


 沈黙。


『……うーん、効く人には効くんでしょうけど』

「これはちょっと、訴訟起こすしかないなあ」

『すーぐ勝ち目のない訴訟起こそうとするんだよなこの人。それなんてエナドリですか? レッドブル? モンエナ?』

「ううん、ミラクルエナジーだよ。ミラクルエナジーV」

『ミラクルエナジー……どこのメーカーっすかそれ』

「うんとね、サンガリア」

『あ、じゃあ原因別ですね』

「……どういうこと?」

『だってサンガリアじゃないすか』

「どういうこと?」

『いや、サンガリアのエナドリで性欲爆発してたらもっと高いエナドリ飲んでる人間全員……』

「は? 何そのサンガリアのエナドリが成分激薄クソダサパッケージのパチモンみたいな言い草。きぃちゃんあんたサンガリアに喧嘩売ってんの? サンガリアに喧嘩売るってことはチェリオも同時に敵に回すってことだからね」

『いや俺そこまで言ってないっす。由華さんが物凄い勢いで敵作ってるだけっす』

「あのね、レッドブルに翼を授けられた人間とミラクルエナジーVにミラクルなエナジー授けられた人間どっちが多いと思ってんの」

『……多分どっちもゼロじゃねえかなあ』



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