第5話(後) 朕、マッチョになっちゃうなり

「──で、美化委員蓮本由華の誕生ってわけよ。どーよこのバッジ」

「あんまり似合ってないっすね。貫禄が足りないっす」

「貫禄……スカジャンかなあやっぱ」


 きぃちゃんは膝を曲げて私の下半身を、伸ばして上半身を眺める。


「……一周回ってアリだと思うっすけど、着る勇気あります?ああいうの」

「ねぇっす」


 当たり前だけど、廊下は教室の中より寒い。きぃちゃんはさっきから私の話を聞きつつ、合間にスクワットなんかやって身体を温めてる。私も最初は一緒に屈んでみたりしたけど、六回目で脳内ドクターにストップをかけられた。


「でも、七崎先輩との話が穏便に終わったみたいでよかったっす。俺、生徒会室で二人きりになったって聞いた時はこの先どうなるんだって思いましたよ」

「それ、私の心配してるんだよね」

「半分は七崎先輩の貞操の心配をしてましたけど、もう半分は由華さんの理性が暴走しないかの心配をしてました」


 ふむ。ジュウゼロであやめ先輩の心配やんけそれ。


「貞操って感じでもないでしょあの人。そりゃ身持ちは固そうだけど」

「でも、うちの部の先輩情報だとオトコいた経験ないらしいっすよ」

「うっそ、ほんと?オンナは?」

「そっちは分かんないっすけど、とにかく彼氏がいたことないってのは確かです」

「へぇ。なんてゆーか、意外」


 とてもそうは見えない……けど、サッカー部のチャラ男共が部室で繰り広げるその手のゴシップってのは、下手な週刊誌よりよほど信用出来る。私は詳しいんだ。


「同じ委員会に誘うくらいだから由華さん嫌われてるわけじゃないっぽいし、改めてきちんと手順踏んでいけば案外イケるんじゃないっすか?」


 ちょっと考え込む。確かに、仕事を手伝うって交換条件つきとはいえ、あんな無礼をかました私と付き合いを続けることを選んでくれたんだから、嫌われてるわけじゃないんだろう。それはまあ光栄というか、嬉しくないこともないんだけど。


「いやでも初対面でいきなり犯されそうになったんだよ?そんな後輩と一緒に仕事なんて私なら絶対無理、あの人なんかおかしいよ」

「由華さんがそれ言うんすか……」

「ぐっ」


 寸鉄人を刺す。そう、あやめ先輩はなんかおかしいけど、一番おかしいのは紛れもなく私だ。正確に言うと、昨日の自習室にいた時の私。


「……なんであんなことしちゃったんだろ。さっきも言ったけど、私あやめ先輩に恋愛感情なんてないんだよ。ほんと全然、これっぽっちも」

「にしては『あやめ先輩』って親しげな呼び方するんすね」

「それはあやめ先輩が……あの人が好きに呼んでいいって言うから」

「じゃあ苗字でもいいってことじゃないっすか。あえて名前呼び選ぶって、やっぱ惚れてません?」

「ません。それに、馴れ馴れしいのは向こうの方だもん。『由華』って、呼び捨てにしてくるんだよ」

「……惚れられてません?」

「ま! せ! ん! とにかく何でもないの、私とあやめ先輩は」

「言い切りますね、恋愛感情と性衝動は別物ってことっすか」

「そんなの当たり前じゃん。きぃちゃんだって灯里と付き合うようになってからも他の女にムラムラしたことくらいあるでしょ?」

「うぃっす」

「それこそあやめ先輩にだって」

「……うぃっす」


 きぃちゃんはそれまでのからかい交じりの表情をさっと取り澄まし、私から目線を外して場違いに神妙な顔し始めた。

 脇腹を指先で小突く。やってんなこいつ。


「吐け」

「……サッカー部の先輩から体育祭の時の七崎先輩の写真貰ったんで、それで」

「それで?」

「何度か」

「きっしょ」

「うぃっす」


 なーにがうぃっすだこのエロガキ。


「うわー、部活仲間でそんなん共有してんだ。ほんときっしょいなあ。私、男子のそういうところ凄く不潔だと思うよ」

「うぃっす」

「見せて」

「……見たいんじゃないっすか」

「そりゃ見たいでしょ。そん中に入ってるんでしょ、写真」


 私はきぃちゃんの制服のポケットの角ばった膨らみを指さす。きぃちゃんは一瞬呆けたような顔して、それから何か合点したように膨らみを軽く叩いた。


「あ、これスマホじゃないっす。部活前に食べる用のチョコバーっす」

「チョコバー?チョコバーって、チョコのバー?え、お腹空かせたいたいけな少女差し置いてそんなん隠し持ってたの?」


 気がついたら私の手はポケットに伸びていた。うおォン、今の私は餓えた野獣なのだ。


「いや待ってください、これないと練習中持たないんす、いくら由華さんでも……」

「うるさい、だいたいそもそも元はといえばお前のへっぽこディフェンスさえなければ私がこんなに空腹にさいなまれることなんてなかったんだ。いいからよこせあやめ先輩のポルノグラフィティのこと灯里にバラすぞはい気をつけそのまま動くな、朕は美化委員なり美化委員なり!」


「く、狂ってる。狂人だ」


 きぃちゃんは狂暴化バーサクした私に逆らえないのだ。無理矢理ふんだくったチョコバーにかぶりつき、ようやく私の食欲は満たされていく。


「……ふむ。プロテイン二十グラムか。朕、マッチョになっちゃうなり」

「高いんすよそれ。あと食べながら喋るのあんまり感心しないっす。あとあんまりチンとか言わない方がいいと思うっす」

「高いだけあって美味である! ガハハ! 朕、満足!」

「聞いちゃいねえ」


 二口目。朕の口が開くのと同時に、教室の前側の扉が開いた。


「おい、お前ら。そろそろ頭も冷えたろうから教室の中に……」


 キンキンに冷えてそうなつるつる頭を覗かせたのは、我らが数学教師ナベセン。


 対して、直立不動の三枝輝一。


 チョコバーむしゃむしゃ蓮本由華。

 

──ちょっと待って、この状況、もしかしてかなりヤバいってカンジ?


「……おい、蓮本」


 イキナリいびつな三角関係。マジ?ナベセンまで私にラブだなんて聞いてないよ! これから私どうなっちゃうの!? 次回『溶けるチョコバー、解けない恋の方程式』


「蓮本」


 お楽しみに!


「聞いてんのか蓮本、何か言いたいことあるか?」




「……これから私どうなっちゃうの、でしょうか」




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