第14話 第十四講 麺料理


 朝から雨が降り続き、傘に当たる雨音がポツポツと一定のリズムを刻んでいた。駅まで向かうアスファルトの路面は、表面を湿らせ磨き上げたような光沢が、艶めかしく見えた。電車に乗ると、隣の新在家駅から乗車した鈴奈が席に座っていた。

 僕が――朝から雨なんて、鬱陶しいよね――と、同意を求めようと声を出すより先に、鈴奈は「雨の日って、ロマンティックね」と、先に話し始めた。

「雨が傘の上に落ちてきて弾ける音や、クルマが水を跳ねて走り去る音を聞くと……、何故か温かいクリームシチューを食べたくなるの。そばに、大好きな人がいると最高ね」

「ふーん、そんなものなのかなあ」

 僕は――自分には、とてもではないが、想像できない美しい光景が鈴奈の頭の中に広がっている――と、思った。

 傘を畳み丸めて傘立てに差すと、鈴奈は「傘立てに差すときの『シュッ』と、擦れる音も好きなの」と、楽しそうに笑った。

 今日の講義は、残念ながら鈴奈の好きなクリームシチューではなく麺料理だ。現実は物語のように、都合よくは展開しない。

       ※

「蕎麦やうどんは、中国伝来だ。蕎麦は、縄文時代に日本に伝わり、原料のソバの実も栽培されている。うどんは、中国で食べられていた餡入り団子の『こんとん』を温かい汁に入れて食べられたのが起源だ。こちらは奈良時代に、日本に伝わっている。今では、調理技術も進歩し、日本料理の定番となっている」と、先生は教えてくれた。

「パスタは、ヨーロッパで独自に開発されたものなのですか?」と、荻久保さんが質問した。

「良い質問だね。パスタは古代ローマ起源説と、中国起源説があるが……、紀元前四世紀頃にはエトルリア人の遺跡から、現在のパスタと同様の物が見つかっている。おそらく、荻久保さんの指摘のように、ヨーロッパで開発された」と答えた。

「日本の伝統料理が、中国の真似だなんてがっかりしました」と僕は先生に向かって、正直な感想を述べた。

「永瀬君、がっかりすることはない。蕎麦もうどんも今では、オリジナルの日本料理だよ」

 僕は、どう反応するか迷い、慌てて「それでは、先生……、ラーメンの起源は何処の国ですか?」と尋ねたため、生徒全員が爆笑した。

「君の愚問は、時として良問のことがあるから不思議だね。実はラーメンの起源がいつなのかは明確には分からない。発祥が、中国なのは間違いない……」先生が、そこまで話したタイミングで、何人かの生徒の笑い声が漏れ聞こえた。

 横を見ると、鈴奈までクスクス笑っている。僕は頬が熱くあり、顔面が紅潮しているのが分かった。

「日本にラーメンが伝わったのは、江戸時代で最初に食べたのが水戸黄門だという説がある。ラーメンでも即席麺は、日清食品の創業者の安藤百福が開発したもので、今では世界中で愛されている。がっかりすることはない」と先生は僕を見ながら、慰めるように告げた。

 先生は、思いついたように「永瀬君に、名誉挽回にチャンスを与えよう。君は即席ラーメンを美味しくするコツは、どこにあると思う?」

「即席ラーメンを作る時も、手抜きしないでキャベツ、モヤシ、ネギ、チャーシュー、煮卵などの具材を使うことだと思います」

「実に素晴らしい、百点満点の答えだね」

 先生によると、日本のラーメンは大きく分類すると、中華系ラーメンと家系ラーメンの二系統に分かれる。中華系ラーメンは、華僑が日本に来て作り始めたもので、スープに豚肉、牛肉、魚などの複数から作られる。家系ラーメンは、横浜市発祥のラーメンで豚骨醤油ベースのラーメンである。

