第12話 煽りの悪魔
「げ、元気出そうよ、ね? 由華はよくやったと思うよ。私藤本タツキは知ってたけど、フジナミタツミは知らなかった。動画見たけど、本当にあんな特徴的な歌い方するんだね」
あれから数日。特筆すべき何が起きるでもなく淡々と日常は進み、金曜の昼休みを迎えていた。
そう。昨日木曜日の放課後、隔週に一度開かれる生徒会役員の定例会も、一部始終徹頭徹尾平穏無事に滞りなく進んだのだ。
生徒会長の挨拶に始まり、続いて副会長が今月の活動目標を述べる。確か「季節の変わり目なので風邪引かぬよう衛生管理の徹底を~」みたいなことだったと思う。その後各委員会の活動報告がお題目を唱えるような単調さで続き、最後に今後の予定確認があって終了。
毎週やってりゃ無理からぬ話ではあるんだけど、率直に言って建設的な会合ではなかった。初めて参加した私でさえ平板な空気を感じたんだから、毎週出席している役員の方々の心中は推して知るべしってやつだろう。
うん、イレギュラーなことなんて何もなかった。
生徒会長が案外うっかり屋で、閉会寸前ってところで思い出したように「そういえば欠員が出ていた一年の美化委員に新顔が入ったんだった」なんて言い出すまでは。
何もなかったんだ。
「あやめ先輩。私がお嫁に行けなくなったら貰ってください」
「ええ……困ったな」
「あれ先輩の責任だから。先輩が『普通に』なんて言うから」
「だから普通に自己紹介してくれればよかったのに……」
事件現場は奇しくも私があやめ先輩に拉致監禁された時と同じ生徒会室、同じように長方形に並べられた机と椅子。違うのはそこに生徒会役員の面々が折り目正しく着座なさっていたこと。私こと蓮本由華はサブ美化委員としてその末席を汚し申し奉っていた。かしこみかしこみ。
そりゃ自己紹介なんて初めてなわけじゃないけど、部活動で上下関係の荒波に揉まれた経験もない私にとって、半数以上が上級生という環境は胸中に未曾有の緊張感をもたらすのに充分だった。
端的に言えば、ガッチガチだった。
私の隣に座っていたあやめ先輩が呪文のように「普通に、普通にね」と繰り返していたのはそんな可愛い後輩の緊張を和らげんとの一心から出た行動であり、そこに悪意などあろうはずもない。
だからこれは完全なる八つ当たりだ。
「一回だけ言うのは単なるアドバイスですけど、あんなに何度も普通に普通に言われたらそれはもうフリなんです。テンパった時の私はそう解釈しちゃうんです」
「だから由華に『それフリですか』って聞かれた時『フリじゃないよ、断じてフリじゃないよ』って返したじゃない」
「それがまたフリなんです」
「うーん難しいね、私反省しなきゃ。でも、どっちかっていったら一介の高校生のくせにお笑い芸人気取りでフリだのフリじゃないだの頭の中で手前勝手に人の善意を曲解して好き放題スベリ散らかした挙句当てつけにわめき散らしてる由華の方が反省すべきだと思うけど」
「ノーモーションで致死量の毒吐くのやめてください」
私、あんなにメガネ率の高い空間であんなに派手にスベったの初めてで。
会が終わった後に生徒会長(裸眼)に軽く肩を叩かれながら慰めの言葉をかけられた時は、甲子園でサヨナラエラーした高校球児の気分がほんのちょっとだけ分かった気がした。黒板の溝に溜まったチョークの粉集めて持って帰ろうかと思った。
「私ね、昨日の由華の言葉を一言一句余さず胸に刻みつけて、一生忘れないって誓ったんだ。辛い時でもあれを思い出せば前を向いて歩いていける気がするの」
「いい話っぽく言ってますけどクズみたいな思考ですからねそれ」
「年末に生徒会で忘年会やるから二次会のカラオケで一緒に歌おうね。マッチョドラゴン」
段々分かってきた。煽りの悪魔だ、この人。
「もう、いつまでもクダ巻いてないで仕事しましょう。放課後には出来ない仕事だからわざわざ昼休みに出張ってるんでしょ」
「あ、そうそう。ちゃちゃっと終わらせて、一緒にお昼ご飯食べよう」
眼前には見渡す限り車輪、車輪、車輪。物言わぬ鋼のファランクスと相対した私は、溜め息ひとつ吐いてバインダーを開いた。
少子化なんのその、うちの高校のマンモスぶりったらない。何台あるんだろこれ。
「えーと、駐輪スペースからはみ出している自転車の有無の確認と、駐輪許可ステッカーが所定の箇所に貼られていることの確認。うへえめんどくさい」
「だいじょぶだいじょぶ、こんなのざっと見てチェック入れて終わりだから。ステッカー貼ってない自転車なんて滅多にないもの。二人でやればすぐだよ」
「分かりました。じゃあ私は向こうの端から見て回るので、あやめ先輩こっち側からお願いします」
「?」
「いや『?』じゃなくて。いいですか、先輩にご足労いただくわけにはいかないんで、私があっちからやります。ワタシアッチ、ツマリセンパイコッチ、どぅーゆーあんだすたんでございますか」
「?????」
「こわいこわいこわい顔近づけるのやめてください。な、何がご不満なんですか。別に私一人でやれってんならやりますけど」
「そうじゃなくて、なんで別々に見て回る必要があるの? 一緒に見ればいいじゃない」
いや、効率。ちゃっちゃと終わらせろって言ったのあんたでしょ。
なんて宣った日にはハテナが幾つあっても足りないような顔してきそうだから、やめといた。鼻を鳴らして無言の勝利宣言をかましたあやめ先輩は、当たり前のように腕を組んでくる。
「え、や、いきなりなんですか先輩」
「このくらい普通でしょ」
腕組むのが普通なわけない……んだけど、私はそのサイズゆえか、人形か何かを扱うような乱雑さをもって愛玩されることはままある。だから腕組んで引きずられるように移動するなんてのは別にどうってことないんだけど。
私は。
「せ、先輩は恥ずかしくないんですか。人目少ないですけど、ゼロってわけでもないのに」
「恥ずかしくないわけじゃないけど、由華をくっつけときたいって思いの方が強い」
やっぱりこの人、よく分からない。私に好意持ってくれてるのは確かなんだろうけど、距離感が掴めない。もっと私の方からも積極的に近づいてみていいんだろうか。
いいのかな。
いいんだよね。
ちらりと横目で見たら、こっちなんかちっとも見てなかった。物理的な距離と心理的な距離の隔たりに、私の冒険心が疼く。
「……フリですか、これも」
聞こえないように呟いてから、ちょっとだけ。ほんのちょっとだけ寄りかかってみた。
季節が初冬に移り変わっても、小春日和の陽光はまだ柔らかに降り注いでいる。
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