第15話 劇場版あいもんVSくまミョン

 放課後の教室。まばらになっていくクラスメイトの影。

 窓の向こうから差し込む陽光が、次第に白から暖色の彩りを帯びてくる。


「由華、今日委員会ないの?」

「うん。昼休みに仕事あったから、その代わり放課後はないらしいよ」

「そっか。じゃ白瀬さん待ってんの? 二組もうもぬけの殻だけど」

「ううん、そうじゃなくて」

「え、もしかして彼氏?」

「いや、そうでもなくて」

「……まいいや。あたし部活あっから、お先! 暗くなる前に帰りなよ!」

「うん、ばいばい」


 ばたばた忙しなく廊下を駆けていくクラスメイトのハナちゃんを見送り、私はまた碇ゲンドウスタイルで座ったまま沈思する体勢に戻った。

 机の上にはスマートホン。フォンではなくホン、断じてホン。なぜなら略した時には大概スマホと表記するのに、伸ばした時にホをフォにする正当な理由が思い浮かばないから。

 あ、アイフォンはアイフォンだけどね。あいみょんをあいもんって呼ばないし、くまモンをくまミョンって呼ばないでしょ。


「……だーれだ」


 超絶低予算映画「劇場版あいもんVSくまミョン」の構想に思いを巡らせていた私の耳に、ぴとっと冷たい感触が襲いかかる。


「ひっ! ダークライ!」

「正解!」


 正解なわけない。そのまま抱きつこうとしてきたダークライの腕をはねのけ、私は席から立ち上がった。


「あやめ先輩、お願いだから普通に声かけてください。あと、だーれだやる時に耳塞がれたら肝心のだーれだが聞こえないですよ」

「普通にやったんじゃ面白みがないじゃない。耳塞ぐか首絞めるかで迷ったんだけど」

「その二択間違わなかったことだけは褒めてあげます……で、何のご用ですか」


 五限終わりにあやめ先輩から届いた「放課後空いてる?」のLINEメッセージに、私はジョイマン池谷の「なんだこいつ~」のスタンプを返した。我ながら意味不明だし甚だ失礼だとは思ったけど、あやめ先輩は肯定と受け取ったらしく「教室で待ってて」のメッセージの後に何やら可愛らしいアニメキャラのスタンプを三つ程寄越してきた。

 なんだこいつ。


「今日は、放課後、委員会の仕事が、ありません!」

「知ってます」

「ななななー、ななななー、委員会ないんかい」

「恥ずかしいの分かりますけど耳元で囁くのやめてください」


 軽く突き飛ばされたあやめ先輩は、わざとらしく後退しながら教室の後ろの壁に寄りかかる。


「なので、可愛い後輩ちゃんを放課後デートにお誘いしようかと思いまして」


 その爆弾ははっきり、持ち前のよく通る声で落とされた。もとより教室に残っていた数人は七崎あやめが一年A組の教室に現れたってだけで既にこちらに耳をそばだてているのだから、まあ丸聞こえもいいとこ。

 まあ、だーれだやったり耳元で何か囁いたりしてるのも見られたんだから、今更この程度の発言でびっくりもされないだろうけど。女子が友達同士で連れ立ってどっか行ったりすることを「デート」と表現することくらい、きょうび珍しくもないし。


「ま、いいですけど」


 だからこっちも平然と答える。途端に教室の一角が「おお」とどよめいた。なんだあいつら、やる気のないフラッシュモブか。


「どこ行くんですか」

「どこ行く?」

「決めてないんですか?」


 溜め息をひとつ落として、コートを羽織ってマフラーを巻く。

 私の後ろ髪はまた少し伸びて、首の後ろで少しマフラーに巻き込まれるようになっていた。それをふぁさってやる所作に私はちょっと憧れなんか抱いていたりもしたんだけど、手を頭の後ろに持っていこうとする寸前、あやめ先輩が先んじて私の髪をバーバリーチェックからかき出す。