「家系ラーメンは、日本人が作り始めたラーメンだが、中国人観光客に人気がある。他国から入ってきたものをアレンジして、改良版を作るのは日本人のお家芸だ」

 醤油ラーメンの作り方

 一.長ネギを小口切りにする。

 二.沸騰させたお湯に、中華麺を入れて茹でる。

 三.中華麺を茹でたら、笊で掬い水気を切る。

 四.鍋に濃口、淡口醤油、味覇と、ニンニクを入れて沸騰させる。

 五.沸騰したらモヤシ、長ネギの順に入れる。

 六.鍋から器にスープを移し、茹でた中華麺を入れる。

 七.焼き豚、メンマ、海苔を載せて完成。

 次は、うどんだ。

「日本の三大うどんが何か知っているかな?」先生が質問したので、僕はすぐに手を上げて

「讃岐うどんです」と、答えた。

 生徒の笑い声が、僕の耳にも届いたものの、何を笑われているのはピンと来なかった。

「永瀬君の答えも正解の一つだ。三大うどんだから、あと二つある」僕が当惑していると

「もう一つが、秋田県の稲庭うどんなのは分かります」と、鈴奈が助け舟を出してくれた。

「二つ答えが出たな。わしの考えでは、最後の一つは名古屋名物のきしめんだ」

 僕は、讃岐うどんときしめんは知っていたが、稲庭うどんを知らなかった。

「先生」と、野島さんが大きな声で、注目を集めると「長崎県の『五島うどん』や、群馬県の『水沢うどん』、富山県の『氷見うどん』を候補にしても良いはずです」と、厳しい口調で指摘した。

「野島さんの意見も正しいと思う。だが、わしの基準では、讃岐うどん、稲庭うどん、きしめんを『三大うどん』と呼んで良いと判断した。野島さんの指摘する三つを加えて『六大うどん』と表現しても良いくらいだ」

「……」野島さんは、首を傾げると先生の様子を見ていた。

「讃岐うどんは、弘法大師空海が遣唐使船で、唐からうどんに適した小麦粉と製麺技術を持ち帰り広めたのが起源と言われている。コシが強く、のど越しの良い太麺で、食感に優れ、甘味とコクのある味が魅力のうどんだ」

「稲庭うどんはね……」と、説明しかけると、野島さんが「先生の話は、長くなりがちです。六大うどんの説明は無用だと思います」と、批判した。

「じゃあね。あと二つだ。稲庭うどんは江戸時代の寛文五年に、秋田藩の藩主佐竹公の用命を受けて作られた門外不出の逸品だった。明治時代には皇室の上納品になり、庶民が口にすることは長い間できなかった。歯触りとツルンとした食感が特徴で、手延べ製法の細麺だ」

 僕は、他の二つのうどんよりも、きしめんが何故、平べったいのか興味があった。

「きしめんが何故、あんな形か興味があるだろ?」先生の問いかけに、僕は図星を突かれて、「はっ」とした。

「きしめんの起源は、正確には分からない。何故、あんなに平たいのかは、倹約家の多い、尾張や三河の人々が、早く炊いて燃料を節約する目的で、ああいう形状にしたという説が有力だ。きしめんは、柔らかくコシは弱いものの、弾力性がありもっちりとした食感に特徴がある」

 三大うどんの説明の後で、先生は「今日は、定番のきつねうどんを作ろう」と、手順を話し始めた。

 一.油揚げを茹でて、余計な油を抜く。

 二.油揚げの水気を絞り、半分に切る。

 三.水、砂糖、醤油、みりん大匙一杯に、油揚げを入れて落し蓋をして中火で熱する。

 四.沸騰したら弱火にして、味が染み込むまで十五分間煮込む。

 五.煮立ったら、片面二分ずつ煮る。

 六.別の鍋に、お湯、醤油、味醂、和風だしを入れて中火で熱し、沸騰したところに、うどんを加えて五分間加熱する。

 七.器にうどん、だし、油揚げを入れる。

 八.ネギ、揚げ玉、かまぼこをトッピングし、七味唐辛子をかけて出来上がり。

「江戸時代には、日本に外食文化が定着していて、握り寿司や鰻、天ぷらなどの料理が屋台で食べられていた。屋台の中には『夜鷹そば』と呼ばれる夜遅くから明け方まで営業する蕎麦屋もあった。日本では昔から食生活が充実していた」

