第12話 第十二講 肉料理


「この中で、菜食主義者の人はいるかな?」先生は生徒に向かい、笑いながら問いかけた。

 誰も手を上げないのを見て「仏教の開祖、お釈迦様は菜食主義者じゃなかったのは知っているかな。お釈迦様は、不殺生戒という戒律で生き物を殺しては、いけないと言っている」と、ミネラルウォーターを手に取りゴクゴクと飲むと「矛盾して聞こえるかもしれないが事実だ」と告げた。

「どうして、そんな風になるのですか?」と、普段は発言しない美少女チームの神田桔梗が驚いたように尋ねた。桔梗は鈴奈とは、メール交換したり、トイレ休憩の時によく話をしたりしている。

 僕も、農業公園に遊びに行って以来、メールで情報交換している。茜とも仲良くなったので、荻久保さんから羨ましがられている。

 先生は、桔梗の疑問に答え「そこだよ、神田さん。君も不思議に思っただろう」と、嬉しそうに続けた。

「お釈迦様はね。三種の浄肉と言って、三つのルールを決めている。一つ目が、自分のために生き物を殺しているのを見てはいけない。二つ目が、自分のために生き物を殺そうとしているとか、殺していると聞いてはいけない。三つ目は、どうも自分のために殺しているらしいと疑うのはいけないと戒めている」と、教えてくれた。

「イスラム教で言うハラール食品みたいですね」と、荻久保さんは関心を示した。

「そうだな。お釈迦様の教えは、簡単に言うと……、有難く食物をいただくイメージで食べ、死肉を貪るようなイメージを持ってはいけないという思し召しだね」

「ヒンズー教では牛肉、イスラム教では豚肉を食べてはいけないのは知っています」

「日本でも四つ足の肉として、獣肉食は禁じられていた。弥生時代には牛肉を食べていた日本人が、飛鳥時代以降は『肉食禁止令』が出され、明治維新までは食べられなかった」

「どれくらい昔から、人類は肉食していたのでしょう?」

「牛肉は人類の歴史では、先史時代から食べられている。紀元前二万年前のラスコーの壁画には、牛の祖先にあたるオーロックスの狩猟の様子が描かれている。紀元前八千年頃には家畜化されていたとも考えられている」

「豚肉はどうですか?」荻久保さんは、いつもより熱心に尋ねている。

「豚は、猪を家畜化した動物だよ。養豚の歴史は古く、紀元前六千年のヨルダン渓谷の遺跡から、豚の骨が出土されている。養豚はアフリカ大陸北部から、ユーラシア大陸に広がり、日本では西暦六百年代に養豚されていた。その後、食生活習慣が変化して、養豚は衰退している」

 先生は、上機嫌でジョークを飛ばす展開もあれば、神妙な表情で難しい話をするケースもある。

「人類は二百五十万年前から、狩猟を始め肉食化したと言われている」

「人間って、良い意味でも悪い意味でも、大勢の他の生物に生かされているのですね」と、桔梗は感心したように漏らした。

 僕が読んだ本には――人がステーキ肉を食べている時は、脳内でアラキドン酸が、アナンダマイドに変化し、高揚感を喚起して「幸せだなあ」という感情変化が起きている――と、書かれていた。ある意味で人は罪作りな存在だが、桔梗の感想も……、僕には理解できた。

 先生の講義によると、ステーキ肉を焼く時の注意点は幾つもある。

 一.冷凍肉を使う場合は、冷凍室から冷蔵室に一旦、移して解凍し、さらに冷蔵室から出して常温にする。半日前に冷蔵室に移し、三十分前に冷蔵室から出して常温にする。

 二.キッチンペーパーで、水分を軽く拭きとる。

 三.ステーキ肉の表面に、格子状の切込みを入れる。

 四.肉の全体を叩いて、均等な厚さにする。

 五.塩、胡椒、ガーリックパウダーを焼く直前に、肉の両面に振る。

 六.フライパンにサラダ油を入れて「ジュッ」と音が出るまで温める。

 七.ステーキ肉をフライパンに載せて、両面に強火で焼き色をつける。目安は、二分でレア、三分でミディアム、四分でウェルダン。

 八.火を消して、フライパンに載せたままアルミホイールを被せ、そのまま三分間放置する。

 九.ステーキソースをかけて出来上がり。

 ステーキを焼くときの「ジュッ」という音は、シズルと呼ばれる食欲をそそる音だ。僕が今日食べるのが――どうか、ステーキでありますように――と、祈りたい気分になった。

 次に、ハンバーグの作り方だ。

 一.タマネギをみじん切りにする。

 二.溶き卵を用意する。

 三.パン粉を牛乳に浸す。

 四.ボウルに入れた合い挽き肉を氷水で冷やしながらよく練る。

 五.塩胡椒、ナツメグを入れてさらに練る。

 六.タマネギのみじん切りと、牛乳に浸したパン粉、溶き卵を加えて、満遍なくトロっとなるまで練る。

 七.種に空気が入ると、ひび割れの原因になるので、丁寧に空気を抜き、表面を滑らかにしておく。

 八.フライパンにサラダ油を熱して、中火で三分間焼き色が付くまで焼く。裏返して二分間焼く。

 九.蓋をして六分間、蒸し焼きにする。

 十.ハンバーグにソースをかければ出来上がり。

 焼き肉では、200℃の高温で焼くのがポイントだ。ホットプレートで焼く場合は、肉を置いた直後に150℃に温度が下がるので、安定的に200℃で焼き続けるのは難しい。そこで、ホットプレートの上をゆっくり移動させながら焼くと、上手く加熱できる。上手く焼けている時は「ジュ―」という肉の焼ける音で確認できる。

