第6話(前) 他人のヘッドホン片方だけぶんどって耳に当てる奴
「──で、美化委員蓮本由華の誕生ってわけよ。どーよこのバッジ」
「あんま似合わないね。貫禄が足りないよ」
「不評だなあ。けどまあ、キャリアを積んでいけば自然と板についてくるんだよこういうのは」
「もう板にはついてっけどね」
堂に入ったヤンキー座りの白瀬灯里は、ふんぞり返る私を鼻で笑い飛ばす。拝啓ポリコレ様、こいつ女の敵です。
B組に在籍してる灯里の授業中の動向をA組の私がつぶさに把握してるわけじゃないけど、彼女が座学の授業できちんと着席している方が珍しいということくらいは知っている。気分が乗らない時に音楽を聴きながら校内をふらつくなんてのは、灯里にとって日常茶飯事なのだ。
「にしても、由華が生徒会の一員になるとはね」
「なんだっけ、ほら、灯里言ってたよね。内心ドキドキガングロ雑技団」
「内申点稼ぎガリ勉腹黒集団……いやこっちだって正確に覚えてないってそんなん」
「言ってたよ、ガングロ雑技団」
「いや絶対言ってないし、てかなんだよガングロ雑技団って」
灯里が苦笑しながら顔の前で手をひらひらと振る。
「ガングロ雑技団はね、全校集会で校長が話してる間ずっと後ろで無表情のまま立ってるんだよ」
「なにそれ、ふふ、雑技やれよ。あ、ちょっと待ってツボった、ひひ」
「話聞かず寝てる生徒の頭に長い急須で熱いお茶を注ぐよ」
「あ、そこで、雑技、ひひひ、使うんだ」
灯里は凄くよく笑う。他の誰に聞いても、なんなら彼氏であるきぃちゃんでさえ「冗談は言うけどあんまり笑ったりはしない」って言うけど。
「ひ、ひ、ひ、ガングロ意味ねぇ~」
とてもよく笑う。一応教室の中に笑い声が届かないようにしてるのか、今日は「ひ」多めで笑う。いつもはもっと「でひゃひゃ」みたいに笑う。
「本当に腹抱えて笑うよね、灯里って」
「う、うるせ、由華が真顔でボケ倒すの私ダメなんだって……あー、おもろ」
ツボって廊下に転がっていた灯里がどうにか体勢を立て直し、涙を拭いてからあぐらに座り直した。
「……由華」
呼ばれた。交錯した視線の先、灯里は私なんかよりずっと真顔だった。
「由華。おいで」
やおら手招きしながら言う。
「おいで、って言われても。てかあんまり地べたに座んない方がいいよ。汚いし、それに、あぐらかくと……灯里はスカート短いから」
「うっさいな。誰も見てないし、汚いなら綺麗にしろよビカイイン様」
「無茶言わないで……わわっ」
唐突に手をぐいっと引かれ、バランスを崩して尻もちをつきそうになった私の身体を灯里が受け止める。肩の後ろから腕が伸びてきて、そのまま抱きすくめられるように私は灯里の中にすっぽりと収まった。
今日はよく捕まるな、私。
「……ねえ、立ってないと。擦りガラスだけど、影でナベセンにばれちゃうよ」
「少しなら大丈夫だって」
「じゃあばれたら灯里の責任ね。てか、なにこれ」
「なんだろね」
なんだろ、ほんと。灯里が分かんないのに私が分かるわけないか。
なんて不毛なこと考えてると、灯里は私の頭に顎を乗っけてきた。ミディアムウルフの青い毛先が私の視界の端でうねって踊る。
イソギンチャクみたい。私、絡め捕られた魚。
「由華さ、根元黒くなってんよ」
「伸ばしてるからもうちょい切らない」
「ベリショってなんか、ぽいもんね」
「……うるさいなあ、子供っぽいのが嫌なの」
胸の前、灯里の腕の力がちょっとだけ強くなる。
「……子供じゃん、由華は。ずっと、子供」
きっとまだ私には出せない、凄く優しい声。私、自分の手の遣り場が分かんなくなってなんか体育座りみたいになってた。
「……ねえそろそろ」
「美化委員ってさ、放課後忙しくなるんだよね。一緒に帰れなくなるんかな」
私の言葉を遮って、灯里の顎が肩の上に移る。頬の熱がじんわりと伝わってくる。
「そりゃ、そうなるんじゃない」
正面見据えたまま、私は出来るだけ無感情に言葉を返した。
ちょっと目線動かせば、灯里の顔が見えるんだろう。けど、それはしない。
まだ私には出来ない、凄く優しい表情がそこにあったら、そんなの。
そんなの。
♢ ♢ ♢ ♢
「……あのさ。こういうのってせめてイヤホンつけてる相手にやるもんじゃないの?」
その頃の白瀬灯里は今とはまるっきり違う少しも痛んでない黒髪で、まあ第一印象では清楚っぽい少女だった。