「先生、さっきは、三大うどんを教えてくれたのですが……、同様に、三大蕎麦というのは、あるのですか?」

「ああ、あるよ。今言おうと思っていた」先生は、僕の質問に即座に答えた。

「三大蕎麦は、長野県の戸隠蕎麦、島根県の出雲蕎麦、岩手県のわんこ蕎麦だ。どこが違うと思う?」

「わんこ蕎麦は、他の蕎麦と違い、小さなお椀に入れて出されていて、十杯で一人前くらい。早食い競争で、よく出てくる蕎麦ですね」

「よく知っているね。本当は、わんこ蕎麦もゆっくりと食べる料理だが、早食いスタイルが定着しているね」

 僕は先生に褒められたタイミングで、美少女チームを見たところ、鈴奈、桔梗、茜の三人はそろってこちらを見て微笑んでいた。

 先生は、野島さんの顔色を盗み見るように確かめながら、三大蕎麦の話を続けた。

「戸隠蕎麦は、そば殻だけを取り除いて挽いた『挽きぐるみ』という、そば粉を使い、麺棒一本で延ばして作っているので、麺にコシがあり、喉越しが良い。出雲蕎麦の特徴は、蕎麦の実を皮ごと石臼で挽いた蕎麦粉を使う点にある。蕎麦の香りと味わいを楽しめる」

 先生は「蕎麦の香りが楽しめる」と、理由付けてざるそばの説明を始めた。

 一.鍋に水を入れて沸騰させ、蕎麦を入れる。

 二.箸で蕎麦同士がくっつかないように混ぜながら、三十五秒間茹でる。

 三.茹で上がったら笊に移して、水をかけて冷やす。

 四.水気を切り、氷で冷やす。

 五.めんつゆを器に注ぎ、刻みネギ、刻み海苔、練わさびをつけて食べる。

 ざるそばの調理と説明を終えると、次はソース焼きそばだ。

「焼きそばは、終戦直後から作られ始めている料理だ。焼け跡の闇市で売られたのが最初という説がある。今では、ご当地焼きそばを数えると、数百種類ある定番料理になっている」

 ソース焼きそばは……。

 一.キャベツをざく切りにする。

 二.タマネギを1cm幅のくし切りにする。

 三.ニンジンを短冊切りにする。

 四.シメジの石づきを取り、手でほぐす。

 五.豚バラ肉を3cm幅に切る。

 六.中華麺を水洗いし油分を落とす。

 七.フライパンにサラダ油を熱し、豚バラ肉を中火で炒める。

 八.豚バラ肉に火が通ったら、キャベツ、タマネギ、ニンジン、シメジに、モヤシを加えて、塩をふたつまみかけ、中火で炒める。

 九.野菜がしんなりしたら一旦、すべて取り出す。

 十.フライパンに中華麺と水を入れて中火で炒める。

 十一.麺に火が通りほぐしたら、野菜と豚肉を戻し、ソースを加えて炒める。

 十二.全体に火が通ったら、器に盛り付け、青海苔を散らして出来上がり。

 講義が終わっても、雨は相変わらず降り続けていた。鈴奈は無邪気な表情で

「私ね。幼稚園の年少の頃、お母さんに黄色い長靴を買ってもらったのが嬉しくて、水溜まりを跳ねて遊んだことがある。あとで、注意されたのでそれきり、そんなことはしていないけど……。楽しかったわ」と、はしゃいで見せた。

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