「焼き肉では、同じ面ばかり焼かないで何度もひっくり返す。目安としては、十秒に一度の頻度が良い」

「私は、焼き肉の時は、片面を重点的に焼くと、思っていました」と、柿崎さんは首を傾げた。

「何故、何度も肉をひっくり返す方が、焼き肉が旨くなるのか、疑問に感じるのは分かる。つまり、片面を重点的に焼くよりも、タンパク質が分解されない分、旨味成分の肉汁の流出がすくなくて済むということだ」と、先生は柿崎さんを見ながら答えた。

 さらに「調理方法とは関係ないが……」と、前置きし「焼き肉で使う箸は、食べる時の箸と別の物を使わないと、食中毒のリスクが高くなる」と注意を促した。

肉料理の最後は、豚肉の生姜焼きだ。

 一.キャベツを千切りにする。

 二.豚肉を一口サイズに切る。

 三.タマネギをスライスする。

 四.豚肉に小麦粉を薄っすらとまぶす。

 五.ボウルにショウガ、醤油、みりん、酒を入れて混ぜておく。

 六.中火で熱したフライパンに胡麻油をひき、タマネギと豚肉を加え、焼き色を付ける。

 七.焼き色が付いたら、混ぜ合わせておいた調味料のタレを入れる。

 八.タレが少なくなるまで炒める。

 九.皿に盛りつけて出来上がり。

 ステーキ、ハンバーグ、焼き肉、豚肉の生姜焼きのうち「どれを料理するか……、挙手による投票で決めよう」と、先生は呼び掛けた。

 僕は、自分が料理したいのはハンバーグで、食べたいのはステーキだった。先生の呼びかけでは、そういう選択肢はなく、今回の料理は自分で作ったものを自分で食べるという趣旨らしい。そうなると、当然ステーキに人気が集中した。

 仕方なく、グループ代表によるじゃんけん決着となった。僕は鈴奈と対決し、初戦敗退となった。当然、同じグループからはブーイングの嵐だ。

 最終決戦でも鈴奈が勝利して、美少女チームがステーキを作り、僕のチームが豚肉の生姜焼きを作る展開になった。

 僕は教室からの帰り道で、先生の講義の冒頭や、桔梗の言葉を思い出し「人間って、考えて見れば……、生物の大切な命を分けてもらって、生きていける」と、しんみりと話した。

「古事記や日本書紀にも、大小の魚をとって暮らす海幸彦と、大小の獣をとって暮らす山幸彦の物語がある。そうやって、先祖代々が命を繋いで来たのよ」と、鈴奈も宥めるように話した。

 駅に着く前に、鈴奈と一緒に寄り道して、サンセンタープラザにあるペットショップで、犬用に豚の乾燥骨を購入した。うちの犬は、何故かこれが好物で咥えさせると、いつまでもしゃぶり続けている。

「何ていう名前の犬なの?」

「ケメコだよ」

 鈴奈が家に来た時は、ケメコは犬小屋の奥に蹲り、姿を見せなかったので、対面していなかった。鈴奈は、犬の名前を聞いて、クスっと笑いながら「メスの犬なのね。名前の由来を聞いて良いかしら?」と、ちょこんと首を傾けて見せた。

「ペットショップの店員から『犬の皮膚を傷つけないように、毛の目が細かいイノシシの毛を使ったブラシで、優しく手入れしてあげてください』と、言われたので忘れないように、僕がケメコと名付けた」僕が、そう話すと鈴奈は楽しそうに、声を上げて笑った。

 ケメコはボストンテリアのメスで、家では、誰よりも僕になついている。

 家に帰ると、姉が犬のケメコと一緒に庭に出ていた。姉が箒でゴミを集めているそばで、ケメコは拾った木切れに齧りつき、上目づかいに掃除の様子を見ていた。ケメコは僕の姿を見つけると、木切れを吐き捨て、勢いよく尻尾を振りながら、飛びついてきた。

 早速、屈みこんでケメコに、豚の骨を与えようとすると、姉は

「何でも順番があるのよ。まず、家に入って手洗いとうがいを済ませて、お母さんに報告しなさい。その後で、骨をあげるの……、分かった? 料理教室でも、それぐらいのマナーは習うでしょ」と、非難した。

――マナーの講義は、まだ習っていない――と、言おうものなら、姉の怒りに火を注ぐのは必至の状況だ。結局、僕が買い求めた豚の骨は、姉がケメコに与えていた。

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