第16話 喰らえ、ホトトギス滅殺脳天チョップ!
「いらっしゃいませ。二名様ですね、お好きな席にどうぞ」
白のボタンダウンシャツにチャコールグレーのサロンエプロンという出で立ちの女性店員が、申し訳程度の愛想を込めた挨拶と共に私達を出迎える。
「……あ」
あやめ先輩が呆けたような声を上げ、その店員に何事か話しかけようと少し腕を伸ばしかけた。が、店員はそれに気づくことなく後方に向き直り、キッチンの方へ引っ込んでいく。
あやめ先輩がゆっくり私へと振り返った。
「あの店員さん」
「……だから言ったじゃないですか。固定シンボルのヤンキー湧くんですよここ」
私達がおろおろしながらも一番奥のテーブル席に腰を下ろすと、程無く
『大将、やってる?』
なんて古典をやった日にはこの店員は恐らくグーで来る。触らぬ髪に、なんて。
「ご注文お決まりになりましたらお申しつけください」
テーブルの中央辺りに視線の焦点を取ったアルカイックなスマイルと共に三十度の礼。
そのまままた店の奥に下がろうとしたその背中を、今度こそあやめ先輩の声が引っ掴む。
「あ、あの」
呼びかけて、店員が振り向いたのを確認してから、あやめ先輩は訴えかけるような目線を私に投げる。
知ったこっちゃないとばかりに私が目を伏せると、先輩は少し困り眉になりながらも、胸の前で半開きにしていた手をぎゅっと掻き抱くようにして自らを奮い立たせた。
「白瀬……灯里さん、だよね」
「はい、白瀬です」
「ほら、私のこと覚えてる? この前体育館横で……あの時はろくに話も出来なかったけど」
「いや勿論覚えてますけど、あの」
僅かに首を傾げた灯里は、一瞬だけ訝るように私の方を睨む。
「私、二人のお邪魔では」
灯里はこういう時人並み程度には気が回る。至らなかったのは、人並み以上の好奇心を持った大型犬同伴で友人のバイト先に
「邪魔だなんてとんでもないよ、ねえ」
飼い主の気持ちを知ってか知らずか、大型犬は血統書付きの双眸を輝かせてこっちを見遣る。私、そっぽ向いてから小さくあっかんべ。
「そのちっこいのがあからさまに気まずそうな顔してるんで、空気読んで他人のフリしとこうかと」
「そんなつれないこと言わないでよ。こっちこそ仕事の邪魔する気はないんだけど、よければ少しだけでもお話したいなって」
突如謎のコミュ力を渙発させ始めたあやめ先輩の誘いに、灯里はやや周囲を気にするようなそぶりを見せてからキッチンの方に声を投げた。
「マスター、知り合い来たわ。どうせ他の客来ないんだからちょっと駄弁ってていい? いいでしょ、いいよね、よっしゃサンキュ」
こちら……というより、あやめ先輩が友好的な態度を取ったと見るやいなや、途端に灯里の口調がフランクになる。
マスターは丁度バックヤードのような場所に引っ込んでいたらしい。ミルクか何かを手にした髭面のひっつめ髪中年男性がひょこっと顔を出した。
玄鶴茶房店主、
「いいけど……あら、由華ちゃんじゃないご無沙汰。そちら、お友達?」
「ちっすマスター、久し振り。えっとね、こっちの人が……」
「例の七崎あやめサンだよ」
「あ、この子が例の」
何が「例の」だ。バイト先の人間に変なこと吹き込んでないだろうなこいつ。
「灯里が何言ったか知らないけど、あやめ先輩と私はただの先輩と後輩の関係だからね」
「あら、密室で組んずほぐれつした仲だって聞いたけど」
ガッツリ吹き込んでるやんけこいつ。一概に否定出来ないのも困るし。
「愛を誓い合った仲なんだよね」
にやにやしながら灯里が言う。
「誓い合ってないです。何度も言いますけどただの先輩と後輩」
「……ただの先輩と後輩が密室で組んでほぐれたの? 最近の高校生は
マスター、それはそう。あんたが正しい。弁明の余地もない。
「ま、ともかくとびっきり甘いミルクラテをサービスするわ。その代わりカップルストローで飲むこと」
マスターそれは違う。そーれは不正解だ。
「二人ともさぁ、私をイジるのはいいけどあやめ先輩困らせちゃ……」
「ミルクラテ、頂きます。ありがとうございます」
あやめ先輩、少し恥じらいながらも淑やかな笑み。そうか、この人も変なところで変な耐性がある変な人なんだった。
「それとブレンドを頂こうかな。由華は注文決まってる?」
「私いつもの」
「マスター、ブレンドと抹茶ラテぬるめ追いガムシロ、あと私にもブレンドひとつ頂戴」
「灯里ちゃん、あんた仕事中でしょ」
「いーじゃん堅いこと言うなよー。あやめさんの淹れた出涸らしでいいからさ」
言って、灯里は椅子の上に置かれていた私の荷物をソファー席の方へ乱暴に投げ、空いた椅子にどっかりと座る。
「もー、人のカバン投げないで」
「ケツの下で温めといた方がよかったですか信長様」
「うるさい! 喰らえ、ホトトギス滅殺脳天チョップ!」
「いや腕短過ぎて頭まで届いてないから」
「つーか! これが! 限界! あ、やめてそれやめて痛い痛い痛い」
そのまま組んずほぐれつの無制限一本勝負に入ろうとしたところ、はっと何かに気づいた灯里が私のこめかみからアイアンクローを解く。
見ると、対面のあやめ先輩は頬杖をついて、ちょっとうっとりとさえしているような表情でこちらを眺めていた。
「あ、ごめんなさい。こいつあやしてやるために座ったんじゃないんすわ」
「いや、いいの。ほんと、見てて面白いし、仲いいんだなって」
あやめ先輩の言葉は確かに灯里への返答だったんだけど、言い終わり際の刹那、微かに目線が私を捉えたのが分かった。
それは決して咎めるような種類のものではなかったけど、それでもというべきか、だからこそというべきか、私の心が空騒ぎを始める。
なんだろう、私自身がそうであってほしいと心のどこかで思っているのかもしれない。私と灯里が仲良さげにしていることに嫉妬して欲しいと勝手にそういう期待を抱いているのかもしれない。
我ながら、詮無きことだと思う。
あやめ先輩が私に対して嫉妬心を孕むような好意を持ってくれているとして、灯里が嫉妬の対象になることなどない。あやめ先輩と灯里の好意が競合するようなことは万に一つもあり得ないのだ。
そんなこと、私が一番よく分かっているのに。
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