第2話 もうちょい下

 灯里が箸でつまんでいた謎肉がぽろりと落ちて、コンクリートの上に転がった。なんと勿体ない、私なら余命三ヶ月を宣告されても謎肉を落とすなんてことはしない。

 きぃちゃんはきぃちゃんでミートボールを飲み込もうとした瞬間だったらしく、どんどんと胸を叩きながら散々にむせている。


「……なるほど。それで私と輝一が二人だけになったタイミング見計らって話しかけてきたってわけか」


 私は小さく頷いた。

 そう、私が女の人しか好きになれないってことを知ってるのはこの二人だけ。少なくとも昨日までは、この学校の中では二人だけだ。


「由華さん、いつの間にそんなアグレッシブになったんですか」

「ね、学名オクテヤマトナデシコだよ私。進化したのかな」

「チンチクリンセイヨクバケモノに改名しないと」


 あ、乗っかってきた。なんだろう、今日の灯里の情緒はちょっとよく分かんない。あとチンチクリンは余計だぞバリカタヤンキーガール。


「あの、ち、因みですね由華さん。これは今後この話を進めていくにあたって聞いておかなきゃいけないことだと思うんすけど、その、お、襲ったっていうのは、具体的に、どういう風に」

「そ、それを私に言わすのかい、えっち!」

「いやそれ言いに来たんでしょあんた。さっきの話だけだと向こうのグーパンが正当防衛か過剰防衛か分かんないし、私らだってどっちの味方していいのか決め兼ねるよ」


 くそっ、難しい言葉使いやがってこのバリヤンめ。召し上がる直前にお入れくださいって書いてある液体スープをお湯入れる前にぶちこむ野蛮人のくせに何が正当防衛だ。


「……えーと、こう、椅子ごと先輩の身体を押し倒して、馬乗りになったの。そのまま数秒見つめ合って……なんか、いけそうな気がしたから」

「ガチ性犯罪者の思考じゃん。こわ、距離置こ」

「う、うるさいな。とにかく先輩も満更じゃなさそうな顔して……るように見えたから、その」

「唇を奪いにいった、と」

「いや、もうちょい下」

「下って、あんた、初手で胸揉みにいったの?」

「いや、もうちょい……下」

「もうちょい下って……いや、マジ?」


 灯里が表情を強張らせたままずりっと後ずさる。きぃちゃんはもう石像みたいに硬直してるし。


「ま、待って! 下っていってもそこまでダイレクトに触ったわけじゃないの! モモモモ、腿をこうちょっと、すすーっと。そこでカウンターパンチ食らって、そのまま先輩逃走。はい以上供述終わり!」

「腿って、内外どっち」

「……内」

「内かぁ」


 灯里が顔を引きつらせながら呟き、それきり場は沈黙した。十数秒の静寂ののち、樹上のヒヨドリがけたたましい鳴き声と共に飛び去る。


 ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━


「どうこれ裁判になったら私勝てそう?」

「勝てる要素あった?」

「俺はどんな時でも由華さんの味方っすけど、その前に倫理道徳を持った人間なんすよ」


 うーん、四面楚歌。


「あのね、灯里、きぃちゃん。私十六歳でこんな業を背負って生きていくくらいなら死を選ぶ。だからさ、遺書を一緒に書いて欲しいんだ」


「……由華さん、テンパってるのは分かりますけどギャグが雑すぎです」

「今のがシャバ生活最後の軽口になるかもしれないけど、それでいいの? いいなら書くけど」

「やだ」


 私は今のところ偉人じゃないけど、偉人になることについてはそんなにやぶさかではない。野口英世と樋口一葉に挟まれて三千円札になる予定なのに、そんな英傑・蓮本由華の伝記のラストページに刻まれる言葉が二秒で思いついたダジャレだなんて。


「ねえほんと冗談はさておき私これからどうしたらいいと思う?」

「由華さんはどうしたいんすか。そこまでやるってことは七崎先輩のことかなり好きってことでしょう。やっぱり付き合いたいみたいな感情あるんすか」


 きぃちゃんの問いかけ。うん、同じこと、昨日寝る前にベッドの中でずっと考えてた。

 考えてたんだけど。


「……困ったことにそうでもないんだよ。確かにひと目見た時から美人だなあとは思ってたけど、でも私、外見だけで好きになるほど薄っぺらい女じゃないもん。出来ることなら先輩にはちゃんと謝りたいけど、それ以上どうこうしたいとかはないよ」

「でもムラっと来たら襲っちゃうんでしょ。ぺらっぺらじゃん」

「もぉー! 灯里嫌い!」

「あはは、ごめんごめん。でも、由華がそういうスタンスなら詫びなんて入れる必要もないと思うけどね。向こうだってグーパン入れてんだから普通それで手打ちだよ。学年違うんだししれっとしてりゃその内お互い気にならなくなるって」

「そうかなあ。そうだといいんだけど」

「由華は細かいこと気にしすぎなんだよ。ほら、あんたも昼飯食べないと。もう昼休み半分くらいしか残ってないんだから」

「……うん。そだね」


 私はトートバッグからさっき購買で買った昼食を取り出す。


 くるみパン。


 私はくるみパンのくるみを最初に一個ずつちぎって食べて、くるみ風味パンにグレードダウンさせてから食べるのが好き。いつもは教室で他の友達と一緒だからそういうことはしないけど、今日は灯里ときぃちゃんの前だからそういうことをする。


「にしても、一時いっときの気の迷いとはいえ由華をケダモノに変えたんだから、その七崎あやめってのは余程いい女なんだね」


 灯里のちょっとひがみっぽい呟きに、きぃちゃんが大きく頷く。


「二年どころかこの高校全体で見ても屈指の美人だよあれは。灯里も七崎先輩の顔見たら絶対思い出すって」

「ふーん。輝一から見てもそうなんだ」

「屈指っつうか、ミスコンでもやったらまず一位だろうな」

「ふーん」


 きぃちゃんはよくこれで灯里の彼氏務まってるなあと思うことがちょいちょいある。彼は「ふーん」の声色が嫉妬に満ち満ちていることに気づいていないのだ。

 くわばらくわばら。


「黒髪が艶々しててさ、キューティクルが天使の輪っかみたいで」

「ふーん。長さは肩にかかるくらい?」

「ああ、だいたいそんくらい」

「スカートの丈長い?」

「そりゃ生徒会の役員だからな、ちゃんと校則通り膝頭が隠れる長さにしてたと思うよ」

「私より背高いなアレ。170くらいあるわ」

「あったかもな。灯里165センチだっけ?」

「吊り目だね。私ほどじゃないけど」

「ん-、まあ確かに灯里ほどじゃないけどちょっとひと目キツい感じの顔つきではあるな……あ」


 なんだろう、二人の会話がなんかおかしい。私は一度ちぎりだしたら全部ちぎらないと気が済まないので、それどころじゃないんだけど。


「──思い出したよ。あれが七崎あやめか」


 そうそう、あれよあれ。

 あれ。


 ──アレ?


 はっと顔を上げて灯里を見遣ると、彼女は無言で顎をしゃくり、私に背後を振り返るよう促した。

 嫌な予感に恐る恐る振り返る。

 案の定。視線の先に奴はいた。


「な、な、な、な」


 七崎あやめは、私と目が合うのをしっかり確認してから、鷹揚おうような所作でちょいちょいと手招きをした。


「ひぇっ」




 くるみの粒が手からぽろりと落ちて、コンクリートの上に転がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る