第14話 トーマスもパーシーもゴードンも

「でも先輩、違反者に物申すのって怖くないですか」


 ツナサンドを平らげた私が尋ねると、あやめ先輩は答えを寄越す代わりに指先で自分の唇の端辺りをちょんちょんと軽く叩いてみせた。ジェスチャーの意図に気づいた私が制服の袖で口元を拭おうとしたのを一瞥して見咎めると、大儀そうにウェットティッシュを取り出す。


「由華って小学生男子みたいなところあるよね」

「見た目のこと言ってます?」

「だけだったらよかったんだけど」


 苦笑と共に手渡されるかと思ったティッシュは、そのまま私の顔の近くまで伸びてきた。さすがにそこまで小学生ではないので、さっと上体を逸らして身を躱しつつティッシュを奪い取る。

 他愛のない戯れだけど、先輩は私が思うように従わなかったことに対してどこか不満げな、それでいて恍惚としたようななんともいえない複雑な顔をした。


「逃げるの上手いなあ」 


 その表情を張り付けたまま、砂粒程の抑揚も無く呟く。

 高波に呑まれるような大いなる愛情を感じる。けど、それはおおよそ人が人に向ける類のものではない。


「私がいつも言いなりだと思わないことですね」


 茶化したトーンにも、あやめ先輩の表情筋は動かない。結果論だけど、素直にされるがままだったらこの表情を見ることはなかったと思うと心にざわつきのようなものが巣食う。それを後悔だと断定出来ればどれほど楽だったろう。


「由華って普通に歩いててもちょいちょいつまづくくらいどんくさいのに」

「私、ロッキー観て以来ダッキングとスウェーの練習欠かしたことないんで」

「ロッキーってあんまり避けるイメージないけどなあ」

「反面教師です」

「難しい言葉知ってるんだね」

「あやめ先輩がロッキー履修してたことの方が意外ですけど」

「初代だけね」


 空とぼけるように言い、弁当箱の中、最後に残ったきんぴらをひょいと口に運ぶ。

 口元をごしごし拭く私を横目で見る彼女は、優しそうなあやめ先輩に戻っていた。

 

「ねえ先輩質問に答えてください。私小学生メンタルなんで不良高校生に物申すの怖いんです」

「煙草見つけたりしたんなら別だけど、駐輪許可の申請忘れただけのうっかり者の何を怖がることがあるの」

「うっかり者がべらぼうに極悪人な可能性もあるじゃないですか」

「うちの高校わりと治安いいし、そもそもいかつい不良が自転車通学してるイメージなくない?」

「不良はチャリ通しないってそれはさすがに偏見が過ぎるというか……、あ、でも確かに私が知ってる一番身近な不良は家遠いのに徒歩通学してますね」


 あいつの家からこの高校まで地図アプリで距離計測したら三キロ近くあった。私は自宅から一キロちょっとの道のりでもう億劫なのに、本当によくやってると思う。

 いや、よくやってるっていうのは朝のホームルームにちゃんと出席してる人間に対してかけるべき言葉か。


 あいつ。


「それって、白瀬さんのこと?」

「はい?」

「いやあの、彼女が不良って言ってるんじゃなくて」


 言ってるんだよなそれ。

 私は盗んだバイクで校舎の窓ガラス突き破ったりする気はないけど、こういう上辺だけ繕うような物言いをする大人にはなりたくない。


「まあ、そうですけど。白瀬灯里のことですけど」

「由華って私の前だと白瀬さんの話をしてくれないよね。なんで?」


 思ってもみないところからパンチが飛んできた。その体勢からショートアッパー打てるなんて聞いてない。


「他の子の話はするじゃない。一緒に帰ってるのたまに見かけてたし、うちの学年でもちょっと有名だったんだよ君達の仲の良さ。なんであんなタイプ真逆なのがつるんでるんだろって」

「ただの悪友です。中学からの付き合いなんで幼馴染って程でもないし」

「いいなあ悪友。私こっちに越してきたの高校からだから、あんまり深い仲の友達いないの。わーってバカやれるような友達欲しいんだよね」

「私と灯里、わーってバカやってるように見えます?」

「うん!」


 満面の笑み。満点の失礼。

 ま、実際やってるから何も言えないけど。


「紹介してよ。由華のこともっと知りたいの。それには由華の一番の友達のことも知らなきゃでしょ?」

「ろくなもんじゃないですよあんなの。灯里とあやめ先輩じゃ絶対話合わないし、思い出話にもあやめ先輩に語れるような品のいいエピソードひとつもないですし」


 少し唇を尖らせながらぶーたれると、あやめ先輩も負けじと眉間に皺を寄せた。


「由華ってさ、めちゃくちゃ好きでしょ白瀬さんのこと」

「……めちゃくちゃ好きですよ、そりゃ」


 伏し目がちになったのは、別段何の後ろめたさがあったからでもない。単純にこんなこと宣うのが気恥ずかしいだけだ。

 そんなことを考えている私の頬を、あやめ先輩の指が軽くつつく。


「妬ける」

「妬けるとか、そんなんじゃ」

「勘違いだったらごめんね。由華って白瀬さんのことばっかり考えてない?」

「……それは、大いに勘違いです。四六時中灯里のこと考えたりしませんよ。今だって頭の中あやめ先輩でいっぱいです。油断すると何言い出すか分かんないから」


 これは本当。あやめ先輩は時たま妙に鋭いけど、この勘繰りは的外れもいいところだ。

 さっき灯里のことを思い出したのは、単に不良ってキーワードから想起されるのが彼女だったってだけで。


「うーん確かに私と一緒にいる時はそんな感じしないんだけど。由華さ、最近夢とか見た?」

「え、なんですかいきなり話飛びましたけど。夢……見てたとしても覚えてないタイプなんで分かんないなあ。小さい頃に見て、未だにトラウマになってるレベルの悪夢は覚えてますけど」

「そう。じゃあいいや、気にしないで」

「……はあ。じゃ、気にしませんけど」


 なんだったんだろう、今の質問。


「ちなみにさ、その悪夢ってどんなの?」

「聞きます? 先輩怖がりですよね、大丈夫ですか?」

「覚悟は出来てる」

「……幼稚園くらいの頃きかんしゃトーマスが好きだったんですけど、夢の中でトーマスの世界に入り込んだんです。そこまではよかったんですけど、よく見たらキャラクターの顔が違うんですよね」

「うわあ、ありがちなやつだ」

「トーマスもパーシーもゴードンも、みんな同じ顔になってたんです」

「みんなって、ヘリコプターのやつも?」

「ヘリコプターのやつも、貨物車のやつも、全員です」

「トップハムハットきょ」

「全員です」


 食い気味に圧をかけられ、さすがのあやめ先輩も思わず息を吞む。


「全員の顔が、何になってたと思います?」

「……のっぺらぼう、とか」

「いやあきょうびのっぺらぼう程度じゃ驚きませんよ」

「じゃ、じゃあ、オチョナンさん? ペストマスク? バットマンのジョーカー?」

「そいつらが霞むくらいのホラーです」

「わ、分かんないよもう! 誰だったの?」


 夢の中の私はトーマス達に逢えたのが嬉しくて、後ろ姿の彼等を大声で呼び止めた。本当は機関車だから振り返れるはずないんだけど、夢の世界にそんな常識は通用しない。ぬるりと緩慢な動きでこちらに向き直った顔は、皆、一様に──。



「草野仁だったんです」

「……こわっ」

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