私、今よりちょっと明るめの茶髪。中学デビューってガラでもなかったけど、まあ単純にイキってたから。
「え? ごめんよく聞こえなかった」
「他人のヘッドホン片方だけぶんどって耳に当てる奴初めて見たんだけど。頭んとこ壊れるからやめてくんないかな」
私の左耳から聴こえる、ノイジーポップなぼっちへの讃美歌。右の耳からノイジーダウナーな抗議の声。
「あ、ごめんね。私イヤホンだからこっちで聴こうよ。安いやつだから音質良くないかもだけど」
「違うっつうの。そういうことじゃなくて……あーもうこういうのに絡まれるのが嫌だから私はヘッドホンつけてんの。んでかまってちゃん聴いてんの。あんたみたいなのとオトモダチになりたくないの。てかあんたみたいなのじゃなくてもオトモダチなんていらないの。分かる?」
「グイグイ来るね」
「お前だろ来てんのは」
「友達になりたいの。私、蓮本由華。よろしくね白瀬さん」
「そう。ハスモトユカ、覚えた。ハスモトユカは人の話一切聞かない、よって今後一切近づかない」
「席が隣同士だから、近づかないのは無理だと思うよ」
「殺そうかなこいつ」
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「ねえねえ白瀬さん、私もね、実はかまってちゃん好きなんだよ」
「へえ……何が好きなの、曲」
「……えっとね、えっと、ほら、アニメの主題歌だった、えっと」
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「おはよう白瀬さん、貸してくれたやつ全部聴いたよ! 私、あるてぃめっとレイザーが一番好き!」
「うわ、やっぱ蓮本とは趣味合わんわ」
「ね、ゴールデンウィーク一緒にどっか行こうよ」
「行かない」
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「……いやごめん、やっぱ私洋楽あんまり好きになれないわ。ビートルズとかカーペンターズはいいなって思ったけど。あ、でもこれは好き。こっちの高校の攻撃の時にかかってる応援曲……えっと、クイーンだっけ」
「クイーン! クイーン好きってことはこっちもいけるはず! 灯里これ絶対気に入ると思う」
「……えーもうジャケットからしてゴリッゴリのメタルじゃん。無理だよ」
「食わず嫌いしない!」
「いや素直にクイーン聴かせてよ……」
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「蓮本さぁ、最近三枝とよく話してるね。仲いいじゃん」
「きぃちゃん? うん、仲いいよ。あいつ超バカだよ」
「ふーん。三枝ってさ、彼女とか、いんのかな」
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「おじさん、あけましておめでとうございます。由華、います?」
「あけましておめでとう。本年も由華共々よろしくお願いいたします。ちょっと待ってな、引きずり出してくっから」
「やだー寒いもん雪降ってるもん。灯里こっち来なよこたつでみかん一緒に食べようよ」
「うるせえてめえが約束したんだろうが。灯里ちゃんがわざわざ来てくれてんのに何をごちゃごちゃ──」
季節が移り変わる度、球体は私の中でどんどん大きくなっていた。
自分の性癖をどうしようもなく自覚してしまった冬の日。スマートホンの画面に映った『白瀬灯里』の文字に、私は自分の胸が痛いくらいに跳ねたことを覚えている。
ベッドの上、コール音、何回数えたっけ。
『──今電話いい? ……ねえ由華、大丈夫? 熱、そんなに下がらないの? 病院行ったんだよね?』
『うん、もう大丈夫だよ、大丈夫なの。灯里、心配してくれてありがとう……実はもうとっくに熱下がってるんだよ。でね、私。私ね、きぃちゃんに──』
吐きそうだった。その後に続く短い言葉を伝えるのに、時間も、勇気も、どれだけ費やしたか分からない。
白瀬灯里。
親友の名前がついた愛の球体。
私はもうそれを削って正体を探すようなことはしなかった。
だって、万一、万が一、そこに一片の恋でも見つけてしまったら。そんなの。
そんなの。
──絶望じゃないか。
♢ ♢ ♢ ♢
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