「由華って髪伸びるの早いよね。ちょっと大人っぽくなった」

「……そう思うんなら、子供扱いやめてください」

「マフラー、結び目よれてるよ。直したげる」



 ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ 



「とりあえず由華が遅くなっちゃまずいので、こっち方面に歩こう」


 校門を出たところで、あやめ先輩は私の家の方角を指さす。


「マジでノープランじゃないですか」

「こっち方面なら何かしらお店なり公園なりあるじゃない。私の家の方、本当に何もないもの」

「まあ、先輩のお好きな所で構いませんけど」

「じゃ、由華んは?」


 そう言って、やや強引に腕と腕を絡ませてくる。


「寄りかかんないでください、おーもーいーかーらー」

「駄目?」

「……今日はだめです。あやめ先輩をお招きするのが嫌なんじゃなくて、片付いてないから」

「ちぇっ」


 ちぇっ、なんて言いつつ、腕をより深く絡ませてくる。ちょっとこの甘え方は露骨過ぎるので、空いてる左手でげんこつ。


「いたぁ」

「少しは人目気にしてください。公衆の面前で過剰なスキンシップ禁止」

「過剰な方がいいんだよ。控えめに手とか繋いでたら、そっちの方がっぽいじゃない」

「……本当じゃないですもんね、私達」

「あ、拗ねた。可愛い」

「…………」


 こんなのばっかり。平時のあやめ先輩が見せる私への好意は、ふわふわした綿飴みたいに軽くて、実体があるのかないのか分からない。甘ったるく絡んでくるくせに、こっちから掴みにいくと躱される。

 多分、この人に出会う前の私が恋人に求めてたのはこういういちゃいちゃしたやり取りだった。だから、本当だ本当じゃないだが揺蕩うこの関係が居心地悪いわけじゃない。拗ねるのだって、拗ねてみせただけだし。


「由華が拗ねた時に頬ぷくって膨らますの、私凄く好き」


 もどかしいのは、時折あやめ先輩が見せる私への歪んだ愛情を味わってしまっているからであって。

 クスリと同じで、身体が慣れてしまったら段々量を増やしていかなければならない。もっと背筋が痺れるような強い刺激がないと、私は、もう。


「ねえ機嫌直してよ。どっかでお茶しよ、何でも好きな物頼んでいいから。ちょっと待ってね、この辺の喫茶店調べる」


 おもむろにあやめ先輩がスマホを取り出す。瞬間、私の胸に嫌な予感。


「あ、マックでいいですよ」

「マックは好きだけど、曲がりなりにも初デートだよこれ? 洒落てなくてもいいから、騒がしくないとこ行こうよ」

「いやその、私偏執的なマックフリークなんでした。グラコロ食べないと死ぬ病に罹ってるんでした」

「グラコロ来週からだよ。何、なんか焦ってるけどどうしたの」

「いやその、この辺の喫茶店にあまりいい思い出がなくて」

「……? あ、良さげな所発見。えっと『木目調の内装と落ち着いた雰囲気、マスターの人柄も最高』だって。すぐそこの路地入った先だよ」

「あ、やっぱり。そこはだめです」

「なんで?」

「いやあの、なんでって言われると、なんででしょう」


 駄目だ。こうなるともう駄目。私が嫌がると、あやめ先輩は目を爛々と輝かせる例のモードに入る。

 予防接種会場に引きずられていく幼稚園児とその親みたいな恰好で、私達は「玄鶴茶房げんかくさぼう」の看板が掲げられた建物の前に立った。


「めちゃくちゃ雰囲気いいじゃない。何が嫌なの」

「……ここヤンキーの溜まり場なんです。この時間はいます、間違いなく」

「いないよ。ていうかこの時間帯だからかな、お客さん誰もいないよ」


 あやめ先輩が窓から中を覗き込みながら言う。


「いるんです」

「……まいいや。入ろう」


 私を引きずりながら、先輩は玄鶴茶房のドアを開ける。


 その刹那、不意に。

 駐輪場の隅、見覚えのある濃紺のフレームの自転車が一瞬だけ私の視界に入った。